禅に惹かれた人々
私の「孫悟空の輪」を外してくれた坐禅

東京農業大学農学部教授・哲学博士 山部能宜さん


 東京農業大学で生命倫理・哲学と英語の教鞭を執る哲学博士の山部能宜さん。実は福井県大野市宝慶寺住職の田中真海師について坐禅修行を行っている在家得度者でもあるのだ。山部さんには幼少時代からの悩みがあった。「非常に神経過敏で、人から何か言われたり、何か失敗したり、ちょっとでも嫌なことがあると、それが一週間くらい頭にこびりついて離れなかったんです。頭に輪っかをはめられ、どうしても外すことの出来ない孫悟空のようでした」。その悩みこそ、結果的には山部さんと仏教を結びつけるきっかけとなったのである。
 中学時代、人間関係に悩んだ山部さんはキリスト教の教会へと足繁く通うようになる。
 「音が好きなので、聖歌を歌う教会はとても楽しかったです」。
 勉強が得意だった山部さんは英語教育に熱心な進学校へと進学する。しかし、中学時代から英語は大の苦手。そこで一念発起、英語の猛勉強を始めると得意科目になっていた。また、自分自身をスポーツで鍛えようと思い、水泳部に入部。最初は落ちこぼれだったが、いつの間にかぐんぐん上達していった。
 「苦手なものを一生懸命行い、蓄積することで得意なものに変えることができる。ならば、これを人間関係全般にも応用できないものか?」。
 大阪大学法学部へと進学するが、 「孫悟空の輪」の締め付けは強くなるばかり。大学3年になり、山部さんは最大の壁に突き当たる。「精神的にどん底の状態で、感性が干からびて何に対しても一切感動しなくなってしまったんです。本を読んでも、音楽を聴いても、目の前を綺麗な女の子が通っても……」。

田中真海老師との出会い

 そんなある日、ミニバイクに乗って山道を北へ北へと走らせた山部さんは道ばたに「西光寺」の看板を見つける。庭園でもあるのかと入っていくと、農家を移築した本堂の横には真新しい禅堂があった。中を覗き込む山部さんに声を掛けて案内してくれた方が現宝慶寺住職・田中真海老師だった。そう、山部さんの師匠である。
 「来たければいつでも来なさい」という言葉を受け、西光寺で半年間の住み込み生活をした。大学での勉強に迷いを感じていた山部さんに田中老師は「奉職するまでお寺に対する経済面の心配はするな。大学は絶対に卒業しなさい」と励まし、山部さんは大学へ通いながらひたすら修行を続けた。「坐禅をすればするほど、日本刀で一刀両断にするような陽性の厳しさではなく、自分の中のしがらみと向き合う陰性の厳しさこそが坐禅なのだと知ったんです。とにかくきつい。そもそも坐禅をすることに何の意味があるのか。菱の繋った泥沼でもがいている、そんな感じでした」。
 そんな中、田中老師が所用で3週間、寺を空けることになり、その間はとにかく坐禅だけの生活をしてみることに。坐禅三昧の生活で、山部さんは気が付いた。

身体の結び目を解く坐禅とは

 「心と身体は一緒なんだ。身体の結び目を解くことで心が解放されるってことに気づきました。だから身体で行ずる坐禅が、自分には必要なのです」。
 それまで山部さんの頭をきつく締め付けていた「孫悟空の輪」は、その瞬間に消えた。
 「もうこれで一生坐禅からは逃げられないなって思いました」と、笑顔で語る山部さん。
 本格的に仏教学を学ぶべく、大谷大学へ学士編入した後、大阪大学大学院でインド哲学を専攻。そして奨学金を獲得してアメリカのエール大学へと留学する。そこで彼の研究に転機がやってくる。
 唯識を専門に勉強していた山部さんは、エールの教授からシルクロードにおける仏教壁画の研究の誘いを受けたのだ。
 「アメリカの仏教学では狭い専門性ではなく、広い視野を持つことのほうが重要視されているんです」。
 何事も勉強。ということで、山部さんはシルクロードにおける歴史・文化の研究チームのメンバーとなった。 「仏教文献にはインドがルーツではなくシルクロードがルーツのものがあるんです。そのような文献を壁画と比較することにより、当時の修行の様子も見えてくるのです」と、今ではシルクロードの魅力に魅せられ、世界的権威のある専門機関にてシルクロードにおける仏教壁画に関する数々の論文を発表している。
 「うちの大学は卒業後は食品関係に就職する学生が多いのですが、専門的で周囲が見えていない。現在の食と環境をめぐるさまざまな問題は、人間の欲望が引き起こしている部分が多いでしょう。己のポリシーで質素な生活をする、禅の和尚さんの生き方を学生には知って貰いたい」。
 環境問題をはじめとする現代社会の問題に、仏教思想がどのような貢献をしているのかというテーマを、生徒に分かりやすく教えている。
 自分を悩まし続けた「孫悟空の輪」。今度は学生達の「孫悟空の輪」を外すべく、今日も山部さんは教鞭を執る。

(取材・まさとみ☆ようこ)


山部さんの論文が掲載された香港の美術誌(左)と、
山部さんがエール大学に提出した博士論文(右)