宗門に人はいないか?
形山俊彦
「宗門に人がいない」という声を、このところしばしば聞く。
宗政混乱の真っ只中にあって、「人物がいない」という嘆きの声が聞こえてくる。
ここでいう「人物」とは、どういう人をイメージして言われているのか。金権、利権、裏金、不正経理と、およそ宗教集団にあるまじき醜聞に耳を汚された宗侶の慨歎。閉塞状況に陥った中央宗政界の内部から漏れる嘆息。事態打開の決め手もなく、決断するリーダーも不在。袋小路に入りこんだ現状を打ち破り、新たな地平を開いてくれるほどの人物を探せど見あたらずという、恨みにも似た嘆き節である。
百二十七年の歴史と伝統を誇る多々良学園の経営破綻、そして民事再生法の適用という未曾有の社会事件に直面した曹洞宗は、いったい何が原因でこんな結果を招いてしまったのか。そもそも誰が元凶といえるのか。原因を究明し、善し悪しを見極めることさえできない有り様では、これから先、同じ過ちを再び三度繰り返すことがないとは、とうてい言い切れない。
ここは『聖書』の中から、イエス・キリストの言葉に学ぶしかない。
姦淫の罪に問われた女が裁きの場に引き出されたのに対し、イエスはこう言った。
「あなた方のうち罪の無い者が最初に彼女に石を投げなさい」と。
いま曹洞宗の宗政界で事態への対応に追われている善意の人たちは、まるでイエスの言葉に呪縛されたかのように、自らの組織内で常態化していた不正の根を厳しく断ち切ることをためらい、自ら振り上げた斧を振り下ろした先で、何かが打ち砕かれるのを恐れているかに見える。
駿府城に近い静岡市の繁華街に、官軍の西郷隆盛と幕臣・山岡鐵舟が江戸無血開城に向けて面談した場所がある。馬を駆って東海道を走り、駿府に駐留する敵陣中に身を挺した鐵舟は、厳重警備のなか「朝敵徳川慶喜の家来山岡鐵舟太郎まかり通る」と大音声を発しながら進んだという。
のちに西郷は、「金も要らぬ、名誉も要らぬ、命も要らぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と鐵舟の大器量を讃えたと伝えている。
「宗門に人がいない」というのは、要するに、命はまだしも「金も要らぬ、名誉も要らぬ」人物が見あたらないということか。捨て身になって、宗政正常化、宗門革新のために疾駆するほどの宗政家が不在だというのだろう。
曹洞宗政が自浄能力を失った遠因を探っていくと、三十三年前のソートービル・東京グランドホテル建設に行き当たる。檀信徒会館の建設をうたいながら、実際に出来上がった建物は宗門全額出資のホテルそのものだった。しかも建設資金の不足を宗門護持会費の取り崩しで補った。護持会費の流用を了解してもらうため内局が全国を行脚したのが、宗門護持会管区集会の始まりだという。
いわば曹洞宗の近代化は、宗教法人が営利事業(商売)としてホテルを経営するという大矛盾の中でスタートしたことになる。
宗政が混乱を極める中で、ベテラン宗議は「宗政界から早く足を洗って良寛さんになりたい」「自坊へ帰って山頭火のように生きたい」などと口にする。こんな言葉を聞けば、良寛さんの脱俗にならい、山頭火の漂泊に従うほどの厳しさの片鱗さえあれば、洞門宗政はこれほどまでに混迷を深めることはなかったろうと、つい揶揄したくもなる。