仏教企画通信9号を拝読して
北海道 龍仙寺 清水勝美
今日の宗門における葬祭の見地から多種のご意見を拝読しております。
今回の佐々木宏幹先生の「理念と民俗」のご教示は日頃葬祭を主体の葬式仏教の姿として一考の余地を残すものと思います。今日の社会現象の中で特に命の尊厳が語られ、?命の尊さ?をどう教えるか、苦悩する社会にあって死の現実こそが命の尊さを実感し生きる思考の原点であろうと思うのです。
したがって、葬儀の有り方を「行」のサイドから見つめ行じてはいかがでしょう。
現代社会は、世界一の長寿国になったら命の尊さを忘れました。飽食と物資豊かな故に、楽な方に心を寄せ、物事を省略し簡素化することが美徳の様にさえ語られます。
しかし、この行いは周囲と縁を切り、生活の充実感を失い、正視する眼差しを失います。
人の死を最後ととらえるから形式的に簡素に済ましてしまおうとするのでしょう。
死を始まりと捉えて、死者が参列者に功徳を積む場を与えてくれている場ととらえてはどうでしょう。
僧侶も参詣者も供養をしてあげるために来ているのではない。「させていただく」ために来場しているのです。
参詣者と僧侶が一体感を持ち、功徳を積んでこそ供養になるのでしょう。
したがって僧侶としては、後ろに座っている参詣者に仏法を通じて如何に満足を与えられるかが最も思考すべきと思う。仏壇や祭壇の文句を言わなくなったものに対してお経を読むから簡単にマンネリになり易い。
文句を言う後ろの人々にお経を読んではどうだろう。
北海道では葬儀に参詣者全員が会場の席に着く。
私の寺では、お通夜に全員に宗門発行の「修証義」を配布し一緒に声を出して読経する。お経の後の法話も大切で、お通夜のワンセットです。
葬儀には十六条の戒法こそが命脈で、戒法の印刷物を全員に渡して、必ず訓読で行う。
これからの葬儀は何故大切で必要なのか、生きるものに分かり易く行じなければならないと思う。
社会が貧しかった頃は意味が分からずとも信じて行じて来た。社会が豊かになり、教育が変わって知識先行では「何故」「どうして」と意味が理解されなければ真摯に行うことが出来ない社会になった。
葬儀も法事も死者が死を通じて生きる者に「回想と自覚と和合」の場を与えてくれていて、感謝の心を育んでくれているものと理解してはどうだろうか。死者に対することは易いが生きる者に対することは難しい。
葬祭こそ、己の精進と布教の場ととらえたい。
合掌