「移動」ではなく「改革」を

山口市・玄済寺 蔵重恵昭


 多々良学園の周辺部に身を置く者として、今回の移転問題には心を痛めている。中外日報などの報道に加えて、十月六日号週刊文春には「曹洞宗系列学校建設『坊主マル儲け』疑惑」という記事が掲載されていた。曹洞宗の僧侶は座っている場合ではないというきつい指摘である。火のない所には煙は立たぬというが、この最、徹底的に真相究明につとめてもらいたい。
 そもそも、今回の移転の経緯は将来の発展を目指した真の改革であったのか、その辺が不透明だ。明治の評論家・北村透谷は「内部的(精神的)必然性から物ごとが改まることが『改革』であり、外部的(機械的)偶然性から物ごとが移ることは、単なる『移動』だ」と述べている。個人的には「移動」の批判は否めないと思うが、新体制(理事長、校長、学監など)の下「再建支援プロジェクト」を発足させ、学校再建に取り組み中ゆえ、関係者のご努力に敬意を表し、今後の推移を見守っていきたい。
 曹洞宗の宗勢、実態を見るに、法人収入の多い恵まれた寺院と過疎地の零細寺院との両極端二分化が顕在化しているように思う。恵まれた寺院は、時給六五〇円の庶民感情は薄れ、金銭感覚は麻痺している。零細寺院にあっては兼職を余儀なくされ、本来の宗教活動は疎遠になることが多い。前者は世間の常識から逸脱し、後者は宗門の常識に欠けてくる。つまるところ、宗門の中枢を担っているのは前者の恵まれた寺院(僧侶)であることが顕著で、ややもすると一般常識から乖離し、空理空論に陥るのは自然の成り行きであろう。
 真の宗門改革を願うならば、宗門内外から広く有為な人材を登用し、適材適所に配すべきなのに、旧態依然としたタテ軸組織の硬直さがそれを阻んでいる。
 宗門の住職資格取得については、僧堂安居が大前提であることは理解できるが、資格最低限の二等教師だけは規制緩和できないだろうか。「推薦制度」などにより、広く内外より個性豊かな有徳の人材確保につとめる。一等教師以上については「更新制」などの導入で、資質向上につとめることとする。そうすれば、複雑多岐な社会事象を理解し、積極的に社会活動に参画し、多くの人の求めに応えられる、豊かな感性と教養を有した理想の僧侶像に近づくことができると確信する。人材の発掘と育成、宗門改革はここから出発すべきと思う。