柳緑花紅
怨憎会苦
作家・俳人 車谷長吉
怨憎会苦は、お釈迦さまが説かれた四苦八苦のうちの一つである。この世において怨み・憎しみに出会う苦しみのことである。それは人の怨み・憎しみを受けることは元より、自分が人を怨み・憎むことをも言う。今日では学校のいじめ問題など、怨憎会苦は満ち満ちている。
ところが、この世には怨憎会苦を自分の生き甲斐にしている人もいる。不思議なことだが、それが人間の本質とも言える事態である。こういう人にとっては、怨憎会苦がなくなれば、自己が腑抜けになってしまうのである。詩壇のり女史は、絶えず同じ詩壇のと女史、し女史を罵っている。と女史は金に汚い、と。し女史はがさつである、と。と女史が金に汚いのは事実であるし、し女史が粗雑な女であることも事実であるが、併し人は真実を言われると怒るのである。ここからと女史の内にも、し女史の内にも怨憎会苦がが沸き起こり、たがいに血みどろの罵り合いをしている。この怨憎会苦が生き甲斐なのである。
また別の詩人のき女史は、高級官僚であった夫と死別後、にわかに一人息子の嫁をいびりはじめた。ためにこの嫁は、姑の嫁いびりによって気がおかしくなり、精神病院へ入院してしまった。そうなると倅は家の外に愛人を作り、帰って来なくなった。さればき女史八十歳に近い身で、孫の面倒を見なければならなくなった。将来、もし嫁が病院から帰って来ても、ふたたび嫁いびりがはじまるのは必至であり、また愛人問題でも怨憎会苦が渦巻くことは火を見るよりも明らかである。これが人間の現実である。
無論、私にも怨憎会苦はある。私には妹二人があるが、上の妹を憎悪している。私は三十一歳の時、東京で生活が破綻し古里の親の家に逃げ帰った。が、お袋に「おまはんのような者は一生、旅館の下足番でもして暮らしなッ」と罵られ、下足番になり、続いて料理場の下働きになった。するとそれを見ていた上の妹に「兄ちゃん、慶応を出た言うて、威張っとった癖に、あなな下働きや、勤まるんやろか。どうせ三日坊主やろ。おほほ。」と小馬鹿にされた。妹は高卒である。必死の気持ちで下働きをしていた私は、この言葉を耳にして、妹を怨み・憎み、どつき回した。すると妹の内にも怨憎会苦が渦巻き、こちらも憎悪むき出しで、以後、たがいに兄妹の縁を切った。以後、私は七年間、料理場の下働きをした。が、妹はその後も一切働きに出ず、親にたかり放しで、のみならず真面目に働いている世間の人を小馬鹿にすることだけを生き甲斐として来た。汚れ仕事はしたくない、けれども自分は精神の高みに位置しているつもりで、人をあざ笑いたい、そういう心なのである。結婚もしない。この三十年、一度だけ父の葬式の時にちらと妹の顔を見たが、以後はたがいに会うことを拒絶している。母も私を騙し続けて来た。「房子のあの傲慢な性分だけは直らへん。うちが生んだ子ゥや」そう言うて、自分がもらう老齢福祉年金から金をやるのである。私は妹の「たかり」を憎悪している。こういうことを書き連ねるのも、私の怨憎会苦である。