禅に惹かれた人々
病に打ち勝ち、患者を救う "鬼手仏心"先生
宮城県栗原市・佐藤接骨院 佐藤公作さん
ある日、曹洞禅グラフ宛に一通の手紙が届いた。
「誰にでもきっと光が見えてくる、きっと良くなるから安心してと、手をしっかりと握りしめ、勇気付けてくれます」。この出会いは一期一会。命ある限り、私はお世話になるつもりです。
そこには、宮城県栗原市で『鬼手仏心堂 佐藤接骨院』を開院している院長、佐藤公作さんへの感謝の気持ちが綴られていた。
佐藤さんに会ってみたい。届いた手紙を佐藤さんに渡したい。そんな思いに駆られ、佐藤接骨院へと向った。
戦後間もなく、食糧難の昭和二十年に生を受けた佐藤さん。脚気の母親の影響から、生後間もなく小児脚気にかかる。その後、骨髄炎、結核、扁桃腺手術、不慮の事故による片目の失明と、数々の難病と闘いながら、お灸を定期的に行うなどして次々と病を克服した。
「体の弱い自分に、最初は親を恨みました。でもね、病気をしたことで自分の弱さを知ったし、なにより人の痛みが分かる。リュウマチは現在進行中。これは一生の付き合いです」
そう言って、佐藤さんは何度も手術をした跡が残る脛を見せてくれた。
実は佐藤さんは、すんなりと整体師の道に進んだわけではなかった。高校を卒業してすぐ、郵便局に就職。しかし、体の弱かった佐藤さんにとって、郵便配達の仕事はとても過酷だった。極寒の中の配達で体を冷やし、何度も手術で骨を削るほど、佐藤さんの体は限界に達していた。
二十五歳の時、ある一大決心をする。幼い頃からの夢・医療の道へと進むべく、郵便局を退職し、家出をしたのだ。
「郵便局で資金を貯めたので、よしっ! って仕事を辞めて家出したんです。後はもう、どこも行くところがない。後戻りできない。とにかく頑張るだけでした」
佐藤さんが医療への道を志すきっかけとなったのは、体の弱い母親だった。
「小学三年の時に書いた作文で、いつもゲンコツをもらっていた先生から、初めて褒められたんだよ」
当時、佐藤さんの母親は更年期障害で、いつも「お腹が痛い、痛い」と温めた石をお腹にのせて寝ていた。小学三年だった佐藤さんは母の姿に胸を痛め、作文にこう書いたのだった。
「立派な医者になって、おふくろの病気を治してあげたい」
そして三十一歳で佐藤接骨院を開業する。現在、最愛の奥様と二人三脚で体の不調を訴える患者さんを日々救っている。
「骨を折っている人は鬼の心で、骨を引っ張る。患者さんが悲鳴を上げても施術は鬼のように。その後、骨が真っ直ぐになって患者さんはニコニコ笑って欲しいと思うからね」
鬼手仏心堂という名前には、そんな佐藤さんの思いが込められている。
「うちには仏様が来ているんですよ。寝返りを打てない、起き上がれないほどの体なのに、「私にボランティアがもっと出来る体にして下さい。家に居たら、おじいさんとおばあさんしか喜ばせられない。外に出たら、もっとたくさんの人を喜ばせることができるのです」。まさに阿弥陀様です。お帰りになる時、私は手を合わせました」
実は、曹洞禅グラフに投稿して下さったのが、佐藤さんが阿弥陀様という石川敏子さんからのものだったのだ。
彼女からの手紙を佐藤さんに手渡した。「もったいない。私のような人間に、こんなことを……」
言葉を詰まらせ、目から一筋の涙が流れ落ちた。
「人間の体は宇宙です。解決法は必ずその人の体に書いてある。でも、その解決法が見つからない。患者さんにろくな治療が出来なくて、情けない……。その人の人生に寄り添ってあげられないといけない。とても難しい。生涯勉強、まだまだ修行です」
そう語る佐藤さんの顔は、とても晴れやかで輝いていた。
(取材・まさとみ☆ようこ)
問診中の佐藤氏