『正法眼蔵』 道心の巻より(9)
長崎県天祐寺 須田道輝
仏を思う心はそのまま仏に触れていること
また一生のうちに仏をつくりたてまつらんと、いとなむべし。つくりたてまつりては、三種の供養したてまつるべし。三種とは草座(そうざ)、石蜜漿(しゃくみつしょう)、燃燈(ねんとう)なり。これを供養したてまつるべし。またこの生のうちに、法華経をつくりたてまつるべし。かきもし、摺写(ししゃ)もしたてまつりて、たもちたてまつるべし。つねにはいただき礼拝したてまつり、華、香、みあかし、飲食、衣服もまゐらすべし。つねにいただきをきよくしていただきまゐらすべし。
供養する行為は菩提心のあらわれです
戦国武将は身心の守り本尊を造って、兜鎧に納め、つねに戦場におもむきました。また武将たちの夫人も、自室に守り仏を安置し、朝夕、夫の無事を祈りつづけたといいます。また一介の兵士でも、みな仏菩薩の像を胸にかけて戦いにのぞみました。
中国(チベット)僧たちは、つねに数珠を首にかけていますが、これも仏像の代わりだと思います。日本でも絡子、和袈裟をかけるのも、袈裟が仏法僧の象徴だからです。いずれにしても、仏法者はたえず仏を念じ、仏を慕う心がなければならないことを述べています。仏を思う心は、そのまま仏に触れていることです。仏に触れていることは、仏の心と感応していることです。
「三種の供養」とは、草座、石蜜漿、燃燈をお供えすることです。むかし釈尊が前世において、大光明という名の瓦師だったときのことです。そのときの仏陀は、釈迦牟尼といいました。そのとき、仏の名前だけでなく、国土も寿命も、弟子たちもみな現在の釈尊時代とまったく同じだったといいます。
ある日、釈迦牟尼仏は、弟子たちと共に瓦師の家に宿泊されました。そのときに瓦師は仏たちにそれぞれ草座、石蜜漿、燃燈を献上しました。そして「いつの世にか、釈迦牟尼仏のように仏陀となって、名も国土も寿命も弟子たちと、みな今と少しも違わないような姿で生まれかわりたい」と、誓願をたてました。
その三種供養の誓願によって、現在の釈尊になったのであると説法されました。行持道環の道理を述べられたものです。
草座は草で作った坐布団です。疲れた体を休めたり、修行を柔らげる敷物です。石蜜漿とは、蜜蜂が岩のすき間にたくわえている蜂蜜で、高貴な香りをもった蜜です。当時インドの修行者は昼をすぎると食物をとりませんので、蜜水を口にしました。燃燈とは、明りです。
以上のような物は、宿泊される仏たちに対する最上の供養です。そして供養する行為はそのまま菩提心のあらわれにほかなりません。
「法華経をつくりたてまつるべし」法華経とは『妙法蓮華経』といい、天台教学の基礎となるものです。道元禅師は若い頃、比叡山に学びましたので「法華経」を諸経の王とのべ高く評価しておられます。「法華経」というと、天台や日蓮宗の独占物のように思われますが、「法華経」は大乗経典の代表であって、法華経のみが唯一勝れているという意味ではありません。道元禅師も一切経の代表として、法華経の書写、印刷をすすめたものです。
仏像のみでなく、経典をも礼拝して、花や灯明、ご仏飯、衣服などを供え、浄信(プラサーダ)をもって敬い、尊ばなくてはならないと、言われます。つまり仏像は今に生きる釈尊、経典は今に聞こえる釈尊の説法と、心得なければならないことを意味します。仁王さまや地蔵尊に腹がけなどをするのも、一種の衣服供養です。
「いただきをきよくして」頂きを清くするという言葉には、この供養は純粋な心で行うものであって、供養によって願いが叶うとか、霊験をえようとかというような〈ギブ・アンド・テイク〉の、いやしい駆け引き根性があってはならないといういましめです。
禅語でいえば、不可得の礼拝であり、不可得の修養です。何ものも仏菩薩に求めない浄信、それが求道の心にほかなりません。