『正法眼蔵』 道心の巻より(10)
長崎県天祐寺 須田道輝
袈裟は発菩提心・つまり求道心の象徴です
またつねに袈裟をかけて、坐禅すべし。袈裟は第三生に得道する先蹤あり。すでに三世の諸仏の衣なり、功徳はかるべからず。坐禅は三界の法にあらず、仏祖の法なり。
私が坐禅するのではなく仏が坐禅する
お袈裟の功徳について、禅師は「袈裟功徳」「伝衣」の巻などに、とくべつの思いをこめて述べております。袈裟に関してこれほど強く説かれた祖師はおられなかったと思います。ここでも坐禅する者は、出家在家にかかわらず、お袈裟をかけよと示されます。
正法の伝承は、かならず修證のあかしとして袈裟を伝えてきたという信解によるものです。釈尊が晩年、もっとも勝れた摩訶迦葉尊者に仏法を託したという證明に、釈尊の身につけられていた袈裟を伝授されたという故事によるものです。
また袈裟は発菩提心、つまり求道心の象徴です。そのむかし釈尊は修行を志し、御者チャンナと共に白馬カンタカにまたがり、カピラ宮をあとにし、全速力でマガダ国をめざして南下しました。途中コーサラ国境アノーマ河の林にたどりついた時、身につけていた衣服や装飾品を、御者チャンナにあたえ、カピラに帰るように命じました。冠を頭からはずすと、ふさふさとしたしなやかな髪を即座に切りおとし、当時の修行者が着ていた粗末な衣に身をつつみ、手に鉢をもち、アノーマ河を渡り、徒歩にて村々をめぐりながら王舎城をめざしました。
アノーマ河で俗服をすて、袈裟衣に着がえたということは、そのまま求道の出発を意味します。つまり釈尊の求道心が形にあらわれたものが、お袈裟の姿にほかなりません。
永祖(道元禅師)が袈裟の深い意義を自覚されたのは、宋に渡り、坐禅修行をはじめられた頃、隣りにいた僧が、坐禅を始めるときお袈裟をささげて頭上に安じ、合掌して「大哉解脱服、無相福田衣、被奉如来教、広度諸衆生(大いなるかな解脱の服、これ無相の福田の衣である。それは如来の教えをいただくことである。この願行をもって広く衆生を救済せん)」と唱えるのを聞いて、いまだかつて見たことのない修習法を知り、感動を覚え、袈裟の正法に出会ったことを無上の宿縁であると歓喜されました。
またある日、高麗僧二人に出会ったとき、仏典の教理についてはよく談じていましたが、その服装は、袈裟も鉢ももつことなく、ただ僧服のみにて居士のようでした。それを見て永祖は彼らがどんなに教理に通じていても、結局「文学の士」にすぎないと、きびしく批判しています。袈裟は求道心の象徴であると同時に、坐禅弁道に専念している姿でなければなりません。
「袈裟は第三生に得道」 むかしひとりの遊女が、遊びにあきた客を喜ばそうと、お袈裟をつけ、尼僧の姿でおどりだした。これをみて客は大いに喜びました。この袈裟おどりの因縁で、遊女はつぎの世に出家して比丘尼になりました。しかし過去世の縁をひきずり、破戒をかさねて悪道におちましたが、ついに第三生で釈尊の時代に生まれかわり、出家して悟りを得ました。それが蓮華色比丘尼の前世物語です。つまり遊びでお袈裟をつけた仏縁でも、第三生には立派な仏弟子になることができたという物語です。
袈裟は「諸仏の衣」です。この仏の衣をつけて坐禅するということは、私が坐禅するのではなく、仏が坐禅し、仏衣の力によって坐禅をさせられているということです。仏とともに坐るときは、諸仏と同位同体ですから、「坐禅は三界の法にあらず、仏祖の法なり」と示されているのです。
坐禅は諸仏諸祖の御命です。その御命を守って坐禅する者は、みな三界をこえた仏々祖々の血脈者にほかなりません。
(了)