仏事相談
お葬式に お坊さんや戒名は いらないのでしょうか

  六月の朝日新聞の読者による「声」の欄を読みながら、複雑な気持ちに駆られました。それは、奥様を亡くされた男性からのもので、葬式では、僧侶も戒名もなし、香典も一切遠慮され、子供と兄弟だけで、故人の好きだった音楽と花で送り、一貫して「自分流」を貫いているというものでした。家には仏壇を置かず、年忌は、故人のお墓にお弁当を持って集まり、思い出話をして明るく済ませたというものでした。これで本当に故人が浮かばれるのでしょうか。
(東京都・60歳・男性)


回答 最愛の奥様を送るのに、これまでの葬送のやり方に疑問を感じ、自らが「納得できる方法で」との選択だったのだと思います。それならば、亡き人をお送りするのに、ご戒名や坊さんは必要ないのか、ご供養とは何なのかを、教えからだけではなく、自分自身の体験を踏まえて述べさせて頂きたいと思います。
 今年、私は父親である師匠を亡くしてちょうど二十三回忌を迎えます。師匠は、亡くなる前年の十二月に大腸ガンの手術を受けました。既に肝臓にもガンが転移しており、手術後、執刀医より「余命半年から一年」という宣告を受けました。しかし、息絶えるその間際まで、自らの信じる禅僧としての生き方を貫き通し、身をもって沢山の教えを遺してくれました。この二十二年間、事あるごとに生前の師匠の生き方やその教えに導かれてまいりました。元気だった頃に沢山の教えを頂きながら、聞いていても心で聞けず、見ていても大切なところを見過ごしていた私ですが、師匠の亡き後、祖師さまがたの教えを拝読したり、指導者の方々の言葉に触れたりする中で、師匠がその生き方や言葉をもって教えてくれたことについて、学びの追体験、学び直しをさせて頂いてまいりました。
 そもそも、親先祖のご供養を勤めさせて頂く目的は何でしょうか。この生きている自分たちが、真実の道理に気づかせて頂き、正しい生き方を実践し、そのことを通じて、親先祖が自分たちに対して最も願ってくれている真の意味での幸せを確立していくことにあります。我々が命を頂いてきた親先祖への報恩感謝のご供養を抜きにしては、真の意味での我々の幸せはありえないからです。
 大切な人を失った現実を凝視し、無常を深く観ずるとき本当に大切なものが見えてきます。自分の得手勝手なモノサシ(人生観・価値観)を振り回すのをやめ、長い歴史の中で、先人達が真理なるが故に尊び伝えてきた真実真理の教え、即ち仏法に照らして行ずることによって正しいご供養が営まれます。そして、その真実真理の教えをお伝えするのが、坊さんの大切な役割なのです。
 お釈迦様はご修行によって真実真理に目覚め、人々の真の幸せ確立のためにものの道理を説かれ、どう生きるべきかを教えられました。仏教徒の理想的な生き方は、仏の教えに総てを托し、定められた規律に従った正しい生き方を実践していく、仏弟子としての生き方にあります。そういう、仏弟子としての生き方を実践していく覚悟の上で頂く名前がご戒名です。同時に、真の幸せを築く(成仏)ための原因作りに重点を置いて付けてもらうのがご戒名です。ここが、親から付けて頂く名前との相違点です。従って、頂いたご戒名に恥じない生き方を心掛けることになります。そして、生前にご戒名を頂くご縁のなかった方々が、葬儀の際に導師さまより授けて頂くわけです。亡くなった故人がご戒名を頂き、仏の道をご修行になっているという確信が持てたとき、遺族がただ単に懐かしんだり思い出を抱くだけではない、正に礼拝の対象としての仏に成仏頂けるのです。遺族は、ご供養を通して在るべき生き方を学ぶのです。
(長野県 常輪寺住職 中野天心)