私の体験(2) 病気は気づきの贈り物
矢納正人
矢納正人(やのう まさと)
1953(昭和28)年福井県生まれ。
1975年、早稲田大学卒業。
現在、福井テレビ営業局次長。福井県ボランティアセンター運営委員。社会福祉法人・光道園の評議員。
食
病気や人生の問題を起こさざるをえなかった背景は何なのか
(因)と(果)の法則をしっかりと見つめること
最近、私の周りでもガンや糖尿病など生活習慣病になる人が増えてきましたが、病気になった人のほとんどが、「健康だった時の自分が良い自分で病気の自分は悪い自分」ととらえているようです。ですから一刻も早く病気を治すために病院に行き、薬や抗生物質を飲み、注射を打ち、手術を受けるなどして症状を除去しようとします。しかしよく考えると、病気は結果であって原因ではないのです。
病気とは、《病》のお陰で、過去の生き様(生活習慣)の歪みに《気》づかせてもらうから病気というのです。病気になる原因として、心・食・動・環・水の五つが代表としてあげられます。つまり、心の有り様、食事のあり様、運動のし過ぎしなさ過ぎ、公害などの環境、水の汚染などです。これら五つの要因は、生活習慣を形成する基本となるものですから、どれか一つが歪んでいても病気になるでしょうし、全部歪んでいたら病気まっしぐらとなるのは当然のことなのです。
従って、病気とは、自分が健康だと思って生活していた頃の生活習慣の何処かに歪みがあったということに気づかせてもらえるという実に有難い贈り物なのです。しかし、大半の人は、過去の生活習慣を見つめ直し反省するどころか、治療を医者任せにして、医者から治りましたと言われたその日から、病気の原因を作った過去の生活に戻っていくのですから、再発するのは火を見るより明らかです。
子どもの問題も病気と同じです。「問題を起こす前の良い子だった頃のあの子に戻すためにはどうしたらいいでしょうか」と相談に来る親がほとんどですが、問題を起こす前の子どもが良い子どもで、問題を起こしている子どもは悪い子どもというとらえ方は間違いなのです。従って、子どもの症状だけに注目して、症状をとるための治療やカウンセリングをしても、本質的な解決には何一つ結びつきません。
「この世に生まれて良かった」
「生きていることが何て幸せなのだろう」
と思っている人が問題を起こすことは滅多にないでしょう。子どもも大人も、抱え切れない不安やストレス、怒りなどのマイナス感情に支配され、しかも、それを家族や友達など誰にも相談できる相手がいない状態の時に、最後に残された手段として、病気や問題行動という行為で自身の辛さ、苦しさを表現しているのです。そういう意味では、問題行動は自己防衛反応であり、その症状のお陰で命を保つことができているとも言えるのです。
「病気になったお陰で死なずに済みました」
「病気を使って、今まで言えなかったこと、できなかったことに挑戦しています」
これは、摂食障害(拒食症・過食症)の当事者の声ですが、病気の本質を訴えている声でもあります。学校を休む、手首を切る、閉じこもる、食べて吐く……などの行為は、親にとって許容し難い行為かも知れませんが、その行為をやめさせることだけに執着すると、最後の生きるための手段さえ奪うことになり、死しか残らないということにもなりかねないということなのです。
一番大切なことは、どうして病気になったのか? 子どもが問題を起こさざるをえなかった背景は何なのかという《因果》の《因》を逃げないでしっかり見つめることです。そうすれば、病気や問題を作ったのが自分である以上、自分に治せない病気や問題もないということが見えてきます。ガンなどの病気や不登校などの問題は、困った不幸なことと思われがちですが、自分が自分の人生の主役になるために頂いた有難い贈り物というとらえ方ができれば、まったく違った結果を手にすることができるでしょう。
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