禅に惹かれた人々
黒澤山聞修院


 聞修院の門は開かれている

 都心から中央線で立川へ、そこからJR青梅線でわずか三十分。晴天に恵まれたゴールデンウィークの青梅市は、五月三日の青梅大祭、多摩川沿いのハイキングと、観光に行き交う人々で賑わっていた。
 青梅駅から徒歩三十分ほどの距離にある黒澤山聞修院でも、このGW中には多くの人々が集っていた。清閑なたたずまいの山寺に集まった人々の目的は、「坐禅フォーラム2004」に参加すること。聞修院では、五月三日から五日までのGWに、各種のイベントを含めた坐禅会を毎年実施している。
 聞修院を初めて訪れた人は、そこが自分の持っていた「お寺」のイメージとはだいぶん違うことに気付くかもしれない。あるいは年配の方であれば、懐かしい昔ながらの「お寺」の雰囲気を感じ取るだろうか。いずれにしても、聞修院の門は閉ざされてはいない。中に集った人々はリラックスし、思い思いの場所に坐り、また緑の眩しい境内を散策し、それぞれの休日を楽しんでいる。そこには、ゆったりとした時間が流れている。住職はイベントの準備に追われながら、合間合間に話しかけてくる人々と静かに談笑していた。

 インド舞踊家かん・みなさんと、田中住職

  「一無位真人、という言葉があります。お寺に来る人は、誰でもかまいません。坐禅を中心にして、やりたい人がやりたいことをできる場にしたかったのです」
 そう語る田中正哉住職は、外見からしてもにこやかで飾らず、自然体のお坊さんだった。音楽が好きで、五十歳を過ぎてから楽器を始めたという経歴を持ち、そのことで雑誌『サライ』にも載ったことがある。
 「坐禅フォーラム2004」のイベントは、三日に八重山諸島の唄踊り、翌四日にもコンサート、そして五日にインド創作舞踊怎^ゴールダンスの夕べ揩ェ開催された。
 そのほか、毎年さまざまなイベントが開かれているが、それぞれのイベントは聞修院に集ってきた人々が企画している。今回、五月五日の怎^ゴールダンスの夕べ揩フ呼びかけ人となったのは、五年ほど前から聞修院と縁を持った木崎久美子さんだった。
 木崎さんはそうしたコンサートの一つに参加し、その縁で坐禅会にも通うようになった。体調を崩して入院し、まだ退院したばかりという木崎さんは、このところの坐禅会には参加できていないという。それでも聞修院と関わっていきたいという思いが、怎^ゴールダンスの夕べ揩企画させた。 「精神的なこと全般に興味があったんです」と木崎さんは言う。
 「初めて坐禅会に参加した時に、坐禅の終わりを知らせる鐘が鳴りました。その時に〈えっ〉と思ったんです。四十分の坐禅の、半分を知らせる鐘だと思いました。そうしたら、終わりの合図だったんですね。何でこんなに時間が短く感じるんだろう、と思いました。それから何度か来ているうちに、五分くらいで終わる感じもあるんです。〈もう終わり?〉と思わず時計を見たこともあります。坐禅をやっていると、それぐらい時間の感覚がなくなるんです」
 その体験をした木崎さんは、それからすっかり坐禅にはまってしまった。以後の二年間は、毎週日曜日の坐禅会に聞修院へと通うようになった。
 「ここの坐禅はゆるやかな雰囲気があります。厳しくない。いわゆる一般的な坐禅のイメージよりもゆるやかだったんです。どうでもいいよ、と和尚さんが言ってくださって。ただ姿勢だけを良くしなさい、と教えられました。背骨を真っ直ぐ立てて、その上に頭を乗せて、あとは地球の重力に体を委ねてと言われて、そういう感じにすごく惹かれて、坐禅はいいなと思いました。 和尚さんのお人柄、それに聞修院に来ている人達も素敵な人が多くて、それで続けてこられたというのがありますね。最近ちょっと元気になって、坐禅はまだできていませんが、こういう催し物には参加できるように少しずつなっています」
 今はまだ体調が万全ではない木崎さんだが、それでも坐禅に惹かれ、聞修院に惹かれている気持ちには変わりがない。〈ただ好きなだけ〉と坐禅への気持ちを語る木崎さんは、おそらくこれからも長く聞修院へと足を運ぶことだろう。
 コンサートの前にはお経の冊子が配られ、全員で声を合わせて『般若心経』を読誦した。
 「コンサートなど、いろいろあるわけですが、般若心経に始まって、また般若心経に還ってくる。こういうことが大事なんですね」
 田中住職の挨拶の中にも一つの輪があった。人々の集う聞修院の輪――そこに加わった木崎さんのような人の企画から、また新しい輪が広がっていく。来年もまた、そこに惹かれた人々が、聞修院の開かれた扉をくぐるに違いない。

(取材・門馬慶直)