読者からの質問に答える(6)

「祈りのある暮らし」が日本人の混迷を救う

◇答える人 内藤 英昭
◇質問者  田造 篤

古来、物豊かにして心滅ぶといわれるとおり、昨今の日本人の精神的荒廃、社会状況の混迷は憂慮すべきものがあります。
今こそ仏教に何ができるのか問われています。
今回は前回に引き続き、読者の田造篤氏が長野県伊那市・長桂寺住職・内藤英昭師にこの時代の仏教の役割を伺います。


内藤英昭(ないとうえいしょう)

一九三八年生まれ。
一九六〇年、駒澤大学文学部国文学科卒。
曹洞宗特派布教師を経て、現在、保護司、調停委員。
一九六四年より長野県伊奈市長桂寺住職。

田造 篤(たづくり あつし)

米国カリフォルニア大学経済学部卒業。
大学で哲学を勉強したときに、初めて仏教を知る。
貿易会社を退職してから、仏教の研究を始め、その研究結果に基づき、日本の僧侶仏教の改革の必要性を日本仏教界に訴えることを続けている。
(横浜市在住)


家庭の中に「祈りのある暮らし」を

田造 前回は、人間の欲望をコントロールすることが仏教の重要なポイントだというお話を伺いました。今日はそれに関連して、いまの日本人が抱えているさまざまな問題に対して、仏教側はどのような取り組みをなさっているのか、お伺いしたいと思います。現在、日本は科学も技術も発達して経済的に非常に豊かになりました。ところがその反面、人間の欲望がますます肥大し先鋭化して、いろんな問題が出てきています。混沌とした社会状況のなかで、生きがいを見失い自殺する人の数も増加しています。そういうなかで、仏教の精神にしたがってこういうふうに生きていきなさいと教えるのは、お坊さんの大事な役割だと思うのですが。

内藤 いわゆる経済至上主義、物質至上主義を見直す時期に来ているということは誰しもが気づいていることですね。そのなかで、仏教に何ができるかということを私も考えるのですが、憲法上、国の中に宗教教育を取り入れることはできませんから、宗教的な人格を育む母体は家庭しかないと思います。

田造 家庭ですね。

内藤 私は家庭の中に、「祈りのある暮らし」があるかどうかということが大事なことだと思っています。私は長らく保護司という更正保護の任に当たっており、時には少年院や刑務所などの矯正施設にも行きます。ある施設長は、「収容者の多くは過去の生活の中で祈りの経験がほとんどないんです。法事や法要で手を合わせたとか、飼っていたペットが死んで手厚く葬ったとか、そういう体験がないんです」と話していました。そういえばこの前、千葉の交通刑務所に行きました。そこでは自分が人身事故を起こして死亡させた人たちの冥福を祈る場所と機会がつくられていました。これは懺悔の祈りです。いずれにしても何か暮らしの中に祈りがあるということは大切です。それもできれば「無我の祈り」が大切です。

田造 我執をなくして相手を思いやるということですか。

内藤 そうです。そういう祈りです。永平寺の宮崎禅師様は、「朝、仏壇の前に坐り、線香を一本真っ直ぐに立てて祈る。線香が真っ直ぐ立てられれば心が真っ直ぐになる。一日が真っ直ぐにすごせる」というお話をよくなさいます。幸いに仏教徒にはキリスト教の牧師さんがうらやましがるリトル・チャーチ、すなわち仏壇が各家庭にあります。ここを祈りの実践の原点にしたいですね。

家庭の中に仏様の物差しを

田造 家庭から、そういう祈り、宗教心を醸成するべきだということですが、しかし、国も学校もやってくれない。そうすると、やはりお坊さんが公共施設とかいろんなところで講演というか説法、法話をして人々に生き方を教えることを積極的にやってもらわないといけませんね。そうすれば、大人がそれを身にしみて感じ、子どもたちに教えることができるのでないでしょうか。

内藤 そうですね。それと、私は法事とかいろいろな機会にお話をするのですが、それぞれの家庭の中で、人間の生き方やものに対する考え方を変えていただきたいと思うのです。私はそれを仏様の物差しと言っているのですが、損得で判断する世間の物差しではなく仏様の物差しですね。これは仏様の教えに適っているのだろうか、といつも考える見方を家庭のなかに広げていくことが大事だと思います。

田造 まず親がそれをお坊さんから教えてもらって、子どもにも仏教の考え方、仏様の物差しで考えるということを教えていれば、それが道徳教育にもなり、子どもたちが過激な行動に走る傾向も抑えられるということですか。

内藤 少なくとも抑制する知恵になる。

田造 それを、子どものうちから教えなければ駄目だということですね。私も、実社会で働いて、もう七十何歳まで生きて、社会というものをあらためて考えてみると、やはり人間は誰でもお金が欲しいし、豊かな生活を望みますよね。それを実現するために、自由経済社会のなかで競争を続ける。その競争が、一方ではいい面もあって、いいものを安く売ろうという努力を皆さんしますからこれはみんなのためになる。ところが過度にもうけようということに走ると、度が過ぎてしまって不正なことをやり出す。その結果、お互いに共倒れになって殺し合いみたいなことをやる。そういう殺伐とした社会、荒廃した人間を作り出さないためにも宗教の役割は非常に大事だと私は思うんです。

仏教は他と共生していく宗教

内藤 はい。とくに仏教の役割は大切だと思うのですが、仏教徒の数というのは世界ではあまり多くないんです。仏教は三大宗教の中にも入りません。世界で一番多いのはキリスト教で、次がイスラム教、それからヒンズー教ですね。仏教というのはその次くらいです。一神教の人の信仰心は非常に強烈な熱心さがあって、それはそれですばらしいのですが、ともすれば排他的になる嫌いがある。それに比べて仏教のような多神教と言われる宗教は信仰の面ではあやふやなところもあるが、その分、他と共生するという思想を持っている。この他を許せる思想というのが、これからの世界には必要ではないかと思います。西洋の多くの人たちもそれに気づき始めているようです。

田造 私もそう思います。いろんな報道を見ていて思うのですが、信仰心の厚い人たちが、例えばキリスト教にしろイスラム教にしろ、同じ神の名に於いて殺し合いをやっている。そういう意味で仏教というのはすばらしく寛容な宗教なんだなと思います。すべてのものを平等に見るという智慧がある。仏教をもっと世界に広めることが世界平和にもつながることだと思います。今日は、よいお話をありがとうございました。ご活躍を祈ります。

(平成十六年十二月十日収録)