柳緑花紅

密林の叡智

長徳寺住職 酒井大岳
著書に、『あったかい仏教』大法輪閣)、『わたしはふしぎでならない』(鴻盟社)、『りんりんと生きる』(家の光協会)など多数。


 「チトワン国立公園=(ネパール)」の大密林の中を、早朝二時間、通訳のシェルパと歩く。トラなどの猛獣がひそんでいるため、耳打ち程度の会話しかできない。
 ところどころに直径四メートルほどの円形の窪みがあるのを発見し、これは何かとシェルパに聞く。かれは、こう答えた。
 「死ぬ前に老いたサイが作る水だめです。雨期の終わりの七月ごろ、一族を集めて、体を横にしてぐるぐると回転させ、土をこねるのです。そこに雨がたまって、その上に落ち葉がつもって水の蒸発をふせぎます。乾期は八月から翌年の三月ごろまでで、約八か月間、雨が降りません。長い冬を越すのには水が大切ですね。水がなくて死ぬ動物はたくさんいます。サイの一族には、その心配はありません。水のあるところを知っているからです」
 はじめて聞くこの話に、わたしは感動し、矢継ぎ早に質問をした。
 「老いたサイは、自分がまもなく死ぬことを予知できるのでしょうか?」
 「はい。水だめを作ってから一週間くらいで死にます。ジャングルの深いところへ行って、だれにもわからないように死ぬのです」
 「水だめを作るとき一族を集めるというのは、こうしないと冬は越せないということを子孫に伝えるためですね?」
 「はい、そうです。このことは何万年もつづいています。人間の歴史よりももっと長いです。子孫を守るための知恵ですね」
 「それをやるのはサイだけですか?」
 「そうです。ほかの動物や鳥たちは、サイが作った水だめの水を飲みます」
 「サイの一族は怒りませんか?」
 「怒りません。遠くのほうから見ているだけです」
 人間だったらたちまち争い戦うことになるだろう、とわたしは思い、早く日本に帰ってこの話を多くの人々に伝えなければ、と思ったことである。
 仏教は「今しかない」ことを説く。さらに三世(過去・現在・未来)を深く思うべしと説く。永遠のなかの今をとらえるわけだから、未来のことはどうでもよい、と受けとめては「今」が生きなくなってくる。
 密林に棲むサイは、子孫の未来を十分におもんばかれる動物なのだと知った。
 密林を出ると、ロッジで朝食をとる。目の前に草原がひらけ、一頭のサイが黙々と草をはんでいた。
 シェルパは四十歳。二人の子の父親で、七か国語も話せるうち、ことに日本語は達者であった。シャレを言うこともじょうずだ。
 「サイは、頭がいいんですね」 と私が言うと、
 「はい。サイ能がありますから」 と言って、口を押さえて笑っていた。