柳緑花紅
蛍の羽音
長徳寺住職 酒井大岳
著書に、『あったかい仏教』大法輪閣)、『わたしはふしぎでならない』(鴻盟社)、『りんりんと生きる』(家の光協会)など多数。
お釈迦さまのふるさとネパールでは、蛍のことを「ズンヌキリ」という。釈迦族の末裔といわれる日本語通訳の娘さん・スニータから聞いた。彼女はきれいな声で蛍の歌をうたった。
ズンヌキリ、ズンヌキリ、ズンヌキーリ
ズンヌパタオーラリネ、ズンヌキーリ
「ズンヌパタオーラリネ」とは「月から降りて来た蛍」という意味で、これは仏さまのお使いだとのこと。じつに美しいとらえかただと思った。日本では「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と蛍をだまくらかして取ってしまおうとする。たいへんな違いである。
あるお坊さんから聞かれた。
「蛍の宿は川端やなぎ、という童謡がありますが、なぜ川端やなぎなのか、ご存じですか?」
知りませんというと、ていねいに教えてくれた。川が流れると空気が動く。川のほとりのやなぎの枝はいつでも揺れている。揺れる枝にはクモが囲を張らない。だから蛍はその枝に宿をとるというのである。なるほど、と思った次第だ。それと気づいた蛍も立派、それを発見した人間も立派である。
「蛍雪の功」という言葉がある。苦労をして勉学に励み成功することをいう。むかし、中国の晋(しん)という国に車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)という二人の青年がいた。ともに貧しく、灯火用の油も買えず、車胤は蛍の光りで、孫康は雪明かりで読書をし、後に二人とも高級官吏に出世した、という故事に由来する。(晋書)
「学道の人は最も貧なるべし」(道元・随聞記第三ノ四)も意を同じくする教えだ。
十歳のころ姉と二人で母の同級生が嫁いでいる農家へ、甘藷苗(いもなえ)を貰いに行ったことがあった。帰りの終バスが運休したため、二人は苗を背負って二十キロの夜道を歩いた。数十匹の蛍を掌につつんで路面を照らしながら歩いたのだが、そのとき蛍明かりのすごさを知った。母は「二人を歩かせてわるかった」と言って、がんで亡くなっていった。
寺の門前を小川が流れている。ある夜、流れに沿って農道をさかのぼり、蛍の乱舞と出合った。桑畑の真ん中に立つと、耳もとを過ぎる蛍の羽音が聞こえた。
このことをあるところで話すと、一人の老僧が「わたしも聞いたことがありますよ。仏さまのささやきでしょうね」と言われた。その席で何枚かの色紙に「蛍の羽音が聞こえてきたよ」と書いたのであった。
六月末になると蛍がしきりに飛び交う。堂々と山門をくぐって来る蛍もいる。みんな月から降りて来る仏さまたちなのだと思う。
山門を入り来る源氏蛍かな 大岳