平成十九年 恭賀新春
祥福
曹洞宗管長
大本山總持寺貫首
大道晃仙
あけましておめでとうございます。新年を迎え、謹んで皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
元旦は、すべてのものが面目を一新します。元旦がめでたいとされる所以の一つでもあります。元旦と昨日の朝と具体的にどこがどう違うのか、明確な指摘は難しいものですが、明らかに両者は異なっていると言えます。
逆にそれと同時に、古えの時代から多くの時代を経て今年の元旦へと連綿とつながっている、いわば一本の動かし難い存在をも、われわれは実感することができます。
万物のありようというのは、一瞬一瞬こうした前後截断の状態と、途切れずに連続している関係との両面が具わっています。そしてそういった大きな摂理の中にわれわれは生かされています。
「祥福」とは大変にめでたいことを表しますが、古来禅門では「起居(居起)萬福)」という言葉が親しまれています。この言葉は、人々の健康、無事を祝う挨拶として述べられることが多いのですが、語の意味合いとしては、日々の起居進退のすべてにおいて、一つ一つの行持に絶えず至心に打ち込むこと、そのこと自体がすなわち何ものにも代え難い幸福なことなのだ、ということを示しています。仏祖の行履に随順していることと、幸いとは同時であるということです。現実の生活の中で各々よく噛みしめるべき要諦です。
能仁寂黙(のうにんじゃくもく)
大本山永平寺貫首
宮崎奕保
「四生の終帰万化の極宗なり、人尤悪鮮し、能く教うれば即ち化す。この法によらずんば何をもってか枉れるを直せん」
これは聖徳太子十七条憲法第三条のことばです。
元来日本は「随神(かんながら)」の道といって、努力を惜しまない実行性のある人々の住む国でした。そこへ仏教という教えが伝わって来ました。元々努力の国民が仏教という文化を得たのです。聖徳太子はこの仏教文化を広げるのに大変功績のあった方です。四生とは母胎から生まれる胎生、卵から生まれる卵生、水から生まれる湿生、更に仏様のように時々に形をかえ、姿をかえて衆生を済度される化生、この四生は総て仏法僧の三宝から生ずるといわれています。万化とは草木国土、障壁瓦礫一切の森々羅列の大自然、大宇宙の姿です。釈尊の菩提樹下での端坐六年の蹤跡は即ち天地の道理と申しますか真理を実行した姿です。それが只管打坐です。又真理の実行者である釈迦牟尼のことを能仁寂黙とも申します。人尤悪鮮しとは、人は生まれながら極悪非道なむごい心を持ったものはいない、だから能く教うれば即ち化すと申されました。
真理とは誠のことです。誠は天の道なり、是を誠にするは人の道なりということばがあります。誠を黙って実行する。教えは実行するためにあります。観念の教えに止まってはなりません。実行するから仏道です。高祖さまは只管打坐を説かれました。只管打坐こそが、黙って誠を実行した姿です。
どうぞ坐禅に親しんで下さい。