お位牌について教えてください

僕の母は僕の祖母より先に死にました。
 母の位牌は義父の家にあり、
 お骨も義父が建てたお墓に入っています。
 祖母のもとには無く、淋しそうなので、
 せめて、お位牌だけでも作ってあげたいのですが、
 現在、祖母の家にある仏壇には、僕の曾祖母のお位牌があり
 名字も違い、宗派も違うので、一緒にしてはいけないのかと
 悩んでます。

 母には戒名はなく俗名なのですが、
 位牌には、氏をいれなくてはいけないのでしょうか?
 できれば、名前だけにしたいのですが...
 分からない事ばかりで困っています。
 どなたか教えてください。
 よろしくお願いいたします。


あなたの場合にはむしろ積極的にお祀りすべきです(回答者:常輪寺住職 中野天心)

 ご母堂様を亡くされた由、心からお悔やみ申し上げます。わたくし自身も今から20年前、26の時に父親である師匠を失いましたので、その悲しみや寂しさがお察しできます。

 結論から先に申し上げれば、宗派が異なろうと、姓が異なろうと、亡き方をご供養申し上げる気持ちからお位牌をお祀りするのであれば、なんら問題はございません。
 わが家にも、お檀家の方々のお位牌をお祀りする位牌堂とは別に、お仏壇(お内仏)がございますが、このお仏壇の中には、私の父親のお位牌のほかに、父親のお師匠様のお位牌、父親の生家の両親のお位牌(父である師匠は寺の子供として生まれたのではなく、在家に生まれ、文字どおりの出家ですので)、私の母の生家の両親(私にとっては祖父母)のお位牌、そして2年前に逝去しました私の妻のお父さんのお位牌と、5種類の別々の姓のお位牌をお祀りして礼拝・ご供養致しております。

 物の本や、人によっては、「姓の異なるお位牌を同じお仏壇に入れると仏様同士が喧嘩をするからよくない」などと教える人がございますが、こうした考えは、迷いだらけの人間、凡夫の物差しから出る誠に愚かな発想です。本来仏さまというのは、他と自分を区別することなく、「自分さえよければ」という浅はかな考えを離れた存在で、むしろ手を携えて、「共にこの迷いの此岸から悟りの彼岸へ渡りましょう」とおっしゃる方々なのです。仏様同士が喧嘩するなどあり得ません。
 また、かつての封建的な考えの名残りで、お嫁にとついだ女性は、「実家のことは忘れ、ひたすらとついだ先の仏さまを大切にすべきである」というような倫理的考えから、「実家の親のお位牌でも、とつぎ先に持ち込むべきではない」と主張する人がいます。実際の生活の中で、夫の両親たちと上手なコミュニケーションを図っていくためには、筋論だけで押し通せない場合があろうかと思いますが、やはりこれなども謝った習慣であり、謝った理解と言わざるをえません。理想としては、夫やその両親の方が、「あなたのご両親のお位牌ならば、私たちも一緒にご供養させて頂きましょう」と言って、進んで受け入れて下さることが最も望ましいことです。
 いずれに致しましても、姓が異なるから、宗派が異なるから、などの理由で大恩ある方のお位牌を自分の家のお仏壇に入れてはいけないなどと考える必要はございません。生きている人間同士の中で、そのことによって不和が生ずるというのであれば、実行に移す前に十分なる話し合いをし、理解を得ることも必要になってまいりましょうが、あなたの場合にはむしろ積極的にお祀りすべきです。

 一般の方から考えますと、「仏事のことは作法などが難しくてよく分からない」という方が多いのですが、極論を申し上げれば、「本当にこのことを仏さまが喜んで下さるだろうか」ということを、判断の基準になさるのがよろしいと思います。そうした時、付事もそうですが、「立場を変えてみることで物事の真実がより明確になる」ということが少なくありません。亡き人のご供養についてもこのことが言えます。自分が今生の命を終えていざ旅立つ時、自分が遺していかねばならない子供や孫など、身近ば人たちの何を願い、何を望むか、自分亡き後どう生きていってほしいと思うか、このことを真剣に考えますと、おのずと自分が供養する立場に立った時の在り方が見えてまいります。

 我々は、本当に自分自身の内面に親先祖の心と命を受け継ぐことが出来ればあえてお位牌をお祀りする必要もありませんし、自分自身の内なる仏の働きを実感できれば仏さまの像を飾って礼拝する必要もないのだと思います。我々自身の一つ一つの行動そのものが、親祖先や仏さまのお心にかなう生き方となるのですから。しかし実際は、わたくしたちはそんなに完全な存在ではありません。むしろ、間違いだらけのお互いです。そうした時に、親先祖のお位牌に向かい、「本当に仏さまが喜んで下さるだろうか」と問わせていただく。その意味において、お位牌をお祀りすることが大切なのです。

 そして、娘さんを先に送られたお婆さまについては、もう一つ別の意味があろうかと思います。
 かつて私は大学で、宗教民族学の時間に非常に興味深いお話しをうかがい、鮮明に覚えている研究発表がございます。アメリカの宗教学者による調査発表によるものだそうです。
 その宗教学者が、日本人とアメリカ人の若くして夫を失った女性50人づつの、その後の追跡調査を行ったのです。
 アメリカ人の若い女性の方々は、50人中50人総てがアルコール依存症になったり、鬱病になったり、ノイローゼになったりと、みな精神的に不安定になったといいます。
 ところが日本の女性の方々は、やはり初めのうちは夫を失った悲しみに打ちのめされますが、いずれも立派にその悲しみから立ち直られたというのです。そして、その原因は何なのか色々調査され、次のように結論づけられるのです。アメリカの女性の方々は、夫が亡くなるとすぐにお墓に埋葬し、あとは身近なところに何も残らないというのです。ところが、日本の女性の場合は、お墓に埋葬しても身近なお仏壇の中にお位牌が残り、嬉しいことも悲しいこともそのお位牌に語りかけながら対話し続けることができるというのです。20数年前にうかがった内容ですので、果たして現在もこれと同じ数字になるかどうかは分かりませんが、非常に頷ける内容だと思います。
 ご母堂様の場合も、年齢からすれば「自分が先に」と思っておられたと思います。娘さんを失われた悲しみを多生なりとも癒すには、やはり一方通行ではあっても、語りかける存在のあるか無いかは大きな違いになってこようかと思います。
 是非、お位牌を作ってお祀りしてあげて下さい。
 姓を入れる、入れないは大した問題ではありません。入れたくなければ入れなければよいと思いますし、入れることでより故人を深くイメージ出来るのであればお入れになるのがいいと思います。
 お聞きになりたいことにお答えするのにいささか蛇足に走りすぎたかもしれませんが、あなた様やご祖母様の心の安らぎの一助になれば幸いに存じます。



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