「宗門」とは何か(続き)
―宗教集団論の視点から―
駒澤大学名誉教授・文学博士 佐々木 宏幹
一、はじめに
前号(一〇号)においては、現代の日本仏教各宗において「宗門」と通称される宗教(仏教)集団の構造の特色について述べた。
その骨子は、曹洞宗を含む伝統的仏教教団の仕組みは、従来の宗教学や宗教社会学における宗教集団の分類では説明し難い特色をもつというものであった。
その分類とは「創唱宗教集団」と「自然宗教集団」の二つである。
創唱宗教教団は、釈尊やイエス・キリストのような特定の教祖・開祖が唱え創りだした宗教集団であり、その教義や理念は人種、民族や国家の枠を超えて広く伝播・普及する普遍的性格を具えている。
他方、自然宗教集団は家族、集落、部族、民族などの諸集団(社会)において自然に生成・発展した宗教集団であり、その宗教観念と儀礼・慣行は当該集団(社会)を超えて他集団(社会)に弘通するような伝道性を欠く、特殊的性格をもつ。
前者は世界宗教とか成立宗教と呼ばれ、後者は土着宗教とか民族宗教と称される。
多少とも宗教に感心のある人であるなら、仏教は創唱宗教であり、神道は民族宗教であるという説明に異を唱えることはまずあるまい。
ところがである。
仏教教団の実態を調査・検討してみると、概して教団の性格や役割は創唱宗教集団の態を成しておらず、自然宗教集団と重なり合っており、実際には創唱宗教である仏教が自然宗教たる自然宗教たる民族宗教的な諸要素によって下支えされていることが明らかになってきた。
典型的な部分を取りあげて言うなら、仏教を仏教たらしめている空や縁起の思想や理念が、民族宗教的な霊や魂の信仰・感情を否定したり批判したりするといった動向は弱く、むしろ前者が後者の上にみずからを変容させながら乗っかって落ち着くという状況が見られるということである。
したがって、教団としての仏教の特色は、創唱宗教的ではなく、だからと言って自然宗教的でもなく、言うなれば「創唱的―自然的宗教集団」とでも呼ぶべきものである、というのが前号の帰結であった。
もちろんこうした教団の状況にたいして、教団を構成するすべての僧職者たちと檀信徒・信者が手をこまねいていた訳ではない。
教団レベルで見られた、たとえば真宗の「同朋会運動」、浄土宗の「おてつぎ運動」、曹洞宗の「三尊仏奉祀運動」、「総授戒運動」などは、大局的には教団(宗門)の伝統的体質である自然宗教性を離脱して本来の創唱宗教性を実現することを目指した宗教運動であった。成功したか。
当初こそ華々しかったが、時がたつにつれて意気込みが萎えてきて、はてはスローガンのみが目立つというのが各教団のリーダーたちが切実に経験したことではなかったか。
どうして「笛吹けど踊らず」の状態になったのか。さまざまな要因を挙げることができようが、管見によれば、教団要路の人物や学者が構想した改革のスローガンが、現場の僧職者と檀信徒(信者)を突き動かすことができなかったからである。
どうして現場は突き動かされなかったか。
「現状でもやれる」からであろう。
先の教団分類から言えば、教団エリートやインテリは時勢の情報に敏感に反応し、今こそ真の「創唱宗教集団」を目指す好機と捉えたのにたいして、現場はなお「創唱的―自然的宗教集団」で結構と判断したからではなかったか。
今、各教団および寺院現場には、かつて経験しなかったような逆風が吹きまくっている。
その要因は永い間、創唱宗教性を下支えしてきた自然宗教集団が、都市はもちろん地方においても音をたてて崩れつつあると見られるからである。こうした宗教―社会情勢のなかで現場はどう対応すべきであろうか。
この難しい問題にアプローチするための切り口として、以下では宗教教団の要である僧職者の現状を取りあげてみたい。
二、僧職者の宗教的多重性
ここでこれまで使用してきた用語の意味内容を、より明白になるように改めて限定しておきたい。まず「創唱宗教集団」の中核を形成しているのは主に僧職者たちであることは言うまでもあるまい。これにたいして「自然宗教集団」の担い手は主として檀信徒(信者)たちである。
したがって各宗門を構成する「創唱的―自然的宗教集団」とは内容的には、「僧職者―檀信徒(信者)集団」を意味するということになる。
かくして「僧職者―檀信徒(信者)集団」は、創唱宗教(釈尊や祖師が説き示した宗教)を志向する僧職者と、「自然宗教(地域的な宗教的慣習や伝統から成る宗教)に傾斜し信奉している檀信徒(信者)集団」という理念的には相反し矛盾する二つの集団より成っていることが明らかになろう。
現実的には、縁起・空の教えに生きようとする人たち(僧職者)と死者・先祖(霊)の安泰と守護を求める人たち(檀信徒(信者))との集合体である。
どうして互いに志向し目指すものが異なる二つの集団が合して「宗門」という宗教教団を構成するに至ったのであろうか。
この問題は厳密には日本宗教史、仏教史研究のジャンルに属する問題であり、軽々に帰結しえない事象である。
このことを承知の上で、ここでは現代僧職者論の視点と資料から私見を述べるに止めたい。
曹洞宗の『宗勢総合調査報告書』(一九九五)や『檀信徒意識調査』(一九八四)などから推定すると、宗門の僧職者は大別してT「専ら只管打坐を志向する僧」とU「坐禅に打ち込みながら死者・先祖儀礼他にも関わる僧」、およびV「専ら死者・先祖儀礼他に熱心な僧」の三グループに分類できるようだ(このことに関して筆者は別の表現で類似の分類を試みたことがある(『命と鎮魂』河出書房新社、一九七五)。
これらT、U、Vの僧職者の位置づけは、どこまでも理念型であり、現実にはそれぞれにバリエーションがあることは言うまでもない。
世間で禅系の僧職者を呼ぶ用語に「禅坊主」と「葬式坊主」というのがある。前者はTを指し、後者はVと重なるが、不思議なことにUを呼ぶ用語が知られていない。
私は現実に教団を支えているのはU型であると考えるのだが、世間の、とくに知識人の関心は専らTに向けられているように思う。
T型とV型の僧職者は理念的に相反するが、U型の僧職者は、TとVの間に生じる相反性や矛盾性を柔軟にブリッジする役割を果たしていると見られる。
前号で私は、教団としての仏教の特色は、創唱宗教教団ではなく、だからと言って自然宗教的でもなく、言うなれば「創唱的―自然的宗教教団」とでも呼ぶべきものであると記した。
これを改めて整理すると(a)「創唱宗教集団」、(b)「創唱的―自然的宗教集団」、(c)「自然宗教集団」となる。この理念型は僧職者の理念的分類にもよく重なる。
「T―(a)」、「U―(b)」、「V―(c)」である。創唱宗教的な集団と自然宗教的な集団とが反目することもなく多重・重層化して「創唱的―自然的宗教(集団)」という独特な宗教的集合体を形成しえたのは、おそらく両者を媒介しえた?型の僧職者、すなわち「坐禅(理念)に打ち込みながら死者・先祖儀礼他にも関わる僧」の存在によるところ大である、と仮説することは、十分に可能であろう。
同様の分類は「檀信徒(信者)集団」に対しても可能であるはずである。
檀信徒(信者)のなかには「僧侶は葬儀や先祖供養にのみ関わってはならない。もっと教義を教え示すことに熱心であるべきだ」とか、さらに「仏教は本来葬儀などに関わらなかった。僧侶は死後よりも現に生きている人びとの〈苦〉にまともに立ち向かい、その解決にひたむきであるべきだ」などの声を上げる人びとがいる。
こうした人びとはインテリ・文化人層に多いが、確実に増えているようだ。
先の僧職者分類を用いるなら、このような人びとは、V型に批判的であり、T型またはU型の僧職者を求めているに違いない。ただしこの種の檀信徒(信者)のパーセンテージはどれ程かについては、ほとんど知られていないのが実情である。
いずれにせよ、教団であれ、僧職者・檀信徒(信者)であれ、その実態は多重構造になっていること、そしてことに重要なのは?型すなわち中間型である(らしい)事実に注目したい。
三、宗教的多重性の課題
すでに仏教に代表される創唱宗教(集団)と霊や魂の信仰・感情を基にしている自然宗教(集団)とが、この国では対立・相克し合うことは少なく、創唱宗教である仏教が自然宗教である死者・先祖信仰の上に乗っかって落ち着いているのが現状であると見られると記した。
別に表現すれば「仏教が民俗宗教の上に乗っかっている」ということにもなろう。
このような現象あるいは文化を「仏教(創唱宗教)と民俗宗教(自然宗教)との"融合"」と説明する研究者もいる。
しかし、融合とは「とけて一つになること」を意味する(『広辞苑』)とすれば、少なくとも現場に生きている仏教は、創唱宗教と自然宗教とが一体化して一つになっているとはとても言えまい。伝統仏教教団が熱心に「教化」の必要性を説くのは「他(相手)をして自ら(仏教)に同ぜしめる」ためではないか。
本稿で何度も述べた「創唱的―自然的宗教(集団)」という用語は、仏教の教義・理念を掲げる僧職者と、僧職者に死者・先祖(霊)の安泰を求める檀信徒(信者)とが"多重的関係"において一つの集合体を成していることを意味する。
例を挙げよう。
葬儀において僧職者は本尊に代わって儀礼を行い、依頼者の故人を仏道に引導する。
他方、葬儀の依頼者は少なくともこれまでのところ故人が死後世界で安定化し、先祖(霊)となって関係する生者たち(一族)を守護してくれることを願って葬儀を営む。
僧職者は故人の「成仏」を願い、依頼者は故人の「成祖」(先祖に成ること)を願う。
「成仏」は「空」の境地の実現であるが、「成祖」は「霊」の系譜の存続にある(あった)。
「成仏」と「成祖」はこのように異なる概念であり、融合しきれない内容を包蔵している。
しかし現実には「成仏」と「成祖」は重なり合い、関係し合って寺檀関係を支える思想原理になっている。宗門(教団)を創唱的(仏)―自然的(祖)宗教集団と呼ぶゆえんである。
「成仏」と「成祖」という異質の思想・感念がどうして重なり合い連携し合って、日本仏教を特徴づける「葬祭文化」を形成するに至ったかについては、さまざまな解釈や説明がなされている。
私は先行諸研究と調査資料に拠って、このことは「ほとけ」の語と観念がこの国の津々浦々にまで伝播・普及したことにより可能になったのではないかと仮説した(拙著『〈ほとけ〉と力―日本仏教文化の実像―』吉川弘文館、二〇〇二、『仏力―生活仏教のダイナミズム―』春秋社、二〇〇四)。
「ほとけ」はすぐれてダイナミックな思想観念である。すこぶる柔軟にして弾力的かつ曖昧な「ほとけ」は、日本人の思想と文化の深層解明にも有効であると考えるが、ここではこれ以上触れない。
すでに述べたように、現代の日本は社会的にも文化的にも変動甚だしい。家が崩壊し、地域社会が解体を余儀なくされている。
それは宗教において伝統的な「創唱的―自然的宗教(教団)」の基盤を激しく弱体化させる現象であるとする識者の見解は多い。
自然的宗教(教団)の担い手はまさしく家と地域社会であったからである。
創唱宗教を現場で支えてきたのが自然宗教であり、その支え手が弱体化するとすれば、宗門(教団)にとって、まさに一大事である。多重宗教構造の土台・基盤の大きな揺らぎにどう対処するか、あるいはできるか。この大きすぎる課題にたいして、日本仏教(宗教)界は、まだ答えを出していない。