日本仏教を支えてきたものとは何か
――宗教慣行の崩壊という問題をめぐって――
駒澤大学名誉教授・文学博士 佐々木 宏幹
一 はじめに
「日本仏教を支えてきたものとは何か」。このテーマを目にして、人びとの反応はけっして単一ではなく、多様かつ多重であろうと思う。
公約数的な回答は、おそらく「仏教への信仰である」と言うことになるのではあるまいか。「信仰」という用語はいろいろな文脈で使われるが、「宗教」にとくに関わる用語であることは、今や人びとの常識になっているからである。
それでは、日本仏教を支えてきたものが「仏教への信仰」であるとするならば、その「仏教への信仰」とは何かという問いを出したらどうであろうか。
これまでの調査の経験則からすると、この問いへの回答は、とても一筋縄には行かないことがはっきりしている。
曹洞宗ならば「それは釈尊への信仰」であるに始まって、「一仏両祖」だ、「縁起・空の法」だ、いや「只管打坐」だ等々、洞門的仏教理念が人により、それぞれ「信仰イメージ」を異にしながら多様に表白されるであろう。
これに他宗の場合を加えるとどうなるであろうか。「阿弥陀仏への信仰」、「法然上人」、「親鸞聖人」、「お浄土」、「専修念仏」等々、さらに「日蓮大聖人」、「本門の題目」等、宗によりまた派により「これぞ信仰対象」とする「もの」にかなりの差異と開きがあるはずである。
以上に挙げた「仏教への信仰」の多様な内容は、仏教について、とくに教義や理念について、かなりの知識を持っている人たちの見解であると言えよう。
いわば仏教の「タテマエ」を重視する「仏教的エリートたち(層)」の回答である。
ここで言う仏教的エリートとは、仏教に関心をもち、仏教の教義・理念の理解に積極的な人びと、および仏教信仰に基づく儀礼や実践に関わる人びとを指す。 より具体的には仏教を研究する学者、各宗僧侶および仏教系知識(文化)人や在家の篤信者たちがこのカテゴリーに属するであろう。
このカテゴリーを「仏教的エリート」と「的」を用いて曖昧に表現したのは、その内実が必ずしも明確ではないからである。
つまり仏教学者が仏教の熱心な「信者(徒)」であるとは限らないし、他方篤信者(徒)が仏教(教義)の深い「理解者」であるとは必ずしも言えないだろうからである。
このように「仏教的エリート」層なるものは、さまざまな人たちを含んでいるが、それでもこの人たちがこの国の「見える仏教」の代表者であることは明らかであろう。
この仏教的エリート層は、この国の「仏教徒」の何パーセントを占めているのであろうか。最新のたしかな情報を私はもっていない。
『宗教年鑑』(文化庁)の報告のように、仏教人口をざっと一億人と見積もるとして、エリート層は一パーセント(百数十万人)にも達しないのではなかろうか。
いまわが国の「仏教徒」人口を約一億人と見積もるとしたが、この仏教徒が実に多様な人びとから成っていることは言うまでもない。
各宗寺院の檀信徒・門徒はもちろん、初詣その他の機会に寺院を訪れて仏前で合掌する人たちもこのカテゴリーに含めたい。
こした仏教徒の大多数は、仏教書に親しみ、仏教思想を生きる拠り所として掲げ、著書をものし、講演(義)をし、儀礼を通じて教化に励む人たち、つまり「仏教的エリート」とは若干のダブリはあっても、明らかに別のカテゴリーに属すると見なされる人びとである。
それは「仏教的マス(大衆)」層であり、エリートたちの「見える仏教」にたいして「見えない仏教」を生きる人びとである。
この仏教的マス層を形成している人びとは、仏教に関わり、関係する寺院と僧侶を実質的に支えてきた人びとではあるが、総じて彼らは仏教の教義を高らかに語ったり、互いに法論を闘わせたり、メディアに出現したりすることの滅多にない、その意味で「見えない仏教」徒なのである。
これまで「仏教とは何か」との問いにたいして、その答えは主として「仏教的エリート」たちによってなされることが多く、したがって教義・理念中心の「高邁にして深遠な仏教」であった。数にすれば仏教徒人口の一パーセントにも満たないであろう仏教的エリートたちが「見える仏教」を声高に説いてきたわけである。
これにたいして「仏教徒」の約九〇パーセントを占める「見えない仏教」を生きてきた人たち――仏教的マス層は、みずから大きな声を挙げることもほとんどなく、ひたすらエリートたちの言動に従ってきた観がある。
ところがここにきて、とくにこの十年間に「見えない仏教」の担い手である仏教的マス層に異変が生じ、これまで押し黙ってきた仏教徒たちが都市社会を中心にいろいろな声を挙げ始め、さまざまな行動にでてきた。
その動きは仏教的エリートたちにも少なからず影響しだしているかに見える。一体何が生じているのであろうか。
二 理念と慣行のあいだ
長い間、「見える仏教」を生きる人びと、すなわち学者や僧侶、文化人は、仏教は高度で深遠な教えをもつ宗教であることをいろいろな形で示し続けてきた。
学者のわかり難い講義と著書、論文、華麗な袈裟を身に着けた僧侶の読経と儀礼、大寺院の奥に蔵される国宝、重文級の仏像。文化財としての諸堂、広大で手を尽くした庭園。
これらキラキラしい「見える仏教」にたいして、檀信徒を含む一般の人びとは、「お寺は有り難いところ」、「お坊さんは有り難い人」、そして僧侶によって説かれる仏教は「よくわからないが有り難い教え」と自然に受けとり、納得する「慣行」の中で生きてきた。
どうして寺や僧侶は有り難い存在なのか、なぜ意味のわからない経文が有り難いものなのか、などの問いを発する一般の人びとはほとんどいなかった。もしもそのような問いを執拗に発する人がいれば、その種の人は多数者から変わり者視されるか、無視された。
僧侶からの依頼や要請は多少の無理があっても「お寺さんのことだから」として受け入れてきた。どうしてか。「昔からの慣行(しきたり)」であったからである。
その「慣行」とは何か。
慣行とは「従来からのならわしとして行われること」であり、「いつもすること」である。「習俗」の語を用いることもある。
正月には注連縄を張り、雑煮を食べる。お彼岸やお盆には墓参りをする。お盆の十三日夕べには迎え火を焚いて精霊を迎え、十六日には送り火で精霊を送る等々。
人びとはそれぞれの行事の意味をよく知って行うわけではない。「昔から行ってきたから」、「皆がするから」行うというのが慣行のまさに特徴である。
こうした慣行はさまざまな要素からなっており一概には言えないが、重要なものにはある種の宗教・社会的拘束性が伴っている。
たとえば正月の初詣やお盆の墓参りをしないと「気になる」とか「ロク(碌)なこと(善いこと)がない」と感じている人は現代の若者にも少なくない。
これは、信仰のあるなしにかかわらず、年々の節目に神仏や死者・先祖に参詣しないと自分または家族にとって善くない(悪い)ことが生じるかもしれないと捉える認識または感性が人びとを参詣行動に向かわせているのであり、すぐれて宗教・社会的拘束性に他ならない。
このように「何々をしないと善くない」とか、逆に「何々をすると善くない」という類の拘束性を伴った慣行が、かつてはこの国の各地で数多く守られており、そのような慣行を身につけることが一人前の人間になる条件であった。そして「何々をしてはいけない」という倫理感覚の基盤であった。
それでは、数々の宗教慣行を根底で支えていたものは何か。簡単に表現することははばかられるが、あえて記せば「人知を超えたものへの畏れ」となろうか。
人知を超えた「もの」とは何かについて、歴史的に展開した諸宗教は実にさまざまな名称を与えてきたが、日本語を例にすると漢字の「物」と平仮名の「もの」とになる。
前者は物体、物品を指すのにたいして、後者は仏・神・鬼などを「忌み避けていう語」とされる。「忌み避ける」とは「遠慮し慎む」ことであるから、対象自体があまりにも畏れ多くて直接表現できないので間接的に表示するということである。
『源氏物語』でよく知られる「もののけ」(物の怪)は、死霊や生霊などの祟りを意味する語であった。
ここで「祟り」の語が出てきたが「祟り」は「神仏・怨霊などのするわざわい」をいう(『広辞苑』)。そして「あとの祟りが恐ろしい」とか「弱り目に祟り目」などの言葉は現に使用されている。
つまり人知を超えた「ものへの畏れ」とは「もの」が人間生活に及ぼし与える災いへの畏れであると言えよう。そしてさまざまな災いを転じて福となすための営為が各地の、とくに村や町の宗教慣行である。
このように各種の慣行を下支えしてきたのは人知では計りえない「もの」への畏れであり、畏れおおい「もの」への対応であった。
「もの」は神仏から鬼、魂、怨霊や妖怪などを含む漠然として曖昧な概念である。「ならわし」や「しきたり」としての慣行が合理的かつ科学的な批判に曝されながらも永続するのは、決して一筋縄にはいかない漠然として曖昧な諸要素を包みこんでいるからであろう。「もの」を「力」と表現することも可能であろう(拙著『仏力』二〇〇四・参照)。
さきに「見える仏教」と「見えない仏教」という表現を用いたが、概して「もの」の内容を分析・相対化し、みずからが掲げる理念に意図的に導こうとするのが「見える仏教」者である。これにたいして「もの」の構成内容にはあまり関心がなく、多数者が行う宗教慣行に従っていれば、災いが去り福を招きうると思いかつ感じて行動を起こしているのが「見えない仏教」徒たちである。
いま「見える仏教」と「見えない仏教」を対置させて説明したが、実際には両者は相互補完関係において存続してきた。ところが現今、両者の補完性、平衡性にかなり深刻な問題が生起していることが指摘されている。
それはどういうことか。
三 「もの」への畏れ感覚の衰弱化?
本稿のテーマは「日本仏教を支えてきたものは何か」である。
これまで述べてきたのは、仏教を「支えてきたもの」は「人知を超えた"もの"への畏れ」ではないかということであった。この「もの」の中身は仏・神・鬼・魂などであり、おそらく仏教人口の約九〇パーセントを占める人びと(「見えない仏教」徒)は「もの」への畏れ感覚や意識により、僧侶や寺院に関わり、これを支えてきたというのが、本稿で述べたいことであった。
これにたいしては「見える仏教」者たち――学者や多くの僧侶からは、ただちに反論的な見解が寄せられることであろう。
いわく、「もの」への畏れ感覚などとんでもない。「もの」(物)は実体であり、無常・無我の理念にもとること甚だしい。そうした迷信まがいのことを認められるか。
いわく、人びとの仏教慣行は「もの」のはたらきである災いを転じて福となそうとすることからなっているという捉え方は、人びとの信仰を古代または原初の宗教のレベルに貶めることではないか。
またいわく、「もの」の祟りとか障りなどを問題にするのは、仏教徒をかの霊感商法の徒と同一視する視点ではないか。仏陀の合理的な教えに反すること著しい。
いま、仏教的マス層の仏教慣行の中身は「?もの?への畏れ感覚」ではないかとする仮説への仏教的エリート側からの予測される反論を三例挙げてみた。
これら三例の物言いはある意味では正しい。「ある意味で」とは、仏教の教義・理念からみてという意味である。または「見える仏教」者の間では、ということでもある。
たとえば仏教の理念からすれば、「もの」(霊や力)に振り回されることなどあってはならない。
仏陀の理念は「すべてのものは移ろいゆく。移ろいゆくものへの執着が苦を生む。だから移ろいゆくものに執着するな」という捉え方を根幹とするからである。
この宗教観(感)・人生観は、「見えない仏教」徒の「もの」信仰と真っ向衝突する。
多くの人びとにとっての主な仏教とは、死者の葬儀と追善供養であるが、それらでは死者の人格ならざる「霊格(位)」、つまり「もの」へのこだわりが人びとを儀礼行動に駆り立てているからである。その背景にはすでに述べたように、人びとが生まれ育った社会(村や町)における「ものへの畏れ」という意識や感覚があり、その行動の型としての慣行があった。
仏教の「移ろいゆくものにこだわるな」という理念は、この国の人びとの仏教文化の特徴である「死者」、「先祖」、「葬儀」、「墓」、「仏壇」など、さまざまな「もの」へのこだわりという慣行を相対化し、無意味化するはずであった。
ところが、そうはならなかった。どうしてか。歴史的な経緯の説明を省略して肝所をいえば、「ものにこだわるな」という理念と「ものにこだわりたい」という願望とが相互補完関係を築き上げたからである。
さらにいえば、一切皆空を説く一パーセント程の「空性族」は一切皆色(?)にこだわる九〇パーセントの「もの族」に実質的に支えられてきたし、現に支えられている事実に目をつぶってはなるまい。
換言すれば、「見える仏教」者の主張する教義と理念は、「見えない仏教」徒によって「もの化」されたのではないかということである。
このような相互補完関係の構造のなかにあって、僧侶は「見える仏教」者にはタテマエを説き、「見えない仏教」徒には地域の慣行(「もの」への畏れをベースにしている)に乗っかって規範どおりに役割を果たせばそれで十分であった。説教などにおいて、「もの感覚」に矛盾するような内容を吐露しても、問題は生じなかった。大方の人びと(もの族)は、僧侶を経文も、儀礼もすべて「もの」と繋げて受けとったからである。
ところが現今、「見えない仏教」徒を永く特徴づけてきた慣行(ならわし)が、大都市を中心に激変しているとされる。この慣行は地域社会の構造や文化と深く関わっているから、地域社会が変化すれば、当然慣行も変化するだろうことは容易に予想される。問題は慣行のベースである「"もの"への畏れ」感覚がどうなるか、である。もしこれが衰弱化するとすれば、伝統仏教(教団)にとっては実に由々しき事態であることはいうまでもあるまい。
【お詫びと訂正】
「仏教企画通信」第11号の佐々木宏幹先生のタイトルが間違っておりました。おわび
して訂正致します。「宗門」とは何か(続)―現代僧職者論の視点から―が正しいタ
イトルでした。