僧侶が身につけた力こそが禅寺を支える

曹洞宗龍泉院住職 椎名宏雄


椎名宏雄師は、二十三歳の若さで千葉県柏市の曹洞宗龍泉院の住職となった。以来五十年間、檀家も少なく、また地域の特性によって収入面では極めて厳しい中で地道な活動を続けてきた。そして長く継続されてきた活動は今、花開き実を結んでいる。住職として歩んできた道と、寺院・僧侶のあるべき姿について、椎名師にお聞きした。


――龍泉院の住職になられたのは二十三歳の時だそうですが、色々とご苦労もあったのではないでしょうか。

 もともと檀家さんが少ない寺だったのですが、それに加えて、この地域では法事を行う習慣がほとんどありませんでした。ほとんどの家がお通夜もしません。ですから収入は葬儀だけだったのです。施食会は赤字でした。五十年前の会計簿を見ますと、寺の年間収入は三万円前後です。他に職を持たないと、とてもやっていけませんでした。
 お寺の収入はともかく、お通夜もしない状況は変えなければならないと思い、色々と努力しましたが、なかなかうまくいきませんでしたね。千葉県は、信仰の篤い港町を除いて全般的にそういう傾向が強いようです。ですからお寺の方も、収入を確保するために葬儀で高い額をいただくようにするしかない。すると檀家さんは不信感を抱いて、ますますお寺との付き合いを減らしていきます。悪循環になっていたのです。千葉は昔から無仏法と言われますけれど、無仏法というのはこういう悪循環のことを言うのだと思いました。
 私はそこで、呼ばれなくても自分で荷物を担いで通夜に行くようにしたのです。それを断る家はありません。「ご苦労さまです」と言われてお勤めしました。しかし、そのうちに総代さんから「坊さんが、お布施ほしさに通夜にまでやってくる、と陰口を言っている檀家がいる」と、聞かされたのです。私は暗澹たる気持ちになりましたが、「お金のことなら解決できる」と思い直し、こちらからお見舞いとしてお金を包んで行くようにしたのです。それからは何も言われなくなりました。今でも古い檀家さんには、香典を包みますが、これはその名残なのです。
 昭和四十年代後半ごろから状況はかなり改善されまして、お通夜はどこの家でも行うようになりました。法事も十七回忌だとか、そのくらいまでする家が増えてきています。その反面、あいかわらず一周忌もしない家がありますが、そういう例は非常に少なくなりました。

――龍泉院では坐禅会をやられているそうですが、教化布教として実績をあげているのでしょうか。坐禅会を、お寺の教化活動として始めても、人が集まりにくい、という話をよく聞くのですが。

 坐禅会に人が集まりにくいのは、その通りだと思います。たとえば、檀家さんを主な対象にしようと考えたら、まずうまくいかないと思います。私の場合は、はじめに二十〜三十人の方に対して「これから毎月定例の坐禅会を開きますので、よろしければご参加下さい」といったような文面の葉書を出しました。出した相手は、青少年相談員ですとか、農業関係の役員だとか、地域のリーダー的な方などです。
 そして第一回の坐禅会に集まったのは八名でした。三十八年前のことです。それからだんだんと人数が減っていきまして、一名ということが一度、〇名が一度ありました。〇名の時は私ひとりで坐りました。そんな細々とした状態が続いていたのですが、二十七年前の昭和五十七年に、本堂を建て直した頃から、参禅者がだんだんと増えてきました。新しい本堂で坐ってみたいという気持ちもあったでしょうし、坐禅会が周知されるようになってきたということもあるでしょう。
 新聞にごくごく簡単な案内を出したこともあり、それを見て市外から来た方もおります。また、昨年ウエブサイトを開きましたが、それを見て来られる方は結構多いですよ。ある程度のPRは必要だと思います。
 定例の坐禅会は、毎月第四日曜日の九時から始まりまして正午まで。三十八年間まったく同じスケジュールです。違うことと言えば、私がしている正法眼蔵の講義の内容と、坐禅会の前に三分間くらい喋ることですね。これらは、ある時期から録音するようになりました。そしてそれを活字にして、毎年『口宣』一冊にまとめていますが、今はもう十冊になっています。
 定例会の他には、一夜接心ということで六月の上旬に一泊両日に渡って行う坐禅会があります。また、最近は三仏忌の法要すべてを参禅会の会員と一緒に行っています。法要の配役はすべて会員が務めます。それと、家内が梅花講を教えていましてその会員さんが十五名ほどいるのですが、三仏忌や施食会などは、梅花講の会員と参禅会の会員が一緒にやっていて非常に良い雰囲気ですね。
 今年の成道会では、参禅会から三人目の出家者が出まして得度式を兼ねて行いました。この三人目の出家者は、この寺の歴とした檀家さんです。

――檀家さんで参禅会に参加される方は多いのですか。

 いいえ。参禅者は毎回だいたい三十名くらいですが、地元の古い檀家さんはほとんど顔を出しませんね。九割以上は非檀家です。でも私はそれで良いと思っています。禅寺のシンボルは坐禅ですから。
 このお寺は貧寺ですが、森に囲まれて静かという特長があります。それを生かすには何よりもまず禅寺の基本である坐禅をやっていこうと、三十八年前にはじめたわけです。今から二年後には、四十周年を記念して坐禅堂を造ろうという動きが始まっていまして、楽しみの一つになっていますね。

――最後に、お寺を活性化させる方法についてお聞きしたいのですが、やはり禅寺であるなら坐禅が基本ということになるでしょうか。

 禅宗の命脈を支えてきたものは「人」だと私は思います。組織でも金でも権力でもなく人。個人の力です。僧侶個人の力が禅宗を支え、禅寺を支えてきました。そしてその僧侶個人の力はどこから出てきたのかと言えば坐禅です。
 禅僧が禅僧たるゆえんは、禅の筋金が入っていることでなければならないと私は思います。しかし、これが弱くなっているように思えてなりません。僧侶の力が落ちています。
 僧堂で修行している間は良いのですが、問題は山を下りてからなんですね。たとえば檀家さんが何倍にも増えている寺などでは、法務さえやっていれば左団扇なんですよ。良い車に乗って娑婆べったりになっている。修行を大切にしている人は少ない。曹洞宗の僧侶だという基本的なことを忘れている人が多いですね。
 やはり金の力は魔物ですね。裕福は宗風に合わないです。道元禅師が「清貧をもって旨とすべし」とは良くおっしゃったものだと思います。若い時に道心があっても、裕福だとだんだん崩れていってしまうのではないでしょうか。
 確かに過疎地などで困窮している寺も多いです。「食べていけなければ修行もないだろう」と言われる人もいるでしょう。しかしそれでも、まじめに修行して僧侶としての力を身につけ、地道に教化布教を続けていれば道は必ずひらけるものだと私は考えています。若い宗侶の方には禅僧としての力をしっかりとつけてもらいたいと思います。世間もそれを求めているのですから、この禅定力を身につければ、そこから活性化の道は自ずから開かれてゆくと確信いたします。


(取材・編集部)