自殺志願者駆け込み寺から
誰にでもできる自死志願者との対話


 篠原鋭一 (千葉・長寿院住職)


 自死を見つめる人々と対話する活動を始めて二十年になる。まだマスコミも取り上げることなく、社会問題として話題になることもなかった頃からだが、今年段ボールに詰め込んでいた対話記録を数えると、およそ六千人の自死願望者とお会いして来たことがわかった。もちろんリピーターを含めてである。
 今年発表された警察庁の自殺統計によると、平成二十一年は三二、八四五人で平成二十年より五九六人増えている。テレビや新聞の報道はいつでも十二年連続して「自殺者が三万人を超えております」と、伝えるばかりだ。
 数字ばかりが表現され、一人歩きして自死防止の具体的な対応策は報道されることはない。
 私の寺を「自殺志願者駆け込み寺」と名付けたのはマスコミ関係者である。
 私は取材陣に幾度も「自殺」ではなく「自死」と表現して欲しい。また、「孤独死」ではなく「孤立死」と言って欲しいと要望するが、何の変化もない。もっとも政府は内閣自殺対策推進室と名付け、自殺総合対策大綱などを発表しているから、それに同調しているのかもしれない。
 自殺を自死と言いかえても同じことじゃないかとの反論を頂く。私は違うと伝える。
 自殺は文字通り「自分を殺す」ということであり、古今東西、個人的に厭世観や死後の世界の存在を信じて、生命を断った人々は多い。自殺を美化したり、自殺する人を英雄視することさえあった。
 しかし、自死は、自分の責任ではなく、自らの生命を断たなければならないほどの苦悩を他から背負わされてしまい、孤立して、生きたいとの思いを否定されて、本当は「生きたい」と願っている人々の死なのである。
 さらに「孤独死」ではなく「孤立死」であることも理解されていない。
 「孤独」は誰にでもある。私も少々疲れて深夜暗やみの中に身をおくと「わが人生これでよかったのか」などの、思いがわいてきて、淋しさや孤独感に襲われることがある。しかし、時とともに「そうだ友がいる、家族がいる、ひとりじゃない」などの思いが湧いてきて孤独感から解放されること度々である。つまり自分と自分以外の人との関わりが存在している安心感に還ることができるのだ。
 しかし、「孤立」に追い込まれると、ひとりでは孤立から解放されることは容易ではない。自分と自分以外の人との関係が断絶しているからである。身心ともに疲れ果て、他の人との関わる力もない。周囲の人はといえば、全く無関心状態である。無関心どころか冷たい眼を向けたり、悪口を投げかける。
 月に二、三度はこんな電話がかかる。多くは男性からだ。
 「住職さん、こんな自殺防止活動なんてやっても意味がないですよ!死にたい奴は死ねばいいんだ!死んだら楽になるんだから」
 すぐさま問いかける。
 「あなたはおいくつですか?」
 「七十歳だよ。」
 「ご家族は?」
 「いるよ。息子夫婦と孫三人。それに俺たち年寄り夫婦の七人家族…」
 「一番上のお孫さんはいくつですか?」
 「高校二年生だよ」
 「そのお孫さんがある日、『おじいちゃん、オレなんだか生きててもつまんなくて苦しいから死ぬよ』と訴えてきたら『おう、死んで楽になるなら、死ね死ね』と賛成するんですか?」
 男性は声高に告げて電話を切った。
 「やめろというに決まってんだろう。オレの可愛い孫だ!」
 他人なら自死したってかまわないが、家族や身近な人の自死は何としても止めたい…。多くの人の本音が、これに近いのだろうか…。

■私が実行している自死志願者との対話三条件
 一、とことん聞く。質問や説教じみたことは言わない。
 二、時間の許す限り聞き続ける。今まで心の中に居座っていた苦悩をはき出すには時間がかかる。一度で無理なら二度、三度と約束して聞き続ける。
 三、まるごと受けとめる。異論が浮かんできても、まずは全てを受けとめる。「そうだなあ。今のあなたのようになったら、私だって同じことを考えるようなあ」と、同調すること。

■苦しみが積もった心に「ホッ」としたやすらぎをよみがえらせよう
 自死念慮者との対話は、春夏秋冬、美しい自然が見える部屋で行っている。
 訪問者が沈黙の後、口からこぼれるひと言がある。
「お寺ってホッとしますね……」
 このひと言に、私は「ありがたい」と思わずにはおられない。そうなのだ。お寺の環境は苦しみが積もった心に「ホッ」としたやすらぎをよみがえらせる力があるのだ。
 長い間自死を見つめてきた相談者は「ホッ」とできる人々に会い、ホッとできる時間の中で、胸の内の苦悩を語り尽くすことにより、いつしか孤立から解放されて、「死」へ向いていた思いが「生」へ向くに違いないと、私は信じている。

■相談窓口を開いた
   「ホッとなお寺」
 自死を遂げた人々の実数は、公表された数の三倍に昇るだろうといわれている。未遂者の数は十万人とも三十万人とも伝えられる。
 今、全国で四十一カ所の相談窓口が開設され活動が展開されているが、「ホッとなお寺」ばかり。宗派も問わない。アメリカ・ハワイにも開設されたがロサンゼルスでも準備が始まっている。
 仏教寺院以外の宗教団体からの参加希望もあり、全国都道府県各々に三カ所以上の窓口を開設したいとの願いは実現できるとの確信が日増しに強くなっている。
 今年一月末にNHKスペシャル「無縁社会」という番組が大きな話題を呼んだ。年間に三万二千人が無縁死しているという衝撃的事実が提示されたのだ。無縁社会とは、地縁、血縁、社縁が崩壊した社会だという。
 私は早くから自死念慮者との対話を通じて「孤立社会」の到来を予測していたが、その時がやって来た。
 この状況に目をそむけてはならない。つまり、「無縁社会・孤立社会から有縁社会への回帰を急がねば、無縁死も自死も、益々増加するに違いないからである。
 まずは、一人ひとりが、「縁」を大切にする「有縁」、つまり豊かな人間関係を結びなおすことが急務であろう。そして、身近に孤立者や自死志願者の姿を見たら、ためらうことなく対話を、いや「ほんのひと言」をかけよう。
 そのひと言は他の人々との「縁の架け橋」となり、孤立からの解放をもたらし、自死念慮を遠ざけるに違いない。



禅・曹洞宗 長寿院
住職 篠原鋭一
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近著
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