座談会
「あの世」はあると自信をもって言えますか?(後編)
言うまでもなく、宗教が宗教であるゆえんは、来世(死後の生命)を説くかどうかにあります。それがないものは単なる思想であり哲学であるとみなされます。
禅をベースとした高度な仏教教学を誇る曹洞宗ももちろん例外ではありません。それは実際に、寺院を支えている収入のほとんどが葬儀、戒名、年回法要などの布施に依存していることを考えれば一目瞭然です。そうした儀礼は、当然、死後も「死者の人格」が続くということを前提としています。
ところが、昨今、宗侶の方々のなかに、「死後の生命」について、疑義を呈する人たちがわずかながら出てきたようにも聞きます。そうなると、葬儀をしても、それは単なるパフォーマンスに過ぎないことになってしまい、死者もどこに行けばいいのか、さまようということになるのではないでしょうか。
今回は、斯界の気鋭学者である津城寛文筑波大学教授をゲストに迎え、五十嵐卓三師、佐藤俊晃師にもご参加いただき、司会を佐々木宏幹先生にお願いして、「あの世」をめぐる問題の深部にメスを入れていただきました。
■座談会出席者■
津城寛文(筑波大学教授、比較宗教学)
五十嵐卓三(山形県善宝寺住職)
佐藤俊晃(秋田県竜泉寺住職・総研センター客員研究員)
佐々木宏幹(駒澤大学名誉教授、総研センター客員研究員、宗教人類学)
●あの世はいまここにある
【五十嵐】 私は、衛藤即応先生に非常にご指導いただいた人間で、かばん持ちもさせていただきました。私が檀信徒にお話しないというのは、衛藤先生の教えなんです。先生は、科学、宗教は分かったからいいというものではない、それは学問に過ぎないと。
【佐々木】 そのとおり。
【五十嵐】 「それじゃないぞ。これは分かったというものは信仰ではない」と、これは固く教えられました。そして先生の『修証義』講義を先生の許可を得て晩年に録音させてもらいました。そのときに先生は、『修証義』をしゃべるようになったら、わしは終わりなんだとおっしゃった。解説はいくらでもできるが、信仰からは出てこないという素晴らしい教えを、そのときいただきました。それで私は、「あ、解説をしてはいけない」と思うようになった。
それからもう一つは、私はよく副住職など若い者に、進退は縁起じゃないよと言うんです。当たり前のことをしろ。あいさつをしろ。こんにちは、こんばんは。それをただ亡くなった人にやる。そうなれば分かるだろうと。その気持ちを持ちなさいと言っております。
そしてもう一つ、私が一番大事にしているのは回向です。『瑩山清規』にありますが、「浄極まり光通達し、寂照にして虚空を含む。却来して世間を観ずれば、猶お夢中の事のごとし。(中略)伏して願わくは、生死の流に処して、驪珠独り滄海に輝き、涅槃の岸に踞して、桂輪孤り碧天に朗らかに(後略)」
「朗らかに」はよく、「あきらかに」と読まれることがありますが、私は朗然たる世界の意だと見ているので、「ほがらかに」と読んでいます。今の『曹洞宗日課諸経典』にも、「ほがらかに」とルビが振ってあります。 次いで、「同じく世間を導いて、仏果を証せんことを」とある。偉大なる自然、大世界という宇宙的な世界、これを示しながら世間を導いていく。私はまさしく、あの世はいまここにあると思う。これが私の今の気持ちです。
【佐々木】 おっしゃるとおり、お経を読んだ後に唱える回向文には、「空」の極まった世界というものが表出されますね。宗門のお坊さんでまともに宗学をやった人にとっては、それがあの世であり、お坊さんが行くべき世界の姿なんだけれども、さて、それを聞いた檀信徒はどうかというと、「驪珠独り滄海に耀き」というのを分かってくれる檀信徒はまずいないでしょう。
【五十嵐】 いないですね。
【佐々木】 そうすると、そこを朗々と読んでくださるお坊さんの姿がありがたいわけですね。ご老師がたは仏教の理念から意味付けをする、檀信徒はそれを「力」として受け取る。それがかみ合っている限り、うまくいく。そういうふうに、お坊さんに頼んでいればいいというのは、お坊さんの何がということになると、僕は前から「力」とか「功徳力」とかいう言い方が一番分かりやすいと思っているのですが、そうするとみんなが誤解して、そんな「力」なんて呪術のようなものだと言うんですが、このごろ僕は引っ込めないんですよ。
●「この世」と「あの世」は太陽と月の関係
【佐々木】 最近の告別式の弔辞を聞くと、「大変な人生を送られたから、どうぞ天国でお休みください、安らかにお眠りください」というようなことを、かなりのインテリでも言うのですが、それはちょっとふさわしくないのではないかと思います。あの世に行っても眠りは必要だけど、永遠に眠りにつくのでは、何回忌だなんて拝む必要がなくなりますよね。だから宗教者は、「いや、眠っているのではありません、向こうに行っても活動は続いているんですよ」と言うべきなのに、世間的な傾向に流されているような気がします。
死者は死体として遺骨になればそれで終わりというのではなく、あの世に行っても、何らかの存在としてこの世と交流が続いていく。それを否定したら世界は成り立ちません。この世だけというのは、昼だけあって夜は要らない、太陽だけで月は要らないというようなものです。この世があるということはあの世がどこかで前提されていないといけないし、あの世がなければこの世もない。この世とあの世、生者と死者を切り離すことはできないし、両方連結しているから宗教というものが必要になってくる。
それから僕は呪術と宗教というものも、そのどちらかということはあり得ないのであって、呪術的なものがなかったら宗教もあり得ないと思っているんです。一つ例を挙げますと、イギリスの人類学者ジェームズ・フレーザーが百年ぐらい前に書いている話なんですが、フランスのカソリックの教区で神父を選ぶ際、どういう基準で選ぶかというと、それは自然現象だとか難病などに対して作用する力を、どれほど持っているかということだというんです。
例えば、ブルターニュ地方は良質のワインの産地として有名で、ブドウ畑が一帯に広がっている。ところが、ブドウの収穫期に台風が来てブドウが被害を受けると、その地域は経済的に大打撃を受ける。だから、どの神父が一番、台風の向きを変えたり、被害を軽減する「力」を持っているかどうかが問題になるわけです。
教会に行ってある神父にお願いしたけれど、台風がまともに来たとなるとその神父は駄目だということで排斥され、ほかの神父にお祈りをしてもらったら台風が向こうに行ったとなると、その神父はパワーがあるということで信任を得る。フレーザーは、それは十九世紀の話だと言っています。キリスト教というと、そういう迷信などとは関係のないキリスト教教学で貫かれているように思われていますが、じつはそんなものなんです。
それは、東南アジアでもそうで、テーラバーダ(上座部)仏教はお釈迦さまの教えをそのまま踏襲しているというけれど、現代教学研究センターの古山健一氏などの話を聞いたら、日々禅定三昧をしているタイの仏教界を代表するような高僧でも、死者に引導を渡すそうです。日本の学者はどういうわけか、日本は葬式仏教だが、タイではそんなことはないと言うけれど、実際には寺の塀を隔てた向こうに火葬場があって、お坊さんの引導によって火葬し、収骨したら寺内に入れて供物台を置いて、お坊さんに頼んで読経してもらい、お布施をそこへ置く。私が言いたいのは、宗教という文化に呪術的なものがなかったなら、「思想で飯を食っている哲学者」の財産にはなっても、現場で苦しんでいる人々のためにはならないのではないかということです。
●既成宗教は新宗教から学ぶべき?
【津城】 ジェームズ・フレーザーについて、新宗教の調査研究を集中的にされたある先生が、「新宗教の研究をやると、伝説とか神話で語られるようなことを、リアルタイムで信者から聞くことができる」とおっしゃっています。たしかに、例えばイエスが病気治しをした記述が『新約聖書』にありますが、私のよく知っている「善隣教」では同じような病気治しが結構起こりましたし、それ以外にも非常に不思議な話を聞きました。
こういうことを扱う研究でやるべきことは、フレーザーのように、まず具体的な事例を集めることが必要ではないか。その先生は「超自然現象」と書いておられたと思いますが、超常現象の研究については、フレーザーのような段階の作業が必要ではないかというようなことを書いておられます。つまり、新宗教の中には、こういう超常現象的なリアリティーが非常に強く出てくる。それを昔の人の迷信的な報告として切り捨てるのではなく研究する必要があるのではないか、といったことが書かれていて、良いことを書いておられると思った。
新宗教研究で、先ほど佐々木先生が言われたように、「力」のようなことを話題にすると、あまり高尚な議論にならないのですが、新宗教から既成宗教が学び取るべき材料というのはたくさんあるのではないかと思うんです。ゼロからあれだけの人数が集まるというのは、何かなければ集まらないし、強制では集まりませんから。社会学的に言えば新宗教は組織運営がうまいんだという言い方もあるでしょうし、そういうのが下手な教祖でもほかのアイデアで信者を集める人もいるという見方もあるでしょう。
あるいは新宗教にまでならなくても、教祖とシャーマンの中間ぐらいで、一定のクライアントがつくのは、実際的な力がないと集まらないですよね。沖縄圏では「ユタ」といいますが、力のないユタのところには人が集まらないし、口コミで力のあるユタのところには固定客がつく。そういうのを宗教として低く見るというのは魔境を低く見るのと似ていて、本当はそこを越えた上で低く見るのならいいんですが、自分の知らないものとして拒否してしまうのは、乱暴なような気がします。
【佐々木】 五十嵐老師が前に住職をなさっていた善寳寺という大きな曹洞宗の寺がありますが、そこは竜神信仰の寺です。仏教教学から見ると竜神なんていうのは仏教の守護神に過ぎないので、大したことはないという言う人もいますが、しかし善宝寺という大きな寺を支えてきたのは、やはり神仏習合の一つである竜神信仰です。曹洞宗には、神仏習合によって信仰を集めている寺がほかにもある。例えば愛知県の豊川稲荷などもそうですね。本来はダキニーというインドの神様と、それと日本のお稲荷さんつまりお狐さんが習合した寺で、これもやはり大変人気のある寺です。
インテリ、知識人は別として、一般庶民はどういうところに行くかというと、苦しみを何とか取り去ってほしいという思いから、仏様や観音様のお力を求めて、霊験があるというお寺にお参りするわけです。それなのに、教団側、宗侶の側は、庶民のそうした願望を無視してすぐ悟りであるとか縁起であるとか教理を持ち出そうとする。庶民のすがろうとしている気持ちを切り捨てて、その結果、新宗教にいいところを奪われてしまっているのではないかという気がします。
●純粋性だけでは教団の発展はない
【佐藤】 タイの上座部仏教でも、底辺は呪術的なものによって支えられているし、曹洞宗でも神仏習合的な寺に庶民の信仰が集まっているというお話がありました。その点についてですが、そういう話を聞くと、僧侶のなかには、こんな思いを持つ方も多いのではないでしょうか。本来の仏教は純粋でピュアだったのに、呪術や加持祈祷が入り込んできたのは、アジア各地への地理的拡大と時代的な変遷によるもので、そのような夾雑物は取り去って、もう一回釈尊に帰らなくてはいけないと:。
しかし、そうした原点回帰という話は、じつは自分たちがピュアだと思い込んでいる仏教に帰ろうとするだけで、佐々木先生が言われたように、人々が仏教にすがってきたものを切り落としてしまうことになる。
【佐々木】 おっしゃるとおり。
【佐藤】 曹洞宗の中でもその傾向はまだあると思うんです。「葬式仏教はやめて道元禅師に帰れ」といった言い方がされますが、檀信徒の方々が私たちに期待を寄せてくれている大事なところを顧みていない場合が多いと思います。インド、中国、日本と、地域もだんだん拡大していろんな変化はあったもしれないが、人間に対して宗教者が向き合う姿勢みたいなものは、古今東西の枠を超えて、実はとても共通する部分が多かったのではないかと思いますし、呪術的というかマジカルな力というのは、時代を通じて核になる大切なものだったと思うんです。
それまでなかった禅という考え方を持って曹洞宗が日本に入ってきた。そして禅僧が、例えば浄土真宗ばかりの地域に入って行って曹洞宗のお寺を建て、曹洞宗式のお葬式をしたりして曹洞宗が広がって行った。そのときに、道元禅師をはじめ歴代の祖師方が曹洞宗を切り開いて行ったときの力というのは、新宗教の持っていた力と非常に似通ったものがあっただろうと思うんです。
そうだとすると、原点に立ち帰れというときには、単に釈尊や道元禅師に立ち帰れというような、ピュアな状態へ帰れ、というのとは違って、各地域に寺院を開いた開祖たちがその地域にどうやって、曹洞宗や禅を根付かせていったかという、その姿勢に立ち帰れというふうなことも考えていいのではないか。そういったときには、やはり「力」とか「霊力」といったものが、もう一回見直されるのではないかと思います。
【佐々木】 その点は、さきほど五十嵐老師が引用された瑩山禅師の回向文にも見られますね。曹洞禅普及のために日本全国に散った宗侶たちはみな、瑩山禅師の回向文を携えていた。さらに、瑩山禅師が記されたものの中に、仏様だけではなく天照大神から地域の神々まで、全部拝まれたとある。
これは、釈尊に帰れとか、純粋性がうんぬんといったことを主張する人たちから見ると、随分夾雑だと言うかもしれませんが、それがあったからこそ、曹洞教団はパワーを持つことができたのだと、私は思います。
●日本人は「考える」より「思う」民族
【五十嵐】 おっしゃるとおりです。現代という時代にあって、曹洞宗に限らず、仏教各宗はみな「鋭角的」になっている。しかし、私は曹洞宗は「鈍角的」でいいと思っています。瑩山禅師様のご回向は日本古来の八百万の神様につながっている。それが、伝統的な日本人の意識であり文化です。『日本書紀』なんかを見ていくと、タブー(忌む)ということが明確に出てきます。それは「平らけく」「清らけく」という日本人のおおらかな社会のあり方を示している。そうした日本の伝統的で民俗的な鈍角なものと、鋭角的な道元禅師様の教えとが相マッチしたところに、私たちの曹洞宗のアイデンティティー(自己同一性)がある。
そのアイデンティティーこそが、私たち日本人の国民性を物語っている。日本人は物事を、あれだ、これだと論理的に厳しく区別して分類し評価を下すようなことはしない。日本人には「考える」という思考はない、原点的には、「思う」なわけです。「思う」というのは、恋人を思うときは「恋う」と書きますし、それからいろいろなことを心に思い描くことを「懐う」とか「想う」とか「憶う」と書きます。私たち日本人は、「思う」という非常に幅の広い世界に生きてきた。だからこそ日本人は多神教的な信仰を育んできたと思うのです。
もちろん、道元禅師のおっしゃるような原理は原理でいいし、理念は理念でいいんです。しかし文化というものは、あらゆるものを雪だるまのように集めてくるわけです。その集められたものがいいか悪いかということは、それは人々、大衆が判断することであって、いいものは残っていくだろうと私は思っています。
【佐々木】 まったく、そのとおりだと思います。
【津城】 鎌倉時代に、曹洞宗が新宗教として各地に拡大して行くときには、やはり「霊的な力」、パワーが必要だったのではないかという佐藤先生をお話を聞いて、たしかにそうだなと思いました。古今東西、世界には新宗教がたくさんあったと思うのですが、そのなかで残っているものは少ないんですね。仏教もインドの伝統の中の中から新宗教であったわけで、インドではかなり下火になっているわけですが、それでも周辺に伝播して、東洋で二千年以上続いてきたということは、やはり何かいいものがあったから残っている。西洋人が仏教を見ても、キリスト教より合理的だと言われたりします。
仏教はそういう非常に深い普遍的で合理的な思想、体系を持っているわけですが、そうした思想的財産と、現場で現実に仏教教団を支える信者の新宗教的なパワーとのバランスという問題がつねにあるわけですね。私が思うのは、やはり新宗教的なパワーだけでは、一般論として、やはり「魔境」でとどまることが多いのではないかということです。
そういう魔境でとどまらなかったものが、のちのちまでずっと残ると思うんですが、下から上まで行くようなプロセスを思想として持っているような新宗教であれば、もしプロセスが途中で止まっていると、これは魔境だなと分かるような基準があるわけです。それが仏教のような高度の体系を持った宗教の一つの強みで、下のほうの新宗教的なパワーと、上のほうの高度な理論とがうまく噛み合えば、非常にうまくいくのではないかと思います。ただ、パワーは枯渇しがちですし、理論は硬直しがちですので、つねに更新しつづけることは不可欠であるとも思います。
●ユングが強調した 「不死」という観念
【佐々木】 二十世紀の最大の心理学者であり、精神分析学者の一人とされるC.G.ユングというスイスの学者がいます。そのユングはこう言っているんです。死してもなお生きているものを「不死」と呼ぶ、死者ですから「霊」と言ってもいいのですが、そういう存在は人類によって太古から知覚され、経験されてきた実在であると、そう論じているんです。ユングは「不死」、死者の観念は、全地球上に偏在する人間の心的生活の特徴であるから、それが真実であるという証拠を何ら必要としない。人類が太古から持ってきた「不死」という観念はあるし、心理的事実としてわれわれは受け止めてきた。だから、今さら「不死」があるかないかなんていうようなことを検証する必要はないと。
また、ユングはこう言っている。「不死」の観念は、つまり死者の観念は、人間の心が正常に機能するのに必要なものであると納得すべきものだ。われわれ人間が生活していて正常な生活するのに「不死」、死者の観念がなかったら、正常な生活はできなくなると。さらに、死者が本当に存在するかしないかについて見解をあえて述べようとするのは、いくらか愚鈍な人間だけだろうと述べている。
さらに、死者について、「不死」について考えることは正常であり、それらを考えないこと、あるいはそれを気にしないことこそ異常である。誰でも塩を食べるのであれば、それは正常な行為であって、塩を食べないことこそ異常なのである、とも言っている。塩がなかったら人間は生きていけませんが、それと同じように死者の観念というものは人間たることに伴うものだから、疑う必要がないというわけです。
釈尊のように、この問題については「無記」で、あるかないかは論じないということは、仏教では未だに大問題になっているけれども、ユングによれば、それは人類がある限り逃れられないようなものだと。今の曹洞宗のお坊さんがたも、あの世とか死者というものをどう意味付けるかと苦労されていると思いますが、ユングは心理学の立場から、あるかないかなんていうことを論ずる必要もないと言うんです。
【五十嵐】 今のお話を聞いて、私はちょっと「四十九日」の話をしたいのですが…。四十九日の間、死者は「中有」にいる。それはまさしく死者のいる世界ですね。
【佐々木】 はい、そうです。
【五十嵐】 道元禅師は、「中有」の説明のなかでこうおっしゃっている。死者はみんなさまよっていると、そしてその、さまよっているのは実は私たち自身なんですよと。こういう話というのは、心理学的に持っていくしか仕方がないと思っているのですが、これはまさしくユングのいう深層心理の問題ですね。
【佐々木】 そうです、仏教式に言うと、阿頼耶識などというところまで行くんでしょうがね。だからこれは、ユングが言っているからそうだということにはならないかもしれませんが、二十世紀最大の世界の知性の一人がここまで言っている。つまり死者の観念というのは塩と同じようなもので、今さらあるかないか証明しろなんていうのは少し愚鈍ではないかと。
それはユングの言う心理的な事実とかリアリティーの問題であって、自然科学的な実験で死者の世界があるとかないとか証明しようなんていうのは、まったく無意味なことであって、それこそ愚鈍だと言っている。ユングは、科学的な実証と心理的なリアリティーとをはっきり区別しています。
●小さな仏事が結ぶ、死者との交流
【津城】 十九世紀のヨーロッパで「霊界通信」というのが問題になって、ずいぶん批判されたことがあります。当時のヨーロッパでは、七、八割の人々が「死後の生命」を信じていたわけです。しかし、霊界との通信などありえないというふうに思う人も多かった。そうするとどういう霊界通信批判が出るかというと、霊界通信が本当にあるんだったら、死者の存在を証明しろという意味の反論が出てきました。死者の存在は証明の必要もないし、問題にする必要もないわけですが、ことさらに「あるかないか」を問題にすると、自明さがこのようにゆらぐことになります。
【五十嵐】 「あの世」ということになると、それは私にとって今でも公案なんです。あるとき、法事のときに、「方丈さん、魂はあると思いますか?」と聞かれたんです。それで、私は今ここで答えられないと言った。そしたら、「方丈さんは信仰ありませんね」と言われたんです(笑)。これは痛いんです。今でも、この公案です。これは私たちには説明しきれない。説明外です。しかし解かなければならない問いだと、今でも悩むのはそこです。
【津城】 厳しい檀徒さんですね。(笑)
【五十嵐】 「方丈さんは信心ありませんね」と言われたら、もう後は「がくっ」です。(笑)
【佐藤】 私も、五十嵐先生と同じことを聞かれることがあります。でも、私は、魂もあの世もあると言います。信じていますかと言われたら、信じていますと答えます。
【五十嵐】 本当に確信を持っているから素晴らしいですね。
【佐藤】 死んだ人はどこへ行ったかと聞かれたときには、具体的にどこと答えられない場合が多いんですが、そういうときは、相手が受け止めやすいように、ちょっと弾力性を付けてもらうために、最初にいろんな伝統的な来世観というものを、何かにつけて振っておくんです。
例えば、秋田では仏様にまず「水こをあげる」と言って、水を供えます。儀礼書には、仏さんが渇くからだと書いてあるんですが、のどが渇くのではなく心が渇くと記してある。生者のいろんな思いやりとかいたわりとか、そういう心がなかなか向こうに届き難くなっていると仏さんの心が渇いてくる。その渇きを癒やすための強い力を持ったものとして、思いやりを込めた水、ことばと一緒に仏さんにあげる。すると何かそこで、仏壇でも位牌壇でもお水をあげたときに、向こう側のすぐそこにいる死者とこっちの人とが、すっと交流ができる。
それから、お花をあげます。お花はきれいなほうを向こうへ、仏さまのほうに向ければいいように思いますが、花弁のあるほうを手前に向けてあげますよね。あれは、仏さんのためにきれいなほうを向けてあげると、仏さんがどうもありがとうと言って、きれいなほうをあなたのほうにお返しをするよという、仏さんからの回向だという話を聞いたことがあります。
そうすると、ちょっとしたお供え物や何かでも、向こうにいる仏さんとこっちにいる生きている私との間で、何かやりとりができるんですよね。そういうとても身近な互恵関係というか、交流関係が日常の小さな仏事、仏ごとの中でも繰り返されている。そんな日常的な場面にも、死者の魂はあるといえる状況が成り立っているのだと思います。
●死者は常に私たちの身近にいる
【津城】 私が昔、下宿していたところの大家さんがすごく信仰の深い方で、当時七十歳くらい、子どもさんは独立されて、お一人暮らしでした。戦前の女子大を出られたインテリで、ご主人も東京帝国大学を出られた方でしたが、この方がお仏壇のことをよくやっておられて、ご主人をはじめ親族が亡くなっても、全然寂しくないとおっしゃっておられました。
あるときは、「のどが渇いたからお茶を下さい」という、亡くなったおしゅうとさんの声が聞こえたと言うんです。はっと思って、さっそく仏壇にお茶を差し上げたそうです。私がいろいろな宗教書を貸して差し上げると、あの本はとても面白かったとおっしゃるときもあるし、あの本は気持ちが悪くて目がチカチカしたから怖かった、お塩を撒いたとおっしゃったこともあります。
インテリの人でもそういう信仰を持った方がおられて、仏壇と話をしておられる。息子さんが医学部生のころ、あるとき帰ってきたときに、頭が重いというので、今日は何かあったかと聞くと、今日解剖をしたと言う。それでピンと来て、お仏壇にお線香を上げて拝んだら息子の頭の痛いのがすっと治ったという、そういうことをおっしゃる方でした。
民話や臨床の臨死体験でも、鴨居や天井にいて自分の体を見ていたという報告がありますよね。死者というか魂というのはすぐ近くにいて、われわれを見守っていて、お盆とか正月に時を決めて現われるどころではなく、常に、いたるところにいるのではないかと私は思っています。
【佐々木】 「あの世」という発想はもともと西方十万億土にある「お浄土」というような浄土教の教えから出てきたので、インドでは十万億土というものすごい天文学的なかなたにあると考えた。それが日本へ来ると、教理上は十万億土のかなたの来世というけれど、実際は浄土宗でも浄土真宗でもお墓を非常に大事にする。大谷霊園などというのは大変なところで、そこへ墓地を置くこと自体が大変難しい。浄土に往生していたら何もお墓を拝む必要はないのに、日本人はお盆になるとまずお墓に行く。
『古事記』『日本書紀』に出てくる伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の物語では、伊邪那美が亡くなって、あの世に行ってしまう。絶対に来てはいけないというのに夫の伊邪那岐が訪ねていく。その距離はどのくらいかというと、それほど遠くはない。つまり、それは墓場ですよね。墓場に行ってほっくり返したのか、中の石窟を見たのか分かりませんが、それが八世紀以降の日本人のあの世になっていて、その後、仏教が盛んになっても基本的には変わらなかったと言えるのではないでしょうか。
ところが昨今、浄土真宗の先端の教学では、浄土は地理的なロケーションとしてのかなたにあるのではなく、今生きている人間の心の中にあるのだと説く人たちがでてきた。それに対して、そうではない、浄土は客観的に実在すると従来の教義を説く人とがいて論争が続いている。
難しい問題ですが、今日の座談会の帰結としては、知識人とか教団の指導層は別として、一般の檀信徒、仏教を支えている側にとって、あの世というのは決して遠くにあるのではなく、お墓にも位牌堂にも、仏壇にも、あるいは「お浄土」にも重層的にあるのだというようなところではないかと思います。
【編集部】 長時間にわたって、ありがとうございました。
(平成二十二年七月二十九日収録)編集部注…五十嵐卓三師はこの座談会の後日、山形県鶴岡市・善寳寺住職に再任されました。