こうなった日本!
これからどうする仏教!?

宮崎県・昌竜寺住職 霊元丈法

〈 神かまうな  仏ほっとけ 気楽な世 〉
 
 私は「山水」という広報紙を持っています。三十数年前、布教師養成所で親交をいただいた岡山県・威徳寺の長田老師の「禅のこころ」という寺報に触発されて始めました。
 当初は手書き・ガリ版刷りでしたから、たった百部を作りました。
 ただ檀家に差し上げたものがほとんど仏壇にしまわれたままになるのを知っていましたから、一計を案じました。法事や寺参りのつど集めていた住所録から、町外に出ている檀家さんの家族や親族のもとへ「和尚からの手紙」として郵送したのです。
 そしてダイレクトメールの開封率が極端に低いことをカバーするため記念切手を貼りました。また手紙ですから、教義の押し付けは一切やめて、お参りのノウハウ、教育問題(子育ての真っ最中でしたので)、故郷のニュース、お寺の近況だけにしました。
 「宗報」にも「寺報の作り方」を掲載させていただいたのですが、さらに経済的にペイしないものは読まれていない証拠ですから、せめて送料を負担していただくことにし、定期的に出すことをお約束し自分のノルマとしました。
 この反響は五日後には現れ、それから毎号倍増していき、中古の輪転機、自動原紙切りを導入して半年で五百部をこえました。それもこれも紙代をいただいたからこそ対応できたのです。
 そのうち文具関係の信者さんたちが応援して印刷、発送が便利になり、またたく間に千部を出すようになりました。六年余の本山在職中はさすがに月刊とはいきませんでしたが、現在三六六号となっています。
 その中で御寺院さまの読者がふえて、持ち前のサービス精神から本山送行後「伝輝通信」を僧侶、寺族のために書きました。
 本山時代、仏教タイムズの求めで「時鐘」というコラムを連載し好評を博したからです。オウム事件からは「坊さんサバイバル講座」「坊さん革命」「坊さんの本音」「私設婦人僧講座」と十八年シリーズを重ね、宗派を超えて各地の仏教会での「二一世紀に生き残る仏教」講演と併せて布教啓蒙に努めました。
 その集大成として編んだのが新仏教講座「日本はこうなる/その時仏教は」です。これも本山布教部長での再上山以前ですから、もう数年がたちます。
 今回、仏教企画藤木師の要請に答え、稿を改めてお目を汚しますことをお許し下さい。

〈山門を くぐってくるは 犬と風〉

営業寺か信仰の寺か

振り返ると、日本の危機は神風ならぬ仏風によって救われてきました。
 創世記、まほろばの豪族による政権争奪の争いは、聖徳太子の「和を以って尊し」に代表される仏教によって収束され、最澄・空海の出現によってようやく仏教は日本に根付きました。
 次に貴族から武士への平安末の凄絶な戦いでは、法然・親鸞・道元・日蓮と現代日本宗教の骨格となった宗祖たちが出現して人々を救いました。
 そして封建制度の崩壊、開国の激動では、廃仏毀釈の嵐に翻弄され仏教は風前の燈火となりました。しかし、西欧の思想を受け個人の自由な信仰として見直され、民衆の側からの宗教が続々と誕生し、この流れは戦後にも引き継がれています。この間檀家制度に象徴される仏教保護に甘んじてきた旧仏教系のお寺は、葬式・法事という家を中心とした社会儀礼にこだわって、個性化し孤立化していった人々を救うダイナミックさを失ってしまいました。
 日本は戦後の復興で何よりも平等な社会の実現を目指しました。終戦の焼け跡でバラックに住み、着物をお米と交換しながら、「こどもたちにはひもじい思いをさせたくない」「継ぎの当たった服を着せたくない」「上の学校に行かせたい」と必死で頑張ってきました。
 あの頃描いた夢が総て叶い、一戸建ての庭つき、親子水入らずのマイホームを手にいれた時、親子は挨拶も交わさず、夫婦は家庭内別居、学校でのいじめで不登校やひきこもりがふえ、兄弟姉妹で殺しあい、父母に暴力をふるうかと思えば、母親がわが子を虐待し、家族を守るべき父親がこどもを折檻死させるという家庭崩壊が進みました。大人になりたくない、会社に学校に行きたくない、働くのも遊ぶのもいやという無気力人間があふれています。
 一億総神様、総王侯貴族の国を創りあげた世代は、こどもに迷惑をかけたくないと、ボケることを恐れ寝込むことを嫌って、ひっそりと耐えてあの世の迎えを待っています。こんなはずじゃなかった日本の始まりです。
 リーマンショック後、政界の混迷もあいまってやりきれない絶望感が国民を覆っています。
 いじめにあって小学低学年が自殺し、壮年が借金返済に生命保険をあてたいと自殺し、老年が老老介護を恐れて心中して、先進国最多の四万人も自死する国は他にありません。
こどもが親や兄弟が憎くて、火を放って焼き殺すという社会は地獄です。誰でもいいから殺したかったいう若者は修羅の真っ只中です。愛人に貢ぐ金欲しさにわが子に保険をかけて殺す親は畜生にも劣ります。家庭内暴力は夫婦、兄弟姉妹、親子と相手を選ばず、ついには乳幼児を虐待し折檻死させる親まででてきました。
 この中にあって僧は、門戸を閉ざして自分の檀家からの頼まれ法事や葬儀だけしていて満足ですか? 伽藍を維持していくだけで事足りますか? なぜ僧侶になったかを今こそ問い直して何かを始めませんか!
僧侶間で「法輪転ずれば、食輪転ず」といわれますが、これは叢林や修行寺のことであって現代の一般寺院では難しい気がします。
 住職は法人の代表で社長です。同時に聖職者であり、地域の指導者で、家族の代表(これがもっとも矛盾していて、夫婦と親子と出家を演じ分けます)を否応なく勤めます。この四役を何の悩みもなく勤められるテキストを未だ知りません。
 私は「食輪転ずれば、法輪転ず」と逆転して考えてみました。とくにオウム以後の宗教法人法の改正、来るべき課税基準の変更、公益の問い直しをにらんでいくと、どうしても経済的自立があって布教ができる〜今は布教をしようにもあとの三つに足をひっぱられてできないとしか思えません。
 とするとまず社会人として、しかも信者を抱えた法人の最高責任者としての義務を果たすべきだと思います。
 日本社会がここまで乱れたのは指導者たちがモラルを欠き、責任を果たさず、人々を導くことができなかったからでしょう。
 お寺を私物化しないで多くの信者の力を集めるためにも、しっかりした経理を確立しましょう。
 今でも、坊さんは税金を払っていない!と思われていて、「坊主丸儲け」は代名詞の筆頭です。
 お寺の経済は資本主義と正反対です。なぜならお寺はいただく一方です。儲かったから檀家に配当しましたというお寺を聞きません。
 ところがたった一つ、家族関係だけお金の流れが一方通行でも構いません。親子は幼少は親から子へあげっぱなし、老いてはその逆(昔は)です。夫婦もどちらか扶養になる(共稼ぎが多くなりましたが)と家族には取った取られたは存在しません。
 しかし、昨今お寺と檀家では「取った取られた」関係になっています。
 そこでアドバイス!まず、お寺側の味方をふやしましょう。
 普通檀家の三分の一はいつでも住職の味方です。しかし、三分の一はどんないい住職でもこと出費に関しては反対です。残りはその時の都合です。極端な時はお寺の味方はお寺家族と血縁の寺しかないこともあります。そこで役員さんをお寺側の理解者に育てて下さい。
 その方法はおいおいご披露いたします。基本的には檀家と寺が身内同士のお付き合いをすることです。