こうなった日本!
これからどうする仏教!?

宮崎県・昌竜寺住職 霊元丈法

〈人心乱れて天乱れ  天乱るるが故に 人心また乱るる〉

 大変なことになりました。最大級の地震が起こり、大津波が襲って、東北日本は壊滅です。まだ、十日ほどしかたっていないのに死者・不明者は二万を越し、 十三万戸が壊れたり流されたりして、五十数万の人が避難所暮らしです。これに追い打ちをかけたのが、東京電力福島原発です。後手後手に回った対策から、放射能の汚染は拡大する一方で、福島を始め関東四県では、牛乳や野菜から魚に至 るまで出荷停止となり、乳児の水道水飲用が禁止されるほどです。
 一ヶ月が経過し、ようやく被害の全貌があきらかになり、ボランティアも入れるようになってきました。死者不明者あわせて約三万人、二十二万戸の建物を失い、十五万人が避難しています。しかし、原発は最悪のレベル7となって収まる気配がありません。国や東電に対する不信感は増す一方です。
 経済的にも、リーマンショックを上回る株価の暴落、原発事故の巨額な賠償、広範囲の鉄道や道路の復旧、産業の回復、町や村の機能復活とまだまだどうなるかわからない日本ですが、世界中から励ましと、応援が届いています。とくに、略奪も暴動も起こらず、冷静に気丈に慎み深く行動する日本人に、中国を始め世界の人々が驚きの声をあげ、「日本人は必ず立ち直る」と賞賛してやまないのです。
 確かに日本は、広島・長崎の原爆を筆頭に、ほとんどの都市が空襲で焦土と化した中、二十年もたたぬうちにオリンピックを開いたのです。四十年でアメリカに次ぐ経済大国になり、はや五年後にはそのバブルがはじけ、さらに五年後阪神淡路大震災が起こりました。しかし、この二つの難局をみごとに乗り切って世界をリードしてきました。確かに経済的には恵まれた日本ですが、今回の東日本大震災を迎えた社会は、今までとは全く違う気がします。
 宗門においても三〜四名の僧侶の死亡と六百ヶ寺以上の被災が噂されていますが、何も伝わってはきません。ただ、宗務庁・宗務所・教区・婦人会・青年会・SVAなどに一般募金を加えて、振替用紙があふれんばかりに届きます。確かに今回はあまりにも広範囲のため、まずは資金の援助が必要です。しかし、政府でも一ヶ月たってまだ仮支給さえ行われていません。着の身着のままで逃れた人々は、避難所で一日おにぎり一個で過ごしたほどです。せめて和合僧の宗門ならば、緊急に援助金を贈ってあげたらと思います。なぜなら、こんな時はお寺は自分を捨てて、人々の救済にあたらなければならないからです。現に檀家の安否を訪ね、弔いにたち、避難者を受け入れ、がんばっておられるのです。当座の三十万を被災地全域の寺に配って約二億円―あとでもらうよりずっと役に立ちます。

日本仏教で初めての組織的海外援助

 SVAは日本仏教で初めて曹洞宗が組織的な海外援助を現地に滞在して行ったのが母体です。故有馬実成師の昭和五十三年カンボジア難民調査報告から発足しました。始めは寄付金だけ届けるつもりが一変したのは、難民キャンプで亡くなった赤子を弔った日本人僧に「あなたがたは何もしなくていい、ただここにいて下さるだけでいいのです」と母親がひれ伏して拝んで下さったとの報告によるものでした。
 私も賛同して翌年タイ国境の難民キャンプに入り、足かけ三ヶ月の活動をしてきました。当時のタイ新聞の社説に「日本僧の難民援助」と題して『肉食妻帯の日本人僧はタイでは僧として認めないほどだが、その僧が難民キャンプにはいって援助活動をしている。学識も資質も比べものにならないほど高いタイ僧が、戒律に縛られて人々の救済ができないのはおかしい』と論説されました。以来、空港の税関で、国内の検問で、『ソートーシュウ僧』と観光で訪れる日本人僧と違った扱いを受けるようになったのです。また、それまでは日本の援助金でできたキャンプで働くボランティアは全て外国人だったので、日本の援助を知る人はいませんでした。その上、国も五百億の資金援助をしながら、SVAに直接の支援はなく、国連の現地事務局が米大統領の慰問の時に「日本て不思議な国だね。総理がタイまで来てるのに慰問はないし、君たちへの国の援助だってないんだね」と同情して資金を回してもらったほどの中、がんばり抜いた組織です。
 もちろん実成師は阪神淡路大震災でも直ちに行動されました。うどんの炊き出しです。ついで両本山も青年会も動きました。作務衣でタオルを頭に巻いた雲水の姿が頼もしくテレビに登場しました。関西には名だたる宗派の本山がひしめいていますが、曹洞宗の動きは群を抜いて素早く、今でも慰霊の式に招かれているほどです。しかも今回の被災地宮城と福島は吉岡棟一老師の肝煎りでSVA活動 に一番力をそそいで下さったところです。米と味噌をかついでキャンプ入りした仲間がたくさんいます。現在、社団法人として独立していますが、これほどの実績と動員力とノウハウをもつSVAに全面的に協力を願ったらと思います。日赤などと同じく税の優遇だって受けられる素晴しい団体に成長しているのです。

〈献体という名の墓地に葬られ〉

 あまりにも広大で援助のしようがなかったかもしれません。しかし、あの厚い信仰風土の地で、一万の人が亡くなっているのに坊さんの姿がないのが不思議です。葬式でのみ必要だった坊さんが、葬式でさえいらなくなる近未来を想像させます。クライストチャーチで犠牲者の無事と冥福を祈るミサが連日行われ、たくさんの人が祈りを捧げたのとは好対照です。事実九州の果てまで葬儀社には棺桶の依頼が公的にあったそうです。しかし、埋葬にも火葬にも僧の立ち会い要請も、また僧側からの働きかけもなかったのは重大な問題です。
 最近の都会の家族葬や直葬をみていると、人の生き死にに坊さんより葬儀社が大事にされ始めたと痛切に感じます。しかも僧に払う布施が惜しいという点が気になります。確かに都会では僧侶不在の直葬なら十万以内ですませますが、一度寺を頼めば葬式代の上に入檀、お墓、以後の供養と金のかかるお寺との付き合いが始まるのです。ざっと二十〜五十倍の出費です。とくに団塊以後の世代の老後資金の中に葬祭費は含まれていませんから、葬儀社への百万さえ巨額です。そこで戒名無し火葬場炉前読経のみや、家族だけの葬儀希望となるわけです。さすがに田舎では、病院から火葬場直行の直葬はありませんが、親の葬式に長男の奥さんが帰郷するのが珍しくなりました。離婚の核家族や、絶家での葬式では兄弟さえも呼ばないことも多々あります。家族葬でも「父の時に費用がかかって、母は 何もしなくていいとの遺言でした」という子には葬儀社は必要だけれど僧も戒名も癒やしにはならないのです。
 表題は二十年前に作った川柳で、宗教新聞や宗報等で葬儀や供養の形骸化を予告しました。当時、医学部の献体が増加し始めたと聞いて調べると、長男が都会へ出て後継者のいなくなった夫婦が迷惑をかけたくないと献体を希望している事例がいくつもあったからです。日本の大学病院では解剖者の慰霊を行います。他の国では遺体は物体と考えますから霊を祀ると言うことはありません。つまり、 長男にだけ老後の迷惑をかけ、遺産も分割され長男には少ししかあげられない、しかし、十分な供養を受けないと迷って子供たちに害をなしてしまう。この解決が献体という最後の善行だったのです。しかし、子の世代は「死んだら終わり」 とあの世を否定しましたので、大学で供養してくれるならと遺骨を引き取らない子も出始めたと聞いたからです。お金が全ての幸せを叶えてくれる錯覚の時代の始まりです。この霊性否定によって遺骨が『もてあまし遺失物にて預けられ』となるのに時間はかかりませんでした。

〈生き死にはカルテで確認いたします〉

 さらに、脳死法が生命の価値観をかえました。数千年来、死体か生体かを経済的観点からみたことはなかったと思います。だから死は段階的にみんなが納得していくものだったのです。息が止まり、心音が消え、体色が変わり、硬直が起こる―それを死魔から護って一晩すごして蘇生しないと確かめたのが、通夜の儀式でしょう。その数千年の約束が、ある日(突然といっていいほど急いで)かえられました。しかも、生死を決定するのは医師で、それは『いずれ無駄になる臓器の有効利用』という経済的観点を無視できないものです。欧米医学を支えるキリスト教の教義にてらせば、人の死は人間性を失った時ですから、尊厳死も安楽死も認められています。しかも死後の肉体は物体にしか過ぎないことを二千年説き続けています。遺体を傷つけると成仏できないと思っていた日本人は、献体すら避けてきたのです。この文化の違いをもっと私たちは主張し、国民的合意をはかるイニシアチブをとるべきだったでしょう。葬式仏教が身内の死から撤退して死体処理の儀式になったとき、寺や僧は職業の道を歩き始めた―しかし僧は依然としてあの世の霊性を権威として振りかざしている―それが寺離れ僧離れの根本原因ではないかと思っています。
 日本に仏教が根付いたのはお葬式をしたからです。豪族、貴族の祈祷仏教は官許という形で広がりましたが、死に関わることはできませんでした。しかし平安末の争乱、天災で都に死体が累々と放置されている中、私度僧や比叡山を下りた僧が、死という人間最大の苦しみの世界に救いの手を差し伸べていきました。官位十二色をわざわざ崩した壊色の黒衣を着けた高野聖や禅僧は『戒を保っていれば死のケガレを受けない』また念仏聖は『弥陀の名を唱えるものにケガレはよらない』と民衆の中にでていきました。まさにその非常の中で千年もの間色あせる事なき法灯を掲げた法然・親鸞・道元・日蓮ときら星のごとき祖師方が現れてくるのです。

人心が乱れたままだと天の乱れが収まらない

 約二百年前の三条大地震の良寛の手紙の本意は、災難の責任を当時の為政者や知識人としての僧侶に向けて猛省をうながしているのです。
 つまり『人心が乱れたままだと天の乱れが収まらない』といっているのです。そう考えると高度成長末期のあだ花―オウム真理教が思い出されます。名門大卒のエリート医師、法律家が麻原に操られ殺人を犯していきました。しかし、そんなカルト宗教にはいっていく人々を救えなかった反省は宗教界には全くありませんでした。
 道元禅師や良寛さんにいわせれば、『田んぼの蛙のような訳の分からぬ経を詠んで法を説いたと布施を受けてきた』大罪が残ります。この時僧や寺に対する期待はなくなったと思うべきでした。その後にバブル崩壊が始まります。ここでは選良たる政治家も、一番オカタイ銀行家も、だれも責任をとらなかった―全て国民に背負わせてしまった―それから、日本中であらゆるモラルが崩壊し始めます。
 モラル崩壊・マネーゲームをとめられなかった責任は仏法を護る僧にもあります。法を説いて布施を受けての『財法二施功徳』ではありませんか、財施は金銭で財と分かります。分からぬ上にありがたくない経は法施にはなりません。詐欺にも等しい感情が施主に残っていくことに気付きませんでした。
 道元禅師の『布施を貪るべからず』です。オウム教の麻原は逆に布施を殺人に使いました―すなわち布施はいただいた側にも、布施として使う責任のあるものだということです。
 瑩山禅師の『信施を消すあり、犯さるるあり』の戒めをうらぎるものです。十数年前の自省を込めた懺悔です。
 昨今の寺と僧
《下手な料理人(修行も学問もしてない僧)から、サービスの悪い古い料亭(威張った僧といかめしい寺)で、訳の分からぬ食材(お経や儀式)を講釈付き(押しつけの説教)で食わされ、最後に法外な請求書(不明朗な高い会計)がくる》 これを〈修行を積んだ柔和な僧から、掃除のいきとどいたすがすがしいお寺で、心にしみる読経と法話をいただいて、またお参りをしたいと思いつつ帰る〉にするのは、そう難しいことではないと思いますが!