こうなった日本!
これからどうする仏教!?(6)

宮崎県・昌竜寺住職 
霊元丈法


 人に身ありて現在を生きる
 故郷を想うは 己が身を愛するなり

〈借金は国に負けない地方自治〉

 借金が国民一人当り一千万になろうとしても、全く動ずる気配すらない政府です。消費税も復興財源も、東電の補償さえ全てを国民に押しつけて、後の世代に先送りする気配です。それもそのはず、バブル崩壊での銀行損失を、税金だけならまだしも低金利という(当然の利益を銀行に取られて)返済を十数年も続け、恨み言一つ言わない温和な国民だからでしょう。前にも言いましたが金持ちも、貧乏人も同じく借金を背負うのではない現実です。おそらく四分の一の人が四分の三の資産を有している中では、四分の一の人は財産を他国に移したりして保全を図ることができます。ほとんどの人は国を捨てることができずに、全ての借金を自分の孫に背負わせることになります。
 その借金対策の一つが、平成の大合併だったことはあまり知られていません。つまり借金の大部分は地方自治体の起債です。一番簡単なのは借金の口数を減らせばいいのです。かくして全国に「美里町」という町がいっぱいできました。でも、無医村を無くすとの目的でできた町立病院や診療所は、一カ所に統合されて以前より不便になりました。市部も例外ではありません。私の友人の消防署長は頭を抱えていました。なぜなら、前の数倍のエリアをカバーできる救急車がないのです。二時間もかかるところに救急依頼があれば、統計上は救える命が半減してしまうのです。私の町でも福祉サービスは極端に悪くなりました。なぜなら介護等級で時間と内容が決められ、その届け出書類や事務に手を取られ、費用ばっかりかかる悪循環です。
 大きな災害が起りますと以前は道路がよくなり防災も整って住み続けられたのですが、近年は補償金を捨てても市部へと出て行きます。それも近郊の延岡ではなく、宮崎市なのです。現在、年間二百人以上の人が亡くなるのに、生れる子は二十人程度です。老人の死亡はそれだけではすみません。残った親を引き取っていったり、農家をたたんで福祉の良い市部に引っ越していきます。あっという間にかっての一万三千の人口が三千を切りそうです。残念ながら、八十を過ぎて見も知らぬ町で、結婚式以来顔も滅多に合わせなかった息子家族と暮らすことなどどだい無理です。ほとんど半年もしない内に寝たきりになるか、お骨で戻るかー、とにかく一人老人が亡くなると檀家が一件減って、無縁墓が十数基残るのが現状です。

〈国破綻 寺・村・農家皆消える〉

 宮崎県は知名度が低く、宮城県とよく間違われます。実際廃藩置県で誕生してすぐ、大分と鹿児島に分割され、県が消滅した時期があります。その結果鉄道管理局と郵政局ができませんでした。しかし、東国原が知事になって一変しました。ご存じマンゴーとチキン南蛮で、ちゃんと地図上で示してくれるようになりましたーが!引っかき回しただけで東京へ出て行きました。その間、口蹄疫で二十七万頭の牛や豚を葬り、鳥インフルエンザで再び隔離状態にされ、新燃岳の噴火と風評被害に事欠きませんでした。しかし、寺と農家は逃げられず、座して廃墟となるのをまつのみです。福島の原発封鎖地域の寺檀の苦悩が身にしみて分ります。その上宗教法人ですから、公的な援助は無いに等しいのです。せめて宗務当局が、宗費をつぎ込んでの初期援助をして欲しかったと悔やみます。
 災害で一番有難いのは一ヶ月以内に配られる現金です。とくに津波災害のように着の身着のままで逃れた人に、あまりに広範囲でボランティアが行き届かない時に、十〜二十万円の一時金をあげたら生きていく気力がでるのです。南九州のある市が水を東北まで運ぶというのですが、正気だとは思えません。案の定百キロも行かない内に断念しました。まだ、焼酎でも送った方が気力が涌いてくると思います。何よりも勇気づけが大事です。温かい食事、雨風をしのぐ部屋、そして諸手を挙げて迎える暖かさが必要です。
 宗教は人助けです。お寺は体だけではなく心の避難所です。先号の震災の座談でも寺族のプライバシーが守れないとの悩みがありましたが、以前から寺を開放するには何よりも私生活を分離すべきだと助言しています。現在の僧は法人の長(経営者・聖職者・指導者)であり、家族の長(夫・親)です。否応なく非常時には職に殉ずる覚悟が要ります。そのために公的な空間と、私的な空間は心身共に分けていなければなりません。これが最後まで聖域を護るための必須条件です。

〈夢含み がれきの街に青芽ふく〉

 同時に霊性を研ぎ澄ますために『籠る』事が大事です。日本人は僧俗ともに『籠る』事によって幾多の難事を乗越えてきました。本来籠りとは道元禅師の言われるように、時期を待つことー龍の淵に依る状態です。つまり勇躍の明日を待つ充実の時でなくてはなりません。一日では夜が籠りです。衛星からの映像は、真っ暗闇に日本だけが、地形が分る不夜城のように輝いて眠る時を知りません。原発を必要とする背景には経済のための無駄がたくさんあります。籠らない夜がいかに日本を蝕んでいるか、四時振鈴の修行道場に身を置いてみる必要があります。
 さらに命を無駄にされたのが、口蹄疫で殺された二十七万頭の牛や豚です。人の健康のためではなく、経済的利益のために殺されました。もっとひどいことに、ワクチンを打って治して殺したのです。人類の勝利は、ウイルスに負けない免疫療法を発見したことです。細菌なら絶滅させられますが、強敵ウイルスとは勝たずに「負けない」道を選んだのです。口蹄疫では、命を食物という商品扱いにしてしまいました。
 冬は籠りの季節です。米を実らせた田んぼも眠ります。人も冬ごもりをして、冬祭りや正月を迎えます。雪は少しずつ融けて田の水となります。人は新しい歳神を迎えて生気を養います。お年玉は魂です。高千穂の夜神楽では神と人と共に食し、呑み、舞います。自然と人と一体化して新しい生命を芽吹かせます。その祭りがイベントになりました。清める事もなければ、清められる必要も無く、ただの飲み食いになって、毒入りカレー殺人が起りました。
 死は人生の籠りです。新しい生命を得るための眠りです。日本人はこう考えて死の恐れから解放されました。仏教が入ってからは死のケガレを払うことができるようになりました。先祖代々の墓地を腐りゆく肉体でケガさないようにと、村の外れに晒す必要もなくなりました。この野晒しから『野辺送り』と言う言葉もできたのです。また、この世で罪過を作り出したのは肉体です。その肉体を大地に捨て去って白骨化したとき、清浄な仏となったと安心しました。仏となった先祖達は迷うことなく、子孫を護る『先祖霊』に昇華したのです。その先祖があの世で生きておられるからこそ、お膳をしつらえ、箸までつけて霊膳とします。
 また枕飯は蘇生のための薬です。お釈迦様の寿命を復活させる仙薬でした。しかしお釈迦様は「私は人として生れて、人として死ぬ」とお召し上がりになりませんでした。そこで白い紙に包んで持たせました。見えざる魂との交流は、命が消え去る物ではなく永遠に繋がっていく物だと信じる儀式です。ご先祖様を命の延長上に見るとき、新たなる再生のドラマが始まります。

〈退職後残る楽しみ保険金〉

 この死を一変させたのが、死亡保険金です。
 一定の条件で自死にもでるようになったのは、あまりに多く借金苦が原因のため、遺族を保護する必要があったからです。瞬く間に「死ぬまでは待ってられない」と極悪な犯罪を産みました。
 更に厳しいのは日本中の農家をおそった米余りです。まず田舎の田んぼが無価値になりました。しかし、肥料代・農機具代と農協の借金はかさむ一方です。そこで考え出したのが生命保険を担保にした借金農業です。山村でも一戸当り三千万になるのに時間はかかりませんでした。現在では葬式代も保険で賄うこととなり、現金はお寺への布施だけですから法外に高いという印象をもちます。さらには、親戚への形見分けもなく、式場でおしまいですから、四十九日や一周忌も家族だけのお参りです。もちろん集落が高齢者ばかりで、昔ながらの葬儀をして遺族の負担を軽減することができないのも事実です。勢い、香典以上の支払いが残ってしまいます。一番親族を結びつけ、集落の『結い』を強くするはずの葬儀で、金の切れ目が縁の切れ目となったのは皮肉です。かくして高騰する葬儀代は日本人をお寺嫌いにしてしまいました。最近の映画「エンディングノート」というドキュメントで葬式をキリスト教にしたのは『一番リーゾナブルだったから』との言葉に、私たちにつきつけた刃を感じます。

〈落日や 朝日待つ間の籠りかな〉

 日本人は闇を恐れました。とくに月明かりさえ消える新月の夜は魑魅魍魎(現代でもこんな言葉が一発で変換できます)が跋扈しますので、日待・月待といって集まり夜明かしをしました。このつごもり(晦日)の最後が大晦日で除夜という日待をして、翌日は最高の元旦という夜明けを迎えます。闇は玄であり黒色で、あらゆる物を飲込み浄化し再生します。結婚という言葉は平安時代に使われているほど古い語ですが、『昏』の闇に籠ると朝陽が昇り『結=むすひー産陽』新しい生命が誕生するという結婚の本義を表しています。
 じつはこの暗闇を護るのは月読みの尊で新月の日を知らせる男神ですが、西欧ではルナという女神です。逆に日本の太陽神は天照大神で女神ですが、西欧ではアポロ男神です。いかに籠りを大事にしていたかが分ります。
 もう一つ、逆なのが黒と白です。黒は日本以外では喪の色で不吉だと嫌われますが、黒は全てを受入れる宇宙と捉え、方角は北です。玄は生命の根源とされる北極星を象徴しています。古来黒は、日本ではお祝いの色とされてきました。一方の白色は喪の色でした。特に生命を奪う死神を払い、ケガレ(生気が枯れる意)を清めます(気強めが原意)。死に装束が白である由縁です。また白は光の象徴として全ての物を清浄に保ちます。通夜に明りをたやさないのも、光の祓いの力を信じたからです。冥土銭や渡し賃といわれる六文銭も、通夜の油代だったそうです。
 欧米の哲学は実証的です。誰がやっても同じと証明できるものを正しいとします。しかし、日本や東洋の人々は、長年大事にしてきた風習、皆が守っている経験律も正しいと受けいれます。なぜ葬式の塩がいけないのか? なぜ施餓鬼が施食に変わったのか! 線香の本数以前に「何のために香を焚くか」、日本人だけがお膳をあつらえてまで死者に供養するのか? に丁寧に答えないと、法事・七日の意味どころか、葬式すらする必要があるのかと忌避し、遺体の処理でいいとさえ思っている若い世代がほとんどです。
 この数年間で半分にまでふくれあがった直葬と家族葬に共通するのは「死ねば終わり/あの世はない」との霊性の否定と「付合いはいや/費用をかけない」という現実主義です。一千五百年間、神道を土台に癒やしの大系を創り上げた葬式仏教の瀬戸際です。日本人の豊かな感性が、『亡き人と共に成仏するという』葬儀を定着させ、葬儀をきっかけに自分を任せられる信仰を得てきたのです。九割が仏式で葬儀をしてくれている間に、仏教を信仰として再生させなくてはなりません。