コンビニエンス化していく寺院
【藤木】 関水さんは曹洞宗総合研究センター専任研究員でいらっしゃいます。前回の渡辺さん、霊元さんのお話を聞いてどういうことをお感じになりましたか。
【関水】 渡辺さんのお話を拝聴して非常に印象に残ったのは、ご詠歌を再開された時に、そこに集まった方々が堰を切ったようにお話されて、最後、手をつないで帰られたというお話です。お寺としての機能というか、宗教者としての在り方というものを考える上で大事な点が示されていると思いました。人間性の回復というか、人間が人間としてあるべき姿にだんだんと戻っていくということに、お寺が寄り添うということでしょうか。
曹洞宗総合研究センターでは、『自死に向き合う』という冊子を三年くらい前に刊行しました。また、自死される方に宗教者として何ができるか、いろんな方をお招きして勉強会をしたりしました。その中で、あるNPOを運営している方が、「分かち合いの会」と言って、表面上出せない心の傷を語り合う会を通じて自分の気持ちを吐き出すと、だんだんと回復して行ったりするということを話されました。渡辺さんのお話はまさにそこのところをおっしゃっていると思いました。
今、復興元年と言われていますが、被災者の心のケアというのは宗教者の役割なんですが、それがやっと始まったばかりなのかなと思います。
現在、現職研修会、現職尼僧研修会、寺族研修会では、総合研究センターが作成した『人々の心に向き合うために』という冊子に基づいた講習を全国共通のテーマとして行なっております。実践編と学科編があるのですが、心を傾けて人々の話をどう聞くか、それを実践するのが宗教者、菩薩行の実践者としての使命だということをお話しています。
今、全国に十名ぐらい、私どもの「曹洞宗こころの問題プロジェクト」のメンバーが、分担して伺っています。こういった活動をするとよく、宗門はカウンセラーを養成するのですかという質問をいただくんですが、必ずしもそれが主眼ではなくて、僧侶が僧侶としてあるためにというか、真の僧侶となるためにというか、本当は当たり前にやらなければいけないことをやっているわけです。
人びとの話を謙虚に聞くということが、今回の震災でも一番問われているところで、普段から、そういったことが当たり前にできていないと、震災の時もできないと思います。そういった意味では、あらためて点検する。僧侶としての在り方を振り返る機会にしていただくというのが各種研修会の眼目です。
わたしの師寮寺では今、お檀家さんとの付き合いではなく、葬式が発生した時に葬儀屋さん経由で、曹洞宗のお寺さんだということでお願いしますと依頼されることが増えています。今まで関係がなかった、ご縁がなかった方を受け入れて、そこで初めて付き合いが始まる。それきりになる方もいますし、また一周忌、三回忌をお願いしますと言われる場合もある。ともかく、一過性の関係という方が増えている。宗教的浮遊層と言われる人たち、菩提寺がない方がかなりいて、そういう方たちとの関係というものを考えていかないといけないと思います。
私はよく寺院のコンビニ化ということを言います。コンビニエンスストアのように都合のいい時、消費者の都合でアクセスしやすい寺というものに変わってきている。例えば曹洞宗というファミリーマートがあったら、同じファミリーマートだからいいやとか、今まで浄土宗のセブンイレブンに行っていたけれど、曹洞宗のファミリーマートの方がちょっと安そうだからそっちにしようとか、もうかなり流動的で、その場限りの関係性になっている。特に都市部ではお寺がそんなふうにコンビニエンスストア化している。そういう関係性の中で震災が来たらどうするのか、それは考えておかないといけないでしょう。
総合研究センターでは、OL、サラリーマン向けの坐禅会なども行なっています。「朝活禅」と言うんですが、出勤前の活動、何か習い事をしたりするものの一つに坐禅をということで、グランドホテルの五階で月二回ぐらい行なっています。
来る方にお話を聞くと、初めてお坊さんと口を利いた、坐禅するのも初めて、お寺さんと接触する機会というのは法事とかお葬式とかで、ほとんど接点がないという方が大半です。そういった中で、どういうふうにお寺を開いていくか、僧侶が僧侶であるためにどうしたらいいのか、ということが問われていると思います。
この前、東京のあるお寺さんと話したんですが、都心部では昼間の人口はすごく多いけれど、住人ではないから夜はそれぞれの自宅に帰る。でも、昼間の人口が多い時に大地震が起こったら、その方たちをどんなふうに被災者としてお寺が受け入れて行けるのか。とくに港区とか千代田区とか、昼間人口と夜間人口の差が激しい所は、被災者が昼間発生した場合、どのようにしてお寺が受け入ることができるか、よく考えていかなければならないでしょうね。
行政やNPOとの連携、つながりというものを、あらかじめ作っておいたり、あるいは毛布を何十枚必ず用意しておくとか、そういった具体的なことを考えておくということが、まず必要ではないかと思います。
人が結び合うことの大切さ
【藤木】 杉原さんは、原発問題にも詳しいかたですが、ここまでの話を聞かれてどう思われますか。
【杉原】 ちょうど東京の話が出ましたので、地震直後の東京でのことをお話させてもらってよいでしょうか。僕は渋谷区に住んでいるのですが、3・11の時は自宅にいまして、やはりものすごく揺れました。地震を本当に恐ろしいと思ったのは人生で二度目のことです。
一度目の時は、僕が高校生のころに起こった阪神・淡路大震災でした。僕は大阪出身で、その時は大阪にいました。結構南のほうだったんですが、それでも震度4ぐらいあって、そんな揺れを経験するのは初めてでした。それまでは、地震で揺れてもちょっと楽しいくらいの感じだったんですが、その時は本当に怖くて、慌てて起きて、家族みんなでお互いに大丈夫か大丈夫かと言い合いました。
今回の3・11のときは、その時以来の恐ろしさというか、本当に足が震えました。家の中はもうぐちゃぐちゃ。いろんな人と連絡を取り合おうと思って、電話やメールをしたんですが、全然つながらない。その時にたまたま連絡のついていた人で帰宅難民になって家に帰れなくなってしまった人がいました。
その日はすごく寒い日だったんですよね。それは大変だということで、うちに泊まっていけよということで、迎えに駅まで行ったんです。その時に多くの人たちとすれ違うことになったのですが、すごく印象的だったのが二人以上というか、仲間と一緒に歩いている人たちというのは、意外に笑顔で歩いているわけです。しゃべりながらどこかで、ある種、楽しんでいると言うとおかしいかもしれないけれど、お互いに話しながら気持ちを保っているというところがあった。一人で歩いて帰っている人は、すごくつらそうに、うつむきながら歩いている。その違いがすごいなということを、歩きながら感じました。誰か心を通わせられる人と一緒にいるということの大きさということを思いました。
震災後の十三日の朝に、近くの代々木公園を散歩しました。原発事故も起こっていたので、僕もどうしようかと思っていたのですが、公園はいつもより人が多いぐらいで、みんな普通に芝生に座っていつもと変わりなく語らっている。どういうことだろう、みんなは今の危機的な状況が分かっているのだろうかと思っていた。
その中にたまたま知り合いがいて、仲間たちと一緒に集まっていました。どうしたんですかと聞いたら、すごく大変な状況だから、みんなすごく不安で、どうしようかと仲間で集まって話をしていると言う。見た目は普段と同じふつうののどかな景色なんですが、みんな心の中はすごく不安で、だから人が集まって、何か気持ちを落ち着かせたり、知り合い同士で集まって一緒に支え合っているという状況でした。人が結び合うということの大切さが感じられました。
僕は大阪から十年くらい前に東京に来て一人暮らし用のマンションに引っ越したのですが、その時びっくりしたのが、誰も表札を出していないということなんです。どこかでコミュニケーションを拒絶しているというか…。僕はたまたま、大学院で「自殺予防」の研究をしているのですが、人と人とのつながりをもう一度つくり直していくということがないと、根本的な自殺予防はできないだろうと思います。国でも相談を受けたり法制度を整えたりということはやっていますが、一方で人のつながりの再構築という根本的な課題にも取り組まなければなりません。
自殺者を生みやすい仮設住宅
【杉原】 今の自殺の問題というのは、鬱病になって自殺に追い込まれていくということがあるのですが、その前に失業とか、家庭内の不和、借金、そういう問題があって、次第に鬱病に陥って行く。そうした複合的な要因のさらにその前には、もっと小さな要因があるわけで、さかのぼっていけばどんどんささいな要因がたくさん出てくると思います。根本的な自殺予防を考えると、その本当に小さな要因に対応していかなければならないでしょう。
それはもう公的な力、制度では対処できるわけがない。ご近所や家族との付き合いが大切で、かつては、何かあの人は最近元気がないようだけど、といった日常のコミュニケーションの中で対処されてきた。しかし、今はそういうことが無くなってきたということが、自殺が減らない原因の根底にあるのではないかと思います。
被災地でも、自殺の問題が大きくなっていると思うんです。とくに仮設住宅に入った時に孤立しがちで、阪神・淡路大震災の時も、仮設に移ってから自殺が増えたということがあった。孤立しないための支援、つながりをどうやってつくっていくかということが課題だったと思うんです。でも、考えてみたら、さっき言ったように、首都圏でもみんな孤立している。その状況は被災地とある種同じ課題を抱えている。その辺は、被災地だけの問題ではなく、自分たちの問題だと考えないといけないのではないかと思います。
そういう時に、人のつながりをどうつくっていくかということで、いろんなやり方があると思うんですけど、一つに「隣人祭り」というのがあるんです。フランスが発祥だと思うんですが。
【関水】 フランスでは孤独死する人が多くいたからですか。
【杉原】 そうです。その隣人祭りというのは、例えばマンションの中にいる人たちが、年に一回ぐらい、食べ物を一品ずつ持ち寄って、中庭かどこかに集まって交流会をするという、本当にそれだけのことなので、誰でもどこでもできる。それを広めていくことが、孤独死予防、自殺予防の一つのやり方なのかなと思っています。お寺さんの役割という話も出ていましたが、お寺にはその地域の核になる力がある。そういう場所なのかなと思います。
今、若い人も、仏の教えだとか、すごく興味を持っている人が多いんです。僕の周りでもすごく多い。
【霊元】 今、般若心経の本だけでも四十冊ぐらい、普通の本屋でも置いていますからね。
【関水】 雑誌でもよく特集をしている。
【杉原】 まさに今、時代はその方向に向かっている。
【霊元】 ただ、そのアプローチのしかたが分からない。
【杉原】 そうなんですよね。だから、その辺は仏教に興味があると同時に、農業にも興味を持っているとか、つながっていると思うんです。なにか大きな変化の時期に来ているし、震災というのはすごくつらいことですけど、一方で希望も生み出したというふうに思います。原発のことで言っても、確か四基が建設中、九基が建設計画中だったと思います。震災がなければ、これらもそのまま進んでいたはずです。
【霊元】 震災後、結婚したいと思う人が、少し増えてきているんですよね。昔から祭りの場というのは「神人同食」、みんなで同じものを食べて語らうということをやっていたわけです。今うちの寺では典座さんに来てもらって、本物の精進料理を作ってふるまう。その際、支度の時から来ている人に胡麻豆腐の作り方とか全部教える。そしていずれその人たちが作って、皆さん方に出してくれる。施食なんですよ、本当。
ブータンで、とにかく温かいものを訪れた人に食べていただくのが幸せという気持ちは、今回の震災でもよく分かりました。
【渡辺】 お斎(とき)を一緒にするということですね。
【霊元】 そうですよ。
しがらみの中でこそ縁が生まれる
【藤木】 3・11のとき、東京では帰宅難民がたくさん出て、歩いて帰った人もいたわけですが、後で聞いた話では増上寺の前で炊き出しがあった。増上寺さんでこういうことがすっとできたのは、前もって心の備えがあったのかなと思いますが。
【霊元】 禅宗の坊さんにはうどんがつきものだしね。お粥だって雑炊だっていい。でも、今回の3・11のときは、被災範囲が広過ぎて機能しなかった。
【渡辺】 確かに機能しなかった面はあるんですが、でも、逼迫している時に食べた食事はみんな忘れません。確かに被災地の面全部を覆うことはできなかったけれど、被災地の皆さん方が、あの時の豚汁は最高だったねと今でも言っておられます。とくにお坊さんが給仕してくれたことは、生涯忘れられないと言う人もいました。やっぱり違うんでしょうね。
無縁だとか孤独、孤立と言うけれど、みんな自分が望んだわけではなく無縁化、孤立化、孤独化してしまっているわけだから、そこは震災の中で一番みんなが力を合わせなければいけない部分です。それはみんな思い知らされたと思います。
それから今回の震災に際して、よく、日本人は素晴らしい、東北の人は我慢強いから立派だとか、美化して言われることが多いのですが、現実には、震災が起きてしばらくの間は、最初は我慢していたんだけど、だんだん気が荒ぶってくるんですよ。言いたいこともたまってきて、顔を合わせたら怒鳴り合いになったり、喧嘩になってしまうとか、そういうことはいっぱいあるんですよ。
例えばお寺に、分別がきちっとあるはずの檀家の人が、うちの墓どうしてくれるんだと怒鳴り込んで来た、なんていうケースもある。震度6とかなればお墓が倒れたり壊れたりするのは当たり前のことですよね。ところが逆上してしまって、訳が分からなくなって爆発するということがあるわけです。お寺としてはただ、受け流すというか、それで、みんな対応したようですが。
でも、必ずやっぱり言うんですよ。人間は弱いですから、何かに当たりたい。こんなことがあったのは何のせいだとか、神も仏もないといった思いがあってしばらく経つと我慢できなくなって爆発するんですよ。逆上してしまったお母さんとか、男性だと酒を飲み過ぎたりして、理性のたがが外れてしまう。
さきほど言ったように、お寺の周辺の地域社会も、なかにはお寺そのものさえ無縁化しているから、なおのこと難しいんだと思います。無縁化してしまったのはなぜかというと、壇信徒教育を受けたりして、お寺の付き合いや地域の付き合いに無理矢理でも参加させられたという人が少なくなっているからでしょう。
それを全部除けてきたのが、さっき杉原さんがおっしゃった東京ですね。その点、私、大阪と東京はまったく違うと思うんです。大阪の人は誰とだってしゃべりますよね。喫茶店なんかで、阪神タイガースのことなんてなると誰とでも話し始める。われわれ東北人なんか、信じられない世界です。あの人、知り合い?と聞くと知らない人という。だけど、それがさらに洗練されちゃって、全部関係性を絶っているのが、今の東京のスタイルだろうなと思います。
【霊元】 プライバシー保護法のおかげで本当に大変ですよね。同窓会名簿だって作れないですから、今は。
【渡辺】 そうなんですよね。自分たちを逆に追い込んでしまったのは、そういう社会の大きな流れもあるのかなと思います。地域社会の中で無理やりやらされたこと、しがらみと言われたものがあったからこそ無縁化しないで済んでいた。お葬式とか法事というのも、そういう意味での役割があったのではないかと思います。それが今は例えば家族葬や直葬が盛んになっていく。余計な面倒くさいものはいらないという気持ちと経済的な理由で広まっていくのでしょうが。そうしたことが、人間にとっていちばん大切な他人との関係も排除しているのではないかと思います。
【霊元】 そうです。煩わしさです。お金の問題で言えば、家族葬のほうが普通よりずっと掛かるんですよ、本当は。葬儀後にそれを知って弔問に来る人たちの応対というのも、そっちの方が本当に煩わしいものですよ。
【渡辺】 でも、そこまで知らないんですよね。
お坊さんは忙しくてはだめ
【霊元】 ブータンへ行った時に、本当にほっとするところがあるんですが、例えばブータンでは殺虫剤というのはないんですよ。蚊さえ殺さない。日本でも実はキンチョールが出る前は「蚊遣り」、蚊を向こうに遣る蚊遣りで、殺さなかったんです。私たちは命に囲まれて生きているのだという自覚が今の日本にはない。
宮崎で発生した口蹄疫ではたくさんの牛が処分されましたが、あれはじつは私たちの健康のために殺されたのではないんです。日本中の牛肉の輸出ができなくなるという経済的理由であれだけの犠牲を生んだ。だから、命というものは、経済とか効率という原理に支配されるようになると、孤立化せざるを得ないわけです。
私たちは命のつながりの中にいるのだから、自分の命、自分の愛する人の命というのはものすごく大事なわけです。だから、だれかが頼ってきた時に、そのために自分を開けておくことが大事なわけです。
そう考えると、今のアメリカというのはすごくかわいそうな国だと思う。例えば税関を通る時に、靴下まで脱いで裸足を見せないと審査にパスしない。アメリカは外国から入ってくるものは敵だと思っている。そういう意味では、どんどんアメリカナイズしているといえ、まだまだ日本には救いがあるので、今のうちに考えないと。
【関水】 昨日、たまたま私どものセンターに来られた方の話なんですが、七十代ぐらいの方でお孫さんがお寺さんがやっている幼稚園に行っている方がいた。その孫は今は小学校二年生になったけれど蚊が来ても殺さないで逃がすという。それは幼稚園のころに、そのお寺さんの幼稚園で教育してもらったのが生きているのだろうなとおっしゃっていた。そういう意味では命のことを、若い世代に伝えていくということに希望が持てるお話だなと思いました。
【霊元】 總持寺の保育所には児童が五百人いて、規模としては日本一なんです。一番の魅力は、總持寺にはあれだけの緑の境内があることですね。そこにみんな集まってくる。お年寄りも来れば、若い人たちも犬の散歩なんかに来るし、その中に園児たちもしょっちゅうやってくる。
それと、三松幼稚園でも保育園でも必ず坐禅をする。坐禅をすると、すごくいじめがなくなるそうです。坐禅は自分を孤にするわけでしょう。そうすると周りがよく見えてくるんですね。自分が包まれている、他者が敵ではないんだということに気づく。
ストーカーだって前から来たら何ということはない。背後から来るから恐怖が増していくわけでしょう。最初に坐禅を組んだ時というのはすごく怖い。背をさらすということは、誰でも怖いんです。でも、さらしてみると、意外と落ち着いてくるんです。本当に自分を孤の状態にしてみると、周りに本当は包まれているのだと分かる。
今、わたしはよく「喜心・老心・大心」というお話をします。まず喜心というのは、今ここに自分があることのありがたさを知ること。それが人間にとっての本当の喜びの心でしょう。老心と言うのは、急がず、ゆったりと、他者にご苦労さまと言うことなんでしょうね。老婆親切というのはそういうことで、急がせてはいけない。大心というのは恐らく、ごめんねの心なんだろうな。あなたがあって、私がいる。責めない、勝たない、無視しない。それを実践すれば、人間関係というのは絶対戻ってくると思うんです。坊さんというのは、責めたらいけないし、負けていいんだし、勝つ必要はないんです。
それから、無視しないということが一番大事なんです。あんまりずかずか入っていくのは良くないけれど、無視はしない。でも、無視せざるを得ない事情というのが今、いっぱい出てきているわけです。だから、あんまり坊さんは忙しくしてはいけないんだろうな。みんな坊さんにお忙しいなか申しわけありませんと言うけれど、住職というのは、本当はいつでも待っていなくてはいけないんだろうなと思うんだけれども。(笑)
【藤木】 今、そういう面では、例えば「支えあう心」とか、すごくいいテーマが宗門でも提示されていますね。宗門の組織を見ると、ご本山があり、中央僧堂があり、一般のお寺があり、お檀家があり、行政組織としては宗務庁があり、各県の宗務所があり、現職講習会とか寺族講習会なども行われている。私は例えば「支えあう心」といった理念を一つの実りあるかたちとしていくためには、宗門の組織を一貫してオーガナイズしていく手法が必要だと思います。つまり、一つの物事を推進するためには、各組織体がばらばらにやるのではなく、一貫した戦略に基づいて行う必要がある。
とくに現職講習会などはそれぞれの県に任されているので、署長さんなり教化主事さんが主導して、いいお話を聞くだけではなく、ワークショップがあってもいいし、ワールドカフェという方式を使ってもいいし、参加者が積極的に問題にコミットできるように工夫することが大事だと思います。曹洞宗門として、一つの物事を伝達していくためのコミュニティーをしっかり組み立て直さないといけない。今始めても、効果が出てくるのは十年、二十年先の話でしょうからね。宗門は、そういう大きな見地というか視点を持つべきだと思います。
【関水】 私どもの現職研修会などでの講習でもワークショップを取り入れるような工夫をしております。また、宗務所さんによっては教化主事さんを中心によく考えてプログラムを組み立てておられるところもたくさんあります。より広いビジョンでそれをもっと全国的に一体化して、進めていくことができればいいでしょうね。
具体的な援助を必要とする被災寺
【霊元】 宗門で、なぜ宗議会の議題に上がらないのかと思うのですが、福島ではお檀家が国の指示で軒並み避難させられてしまったところもありますね。では、残ったお寺を曹洞宗としてどうしていくつもりなのか。
今回の被災地でも、宗費は全部宗務庁へ行っているんですから、それなら、そういうお寺を安全な場所にどんと移してあげるなり、その住職をケアするなり、方法はいくらでもある。今やらなければいつやるんだということですよ。
【渡辺】 ある程度、いろんな形の緊急措置は宮城県なんかでもやっていますが、これから先、全体的にどうするんだというのは、まったく分かりません。こんな震災は今まで経験したことがないわけですから。何十軒というお寺が倒壊に近い状態となり、檀信徒の方々の三割が亡くなっているところもあるし、それにさらに原子力災害が重なった。これからどうなるかというのは、誰にも分からないんです。
【霊元】 お寺は宗教法人だから公的な補助の適用が除外されている。補償の対象からも外れているんでしょう?
【渡辺】 そうです。同じ公益法人でも学校法人とかであれば、これだけの損害がありましたとか認められるのですが、お寺には何もありません。それには異議ありなんですが、それが変わらないとすれば、曹洞宗としてはこれからどうするのか。
【霊元】 その時にこそ、本庁の存在意義が問われる。
【渡辺】 寺院が被災した場合の、これからの大事な前例、一つの方向性を示すことになるわけです。お寺はみんな四百年とか三百年という歴史を経ていて、建物自体古いものだという考え方もあるけれど、四百年、三百年、その場所で地域のアイデンティティーを作ってきた存在なんです。今回、それを思い知らされたわけですよ。取りあえずサテライト方式でもいいからその機能を維持するべきでしょう。
もう一つは、福利厚生がこういう時こそ大事だと思うんです。曹洞宗寺院は全国に一万五千もあって、それ相応のお金がありながら、被災した教師と寺族を養えないなんて、そんなばかなことがあるかと思います。
【霊元】 昔、宮崎のほうで大水害が起こって三人亡くなったんですが、結局、タオル一本しか来なかったですからね。今回の震災で寺が被災しても、基本的には自分たちで処置しなさいということでしょう。それでも今はかなりよくやっている。
【渡辺】 おっしゃるとおり、今までと比べれば宗務庁も随分よくやっています。
【霊元】 でも、今の程度ではこれから先、寺離れを加速させることになりかねない。
【渡辺】 住職や寺族でどうしようもない状況に陥っている方々に対しては、向こう二十年ぐらい面倒見るということをやらないといけない。本当は被災した檀信徒の方々に対してももう少し何かケアができればいいのですが、これは余りにも被災している人が多過ぎて、手の付けようがないというのが実情でしょう。
【霊元】 宗費を免除するくらいでは駄目ですよ。しばらくの間、生活保護じゃないけれど、お寺を維持していくためのものは宗務庁がきちんと援助しないと。とにかく住職・寺族に希望とやる気が起きないことには問題は解決しない。
【渡辺】 本当です。宮城県だって福島県だって、もう住職は辞めて還俗するという人まで何人か出てきている。ですから、補償まではできないけれど生活保護、少なくとも向こう十年は、ちゃんと最低限の食べるということに関しては面倒見るから、だから頑張ってほしいという風にしないと。そうすれば、その何人かは思いとどまって、もう一回再構築し始めると思います。
お寺は人々を結び直す場所
【霊元】 お檀家というのは、私たちが生活していく基盤ではない。私たちは檀家を守っていくほうであって、食べさせてもらう対象ではないのです。それを今回の震災は突き付けてきたと思いますよ。とにかくお寺というのは一度切れた地縁とか血縁というのを結んであげる場所なんです。
【渡辺】 そうです。結び直しする場所です。
【霊元】 とくにご先祖というのは、もう全部つながっているんです。今、東北で無念に亡くなった方たちというのは、私たちすべての先祖なんです。自分とは関係がない、他人の死だと思うかもしれないけれど、本当は先祖をさかのぼったら、みな日本という災害列島に住み付いてきた仲間の子孫なんですから。
【関水】 今、若い人が興味を持っているのは、横のつながりだけではなく、そういう縦のご先祖様とのつながりを求めている。だから、仏教と同時に農業とかに関心を持っている。何か宙ぶらりんな感覚というか、自分の足場がすごくもろく感じる中で、何か確かなものが欲しいという、そういう思いがあるような気がします。
【霊元】 うちは今、全法要を切り替えているんです。例えば花祭りは、赤ちゃん健康祈願祭として、昌竜寺に関係のある人は、どなたの赤ちゃんでも、お釈迦さんの誕生日に、母子健康の祈願をしますからと言うとすごく喜ぶんですよ。今、お寺がそんなふうに願われるということがなくなってきているように思われるのは残念です。
最後にちょっと話は変わるのですが、私たちは、お寺を維持する経営者であり、壇信徒の指標であり、指導者であり、父親である。もう四役も五役もやらなくてはならないわけです。それも全部、パーフェクトでないといけない。ところが、パーフェクトになんか絶対なり得ないわけです。そうすると、私は住職も寺族の方たちも、もっともっと宗門のサンクチュアリティー(聖域性)を経験しないといけないと思うんですよ。
それが恐らく私たちをクリーニングしてくれるんです。本山に参籠して、守られた空間に本当に身を浸し、ご開山にお拝するだけで、随分気持ちが変わる。それを、ぜひ寺族にも本当に味わっていただきたい。
というのは、子どもを含め寺族は、自坊では俗なお父さんとしての住職しか見ていないわけです。だから、時々聖域に身を浸して寺族として、仏の使徒としての自覚を取り戻す必要がある。そうすれば、今回の震災のような非常時になった時でも、本当に仏の側に立って人々と接し、共感を得ることができる。これはもう最終的に仏の側に立って接する、そういうことしかないんです。
何をするかということではなく、人間が人間を助けるという段階では処理できないことがあまりにも多過ぎるので、そのためには、自分で必ずそういう、聖域に身を浸して本当に人間というものを大好きにならないと。
ですから、前にも言ったように、そのお寺も、そういう聖域的な所、みんなが共有できる所と私的な部分、住職・寺族がリラックスできる所とを分けておかないといけない。今は両方なくなってしまっているでしょう。その状態で四役も五役もやれと言うのは無理なんです。今回の震災を機会にもっともっと、そういうところを確立してほしい、お坊さんとしての心構えをもう一遍総点検していただきたいなと思います。
(平成24年6月26日東京グランドホテルにて収録)