彼岸会にちなんで

  駒澤大学名誉教授 佐々木 宏幹

一、はじめに

  「暑さ寒さも彼岸まで」という表現は、今日ではよほど年輩の人でないと実感をこめて用いることがなくなった気がする。とくに大都市ではその感が深い。
 昨年の秋の彼岸会の頃は猛暑連日であった。「読書の秋」とも呼ばれる好季節を実感する日々をいきなり越えて「冬」が到来した思いがする。地球環境異変の現実を体験したとも言える季節であった。
 今や茫々たる記憶の彼方に残るのみであるが、第二次大戦敗戦(一九四五・昭和二十年)前後の宮城県は気仙沼市では、「暑さ寒さも彼岸まで」の思いが現に生きていた。
 その頃の年中行事はまだ旧暦で行われていたから、彼岸会は新暦の四月二十日前後であったはずである。
 ちなみに本年の春彼岸の中日(春分の日)は三月二十日であるが、旧暦では二月九日になる。
 今さらほざいても仕方ないことであるが、この国のいろいろな祭事を含む諸年中行事は旧暦(太陰暦)の方こそが相応しいのである。
 その証拠に一昨年三月十一日の東日本大震災の被害者たちは、彼岸の日々を各地の避難所で「暑さ寒さも彼岸まで」どころか「寒さ寒さの彼岸かな」の思いを抱きつつ過ごしたであろうからだ。
 旧暦の彼岸会(現在の四月半ば)頃の東北太平洋沿岸の各地は、ようやく雪と冷たい北風から解放され、春風が吹き、陽光が日増しに強くなるのを実感できるときであった。
 彼岸会が近づくと気仙沼市の私が育った寺では、全檀家に配布する「カワガンジョウ」または「カガンジョウ」と呼ぶ二枚の経木を作製するのに大童であった。
 カワガンジョウは杉の木(板)を薄く削った縦二五センチ横一〇センチほどの板二枚に、一つは「南無釈迦牟尼仏」、他は「先祖代々諸精霊」と彫りこんだ版木を刷りこんで作る。
 座敷の畳の上に茣蓙を敷き、これが動かないように手前を両膝でしっかりと押さえつけ、版木の文字に刷毛で墨をつけ一枚一枚心をこめて刷り上げる仕事は、単純ではあるが簡単ではなかったことを憶えている。
 この経木は春秋の彼岸会とお盆のときと都合年に三度全檀家に配布される。
 各檀家ではカワガンジョウを仏壇に安置し、期間が終わると河川に流すなどした。環境問題が生じてからは市当局の要請もあって、今日では行事の期間が終わると、定められた場所に集めて焼却するという。

二、カワガンジョウとは何か

 「カワガンジョウ」または「カガンジョウ」は、宮城県でも気仙沼地域のいわば「習俗」であり、他地域には見られないようだ。
 この地域のカワガンジョウ習俗の由来を調べてみたがはっきりしない。
 気仙沼市には天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗に属する諸寺があるが、カワガンジョウはどの宗派の寺院でも作製・配布してきた。
 ところがその由来・縁起について住職方に尋ねても一様に分からないとの答えである。
 『仏教辞典』(中村元他編、岩波書店)を見ると「かんじょう」には「勧請」と「灌頂」とがあり、前者は梵天勧請をはじめ、法要において諸仏菩薩にその場へ来臨するよう祈願要請することを意味する。
 後者は密教で行う頭頂に水を灌(そそ)ぎかける儀式であるとし、諸例を挙げている中で「流れ灌頂」について述べてある。
 「流れ灌頂」とは死亡した妊産婦や水死者はじめ無縁の死者の回向や魚類供養などのために行う仏事であり、水によって罪穢を浄める在来の禊の習俗に密教の灌頂を結びつけ、灌頂幡(ばん)の功徳で、死者の滅罪を願う日本で始められた供養法であるという。
 さらに板塔婆の上に幡(はた)を懸け、これに陀羅尼や経文や弥陀名号を書き、誦経供養して水中に流す。宗派や地方によって作法に相違があり、板塔婆を流すこともある。これが民間習俗化して各地に残り、〈川灌頂〉とも呼ばれるとされる。
 どうやら「カワガンジョウ」または「カガンジョウ」は「流れ灌頂」に由来することはほぼ明らかになったと言えよう。
 また静岡県伊豆の国市観光協会のホームページから、毎年八月一日夕刻に同市神島地区の人びとが「かわかんじょう」という祭りを狩野川神島橋河川敷で行うことを知った。
 それによると「『かわかんじょう』(川灌頂・川施餓鬼/死者を成仏させるために卒塔婆を川に流す行事)は、暴れ川だった狩野川の水霊を鎮め、水害から村を守るためと、水難者を供養するための盆の行事」とある。
 この行事(祭り)に僧侶か神主が関与するのかどうかは分からない。
 いずれにせよ「カンジョウ」(灌頂)は頭の頂きに聖なる水を灌(そそ)ぐことで、密教では最重要な宗教的行為であるが、これが水の力によって罪や穢れを除去しようとする日本古来の禊の習俗と結びつき、さらに死者の成仏や供養と習合し、現在の「カワガンジョウ」に至ったと見ることができよう。
 禅宗には「洒(灑)水」という儀礼行為がある。法要を行う前に、散華・焼香とともに浄水を振り撒いて道場を清め、また授戒の際に戒弟の身心を清浄にするため浄水を頭上に振りかけることである。ここにも水の力への神聖視がある。
 ところが私が知る限り気仙沼地域の「カワガンジョウ」(「カガンジョウ」)は経木を寺から迎えて各家の仏壇に供え供養することが主であり、河川に流すのは彼岸会やお盆が済んだ後の聖物の処理のように見えた。
 大切なのは「南無釈迦牟尼仏」と「先祖代々諸精霊」の印刻された一対の経木である。
 「カワガンジョウ」は寺から各地に住む世話人に送られ、世話人の手で檀家に配布された。檀徒は「カワガンジョウ」を手にして、彼岸とお盆の時節になったことを再確認したのであろう。
 寺の住職や副住職は彼岸会とお盆には各家を訪ねて、「カワガンジョウ」を祀ってある仏壇または盆棚に誦経するのが常だった。
 私が冷えた手に息を吹きかけながら懸命に版木を押し続けた時から六〇年以上の歳月が流れた。
 「カワガンジョウ」は昔どおりに刷られ配布されているという。ただ棚経に歩く僧侶が減ってきているそうだ。社会変化のせいもあろうが、仏教行事が徐々に消えていくのは寂しい。
 すでに述べたように「カンジョウ」の漢字には「勧請」と「灌頂」がある。「勧請」は「諸仏菩薩にその場へ来臨するよう祈願要請すること」である。彼岸会かお盆のときであったか判然としないが、「わが家にはまだカワガンジョウが届いていない」と言って遠方から寺に貰い受けに来た檀徒がときどきいた。
 住職や寺族が相手に詫びながら経木を渡していたのを私は目にしている。
 「灌頂」は檀徒にとっては「勧請」であったのである。

三、「カワガンジョウ」の宗教的性格

 「カワガンジョウ」は一枚はその宗派の本尊名を、他の一枚は各家の先祖代々の精霊を記したものである。
 天台宗は「阿弥陀仏」ほか、真言宗は「大日如来」、曹洞宗は「釈迦牟尼仏」、臨済宗は「釈迦牟尼仏」ほか、日蓮宗は「妙法蓮華経」(大曼荼羅)を本尊としているので、経木の一枚は多分そのように、あるいは類似の名号が刻印されているはずである。
 他方、各家の代々の「先祖代々諸精霊」は各家を構成する人びと(檀徒)が菩提寺の本尊に帰依し、仏教的安心を得ているものとされている。
 本尊と先祖との間には帰依される者と帰依する者との関係があり、宗教的には前者が「主」、そして後者が「従」であることは明白である。
 ところがこの「本尊―先祖」の主従関係はあくまで理念型であり、現実のありようとはかなりの落差がある。なぜそう言えるのか。
 彼岸会やお盆における檀徒の宗教行動を見るとこの落差の大きさがよく分かる。
 彼岸とお盆には檀徒は個人または家族ぐるみで各家の墓と寺の位牌堂を訪れ、合掌礼拝するのが宗教的慣行である。
 この際、人びとは各自の墓参りを済ませた後、寺に足を運び本堂の本尊に合掌礼拝するかというと、そういう人は奇特な人であり、大部分の人は自宅に帰ってしまう、
 私が育った寺ではお盆と正月の十六日は寺参りの日と決まっており、多勢の檀徒が寺参りをする。寺参りは朝五時半頃から夕刻六時頃まで続く。
 人びとは庫裡の奥の間中央に坐す住職に「いつもお世話になり有難とうございます」といった慇懃な挨拶をし、熨斗袋を差し出す。
 その後彼(彼女)は本堂へ行く。本堂正面の須弥壇上には本尊が安置されており、その裏手に各家の位牌を安置する位牌堂がある。
 彼(彼女)は須弥壇の横を通って位牌堂に行くのだが、このとき本尊に合掌礼拝する人はすこぶる少ない。
 まず位牌堂に直行し、自家の位牌に向かって線香を立て、懇ろに合掌礼拝する。何かを口にしながら故人と対話している人もいる。位牌堂参拝を終えて再び庫裡へ戻る際、須弥壇に向かって斜めから合掌する人もあるが、多くは素通りである。再び住職の前に坐した人々には茶菓が供され、しばらく世間話などをしてから寺を辞する。
 この六〇年以上前の寺・墓参りについて現在の住職に尋ねると、今も大勢に変わりはなく、「本堂に行ったら必ず本尊さまを拝んで下さい」と指導しているとの由であった。
 どうしてこうした話をくどくどしく述べたかというと、檀徒がとる先祖が主、本尊が従であることを如実に示すかの如き宗教行動の内に、実は日本仏教の特質とは何かという問題を解く鍵が隠されていると考えるからである。
 以下では重要と考えられる点に絞って記すことにしよう。
 第一に「死者」は「見えざる人」(人格)として異界・他界(民族や地域、時代により在り処は多様)に住み、この世の生者と交流する存在であるという観念や心意は人類に共通して見られる。
 第二に死者(一般に霊・魂・霊魂・精霊などと呼ばれる)は死の穢れを帯びた恐ろしい存在であるが、子孫によって供養・尊崇されると徐々に浄化され、一定の年月を経ると清まった祖霊・祖先となり、やがてカミ(神)の地位を得て一家や村を守護する氏神的存在になるとされる(主に柳田国男『先祖の話』石文社、二〇〇八)。
 第三に鎌倉時代以降、死穢にこだわらない僧侶が葬式に従事するようになり、民衆が整った仏教的儀式を尊重するようになると死者儀礼の仏教化が進み、「葬式仏教」が成立した。その中心的な担い手は、禅、律、念仏僧たちであった。
 当時の寺院(僧侶)と信者(檀徒)との関係は流動的であった。僧侶と信者(檀徒)との関係が「信仰」に根ざしていたからである。寺檀関係が固定化するのは江戸時代になり仏教が国教的な地位を占めるに至ってからであるとされる(松尾剛次『葬式仏教の誕生―中世の仏教革命―』平凡社、二〇一一)。
 加えて禅僧が葬式に必要な存在として受け入れられた理由として、無心無念の禅定や坐禅そのものが死者の霊魂を度脱させ悪霊を鎮めうるとする史料は少なくないという。「禅定力」への信仰である(佐藤俊晃「坐禅と葬送」(1)、(2)、二〇〇四、拙著『仏力―生活仏教のダイナミズム―』春秋社、二〇〇四所収)。
 第四にこの国のとくに農村社会では、「先祖」(墓や位牌)は「家」の継承を保証する最重要な象徴あるいは宗教的対象とされた。「家」を構成する家族員は「家」は永久に存続すべきものという観念を共有し、「家」の財産や家柄などは家族員個々に属するものではなく「家」の創設者である「先祖」より代々寄託されたものと観念されていた。「先祖」こそ「家」の存在と存続の信仰的あるいは人生観的基盤であった。
 第五に寺檀関係の成立により檀徒は寺に「先祖」を託すことになったが、信仰的には仏教の「本尊」とその「教え」に全面帰依した訳ではない。「仏」は「先祖」を守護する存在ではあっても自家薬籠中の物としきった訳ではない。現に死者と先祖は「ほとけ(仏)」と呼ばれ「先祖」と称される。「ほとけ」は今だに曖昧な概念であり、「仏」と、「死者・先祖」を包摂する語である。
 「カワガンジョウ」の一枚が「釈迦牟尼仏」、他が「先祖代々諸精霊」となっているのは理念的には両者の親密な関係を、機能的には「先祖」主、「仏」従のありようを示していると見えることは、すでに述べた。
 両者の関係は日本仏教の特質でもあると、私は考えている。

四、おわりに

 現在この国の「家」は法的にも実際的にも解体している。しかしまだ「家意識」は存在していることは墓碑名の多くがなお「〜家之墓」となっていることからも知られる。
 しかし大都市に見られるように葬式の仕方は多様化し、無僧侶葬も増えている。
 第三節の第三に述べたように、仏教が葬式に関与し始めた頃、僧侶と信者の関係は「信仰」に根ざしていた。将来、人びとが葬式を行う際、宗派を超えて尊敬できる僧侶を選んで依頼するというときが来ないとは言いきれない状況になりつつあるかもしれないことを、お互いに銘記すべきであろう。