現代知名人の宗教観について

  駒澤大学名誉教授 佐々木 宏幹

一、はじめに

 「人生いろいろ、男もいろいろ…」と歌いあげて一世を風靡したのは、平成二十五年十一月八日に死去した島倉千代子さん(享年七五)である。
 かつてこの歌が大ヒットしたのはこの歌が日本人大衆のもつ社会観や人生観の奥底に潜むものを端的率直に表現したからではなかろうか。
 「いろいろ」をより観念的に表現すると「多様性」とか「多層(重)性」とかなろうが、これらの語彙は日本社会や日本文化の性格、特質を述べる際にしばしば用いられてきた。
 最近では「いろいろ」とか「多様」、「多層」の語は政界でも多用されているように思われる。たとえば小泉元総理の「いろいろ」発言、阿倍現首相の「多層性」など。
 このことはこの国の宗教や仏教についてもよく当てはまるように思う。
 まず神道、仏教、キリスト教と、これらから簇出した諸宗教がある。さらに〜教〜派と呼ばれる「いろいろ」な宗教集団が覇を競っている。
 日本仏教に限って見ても「いろいろ」は顕著である。
 日本仏教なるものは法華系、真言系、浄土系、禅系、そして修験道など多くの流派から成っているが、各系がまずは〜宗(団)、教(団)に分かれ、その宗(団)、教(団)がさらに分派、分流して多様、複雑化しているのが現状である。
 たとえば日蓮宗は、日蓮を宗祖とする教団であるが、各地への教えの定着に伴い、日蓮の精神を示す儀軌の在り方などをめぐって論議が生じ、また法華経解釈の相違が問題化して、教団の分派に及んだとされる。
 すなわち日蓮の教義を踏まえて法華経を解釈する際、前半=迹門と後半=本門とを融合的に把える本迹一致論派=「一致派」と、本門を択一的に把える本迹勝劣論派=「勝劣派」との二つの流派が生じたという。
 近世以降、教団は江戸幕府の政策により、二流派のうち「一致派」は身延山久遠寺、池上本門寺、中山法華経寺などの門流と、「勝劣派」は富士大石寺、京都妙満寺、本能寺、本隆寺、本禅寺、要法寺などの門流とに二分され統治されるに至った。
 また近代になって「一致派」教団は「日蓮宗」と称し、「勝劣派」教団は日蓮正宗、顕本法華宗、法華宗(本門流、陣門流、真門流)、本門法華宗、日蓮本宗、日蓮宗不受不施派、本門仏流宗などと称した。
 こうした動向のなかで、不受不施思想を追体験しようとした久遠成院日親(一四〇七〜八八)や仏性院日奥(一五六五〜一六三〇)らが出現し、他方では日蓮思想の普遍化を図った行学院日朝(一四二二〜一五〇〇)、一如院日重(一五四九〜一六二三)、草山元政など個性的な学僧たちが輩出した(『岩波仏教辞典』、「日蓮宗」参照)。
 日蓮宗の歴史的展開を見てきたが、いわゆる「いろいろ性」が色濃く示されていることは明白であると言えよう。
 さきに「いろいろ」の奥底には日本人大衆の社会観や人生観があるだろうとしたが、今の政界を見ても自民党、民主党、維新の会、みんなの党、結いの党など実に「いろいろ」ある。
 その成り立ちを見ると、親分が子分たちを引きつれ党内集団を作り、その中に「実力者」と称する人物が出てきて既成集団の親分に成ると、しばしば親分同士の見解の差や利害関係を理由に分裂し新党派を作る。
 新党派は大義名分を明らかにして他党派との違いを強調する。そして党派の親分=ボスはみずからの正統性を主張する。
 彼らの思想・行動にはこの国の伝統社会に特徴的であった「親分→子分関係」が生きて働いているように見える。
 このような社会的上下関係は、戦前の「総本家→本家→分家→子分家→孫分家」など「家制度」に原型があるようにも思われる。
 この「家」の構造は戦後の民主化の動勢と教育によりかなり崩壊もしくは衰弱したと見られてきた。この見方は正確であったろうか。
 そうとは思われないふしがある。
 多くの「会社」なるものがその一例であり、「親会社→子会社」関係には家制度の拡大再生産の趣きがある。
 茅葺き屋根のひと際目立つ総本家が近代的な高層ビルに変わっても、中で生きる人びとの意識の「根っ子」は存外変わっていないのかもしれない。

二、知名人の宗教観

 見出しに宗教観という上下(かみしも)を着けた文字を使用したが、宗教感覚と記した方が以下の文には相応しいかもしれない。
 言いたいことは、日本の知名人は「いろいろ」であるがその特徴または特質は何かという問題をめぐる私見である。
 資(史)料はいろいろあるが、ここではとりあえず仏教界のさまざまな側面や役割をめぐっての情報を手際よく掲載していることで知られる『寺門興隆』(興山舎)を中心に見ていきたい。
 女優・劇作家の渡辺えりは、「私の願う仏教」と題する一文において、平成二十四年に公演した彼女の新作「天使猫」で宮澤賢治の半生を描いたが、賢治の資料を読んでいるうちに「仏教」の凄さを改めて知ったと述べる。
 渡辺さんは賢治が信じた『法華経』の和訳を三日三晩かけて読み、仏教は二千五百年前から様々な僧侶が庶民のためにその身を犠牲にしながら伝えてきた宗教であると納得したという。
 ひるがえって日本の僧侶たちは先の戦争ではこれに加担し、本来の目的に反して多くの犠牲者を出してしまった。今後は何があっても多数に飲みこまれぬ覚悟が必要ではないかと記す(『寺門興隆』、二〇一三、一月号)。
 彼女の文は仏教が社会に対応する際にしばしば陥った危険な動向をよく衝いているように思う。
 仏教界ではよく「社会に対応した活動」を強調する。東日本大震災後は「絆」の語が仏教者によって喧伝されたが、この絆も政治に利用されたりすると戦中のような不幸な事態に及ぶことがあることに留意すべきであろう。
 また渡辺さんは最近頻繁に葬式に出るようになったが、遺影の前で読経する僧侶の声の良し悪しで葬式の空気感が大きく変わってくるとし、演劇界では一本調子で気持ちの入ってない台詞の言い方を「そんなお経みたいな話し方はしないように」と悪いたとえにすることを記している。
 仏教界の社会的対応への姿勢は評価されるべきである一方、その姿勢が場合によっては「時流に乗る」ことになった歴史を、私たちは謙虚に認めなければなるまい。
 つぎは京都大学文学部卒のインテリ俳優辰巳琢郎の「宗教と宗教者の役割」から。
 辰巳さんは最近、年の近い友人が亡くなることが増え、死が急に身近になってきたとし、死生観や宗教観というものは年をとるうちに徐々に作られていくのだと感じているという。輪廻転生や因果応報、死後の世界なども漠然と信じていると語る。
 そして身内を亡くした時、お寺さんは有り難いものと感じ、お参りに行くと不思議と穏やかで信心深い気持ちになるという。
 また原発の問題に関しては、今までのように豊かな生活を維持したいのなら原発は必要であり、それを捨てて今より貧しくなってもいいという覚悟なしに原発反対とは言えないはずだ。こういう時こそ仏教者がきちんと発言すべきではないか。
 これから人類が進むべき方向を示せるのは、お互いの存在を認め合い、人間も自然の一部であるとする多神教的な考え方や日本的価値観だと確信する。「他者や自然と調和しながら物を大切にして生きていこう」と世界に発信し、率先できるのは日本人しかいないのではないか。日本の仏教者はぜひ、世界をリードしていただきたい。辰巳さんは以上のように帰結する(前掲誌より)。
 辰巳さんの見解は「虫も自然、人体も自然」と考える解剖学者の養老孟司の視点とよく似ている(『いちばん大事なこと』集英社、二〇〇三)
 渡辺さんも辰巳さんも、いわゆる伝統的な葬式仏教を評価しつつも、仏教者の「何があっても多数に飲みこまれぬ覚悟」(渡辺)と「豊かな生活を捨てても原発は反対」(辰巳)のような言動が現に要請されていることを強く示唆している。
 はたしてそのように現代の仏教者は動けるであろうか。答えるのは実に難しい。
 映画監督・脚本家の東陽一さんは、葬儀において読経の後に有り難い法話をする僧侶がいるが、このとき会葬者の雰囲気ががらりと変わると述べる。それまで音吐朗々たる読経の美声に酔っていたのが不意に日常の世界に戻されてしまうという。子供の頃の体験でも、読経の声の美しい僧侶は、とりわけ婦人たちに人気があった。お経を言葉の「意味」としてではなく『声明』と同じように、体の奥深くに染み通る「音楽」として聴くからだと思う。言葉のどんな「意味」の深さも「音楽性」の深さには遠く及ばないという(「「非僧非俗」の親鸞と「非聖非俗」のバッハ」前掲誌、二〇一三、九月号)。
 東さんの指摘はある意味で真実性がある。
 私の経験からしても声の良い僧侶は評判が良かったからである。
 とは言え、読経の後に何も語らない僧侶はとくにインテリの批難の対象になることが多く、事はそう簡単ではあるまい。
 直木賞作家の中島京子は「木とか水とか」と題するエッセイのなかで大要次のように記している。ふだんの生活でお寺にお世話になる機会といえば法事くらいだ、と思いがちだが、もっと気楽に考えると、近所のお寺というのはとてもいい和みスポットである。
 お寺は和風建築で、木があり、緑があり、花があり、土や石があって、水がある。こういう空間は、いまや日常の中で、とても得難い場所である。
 田舎に行くのはたいていお盆の時期であったから、必然的にお墓やお寺を訪ねることになる。
 迎え盆には提灯を下げてお墓にお迎えに行く。提灯の中の火は、仏様だから消してはいけないと言われて、眉間に皺を寄せてそろそろ歩いても、なんだかんだで消えてしまったりする。大人たちは舌打ちの一つもして、その場で提灯を地面に降ろして蝋燭にマッチやライターで火をつけるのだが、私はあれを見るたびに「あーあ仏様どっか行っちゃった。いま入っている火はうそっこの火だ」と思っていた。
 ほおずきで飾られた盆棚の蝋燭に、提灯の火が移される。あれは仏様の火だから、絶対消してはいけない、と小さい頃の自分は思っていて、お客が来てお線香をあげても、夕方になってお坊さんが来ても、お経が終わって賑やかな晩御飯が始まっても、ときどきそっと盆棚を見て、火が消えていないか確認していた(前掲誌、二〇一三、九月号)。
 何とも美しい寺院とお盆についての思い出の記である。感性に富んだ人でないと味わえない体験の告白である。

三、まとめ

 本稿は「いろいろ」という日本語の使用例を挙げることから始めた。
 そして「いろいろ」は日本宗教・仏教の宗派や門派・門流の形成によく示されているとし、その基盤または背景には日本の伝統社会の特徴であった「親分→子分関係」があり、この関係の原型はおそらく「家」にあったのではないかと仮説した。
 さらにこの「親分→子分関係」は現代では「親会社→子会社」という近代的な形態として再生産されているのではないかとした。
 つぎに現代日本において知名度の高い人物を仏教誌『寺門興隆』に取り上げられた人びとのなかから四人選び、それぞれの宗教・仏教についての見解や感想を問題にした。
 「知名人」としたのは、知名人必ずしも「知識人」とは限らないからである。
 渡辺えり(女優)、辰巳琢郎(俳優)、東陽一(映画監督)、中島京子(作家)の四人はいずれも大衆のよく知る人びとである。
 これら知名人は宗教や仏教に関してどのような認識や感覚をもっているか、あるいはいたかを語りたかったのである。
 まず感じたのは四人とも宗教・仏教にたいして「親近感」をもっていることである。仏教誌で物言うのだから当然と言えば当然であるが、宗教・仏教を頭から毛嫌いする知名人も少なくない。
 『寺門興隆』の寄稿者のなかにも「私は宗教(仏教)を信じていないが……」を前提にしながら宗教(仏教)を論じていた人もいた。
 「信じていない」が論じ語ることはする(あるいはしたい)という人はこの国の知名人(知識人)には少なくない。
 この点を鑑みると、彼ら四人は驚くほどに真っ当であり、宗教・仏教について良い面は評価し、望ましくないところは難じた。
 渡辺は、先の戦争で僧侶がこれに加担したことを批判し、仏教者は多数に飲み込まれてはいけないと述べた。「時流に乗るな!」は頂門の一針であろう。
 辰巳は、現在の豊かな生活を捨てても原発に反対だと主張する覚悟が仏教者にあるかと問うている。深めるべき課題である。
 東は葬儀の際の僧侶の読経について、読経の意味よりも人びとを感動させる「音楽性」が大事と論じている。一考すべき指摘である。中島はお寺を和みのスポットであり、心癒されるところと述べている。
 寺院によっては葬儀以外は閑散としているところも目に着くが、できるだけ「門戸開放」で行くべきであろう。
 四人とも見解は「いろいろ」であるが、しかし「葬儀」や「先祖供養」の問題には強弱の差はあれすべてが触れている。
 さきに日本社会における「家」なるものの現実性について述べたが、「家の宗教」としての葬儀や先祖供養は決して過去の遺物ではなく、なお日本宗教のベースであることを看過してはなるまい。
 この宗教(仏教)文化を踏まえて将来の姿を描くことこそが望まれる。
 「本家→分家」、「親分→子分」という世間的な構造は仏教の「師匠→弟子」という超世間的な関係とまったく無関係とは言えないのではあるまいか。