現代知名人の宗教観について(続)

  駒澤大学名誉教授 佐々木 宏幹

一、はじめに

 この『仏教企画通信』(35号)において私は、「この国現代の知名人(あるいは知識人)のなかには、自分は「宗教(仏教)を信じていないが…と告白しながら宗教(仏教)について自由に論じている人が少なくないのではないか」と述べた。
 そのようなことを今さら改めて問題にする必要があるのかと訝る人もいるかもしれないが、しかし事は日本人の宗教的な意識や感覚の根っ子に関わる問題であると、私は考えている。
 さらに各種のメディア(テレビや出版物や講演など)で活躍する人びと(知名人)と、メディアを受けとる人びと、つまり一般生活者との間にはかなりのギャップがあるのではないかと、私は感じている。

 近頃は少し様子が違ってきているようだが、高度成長期以降、この国の知名人たちには、宗教を含む伝統的な習俗や慣行を軽視するか小馬鹿にするような傾向があったように思われる。
 ことにオウム真理教事件以後、宗教(仏教)は怖しいもの、危ないものと見たり感じたりする空気が社会一般に蔓延していた観さえあった。この空気の拡大に「宗教(仏教)は時代遅れの文化である」との烙印を押して憚らない人びともたしかにいた。
 ところがこうした知名人たちの宗教(仏教)への態度や考え(感じ)方は、二〇一一年三月一一日に生じた東日本大震災を期に大きく変貌したように見える。家族・親族、縁者を突如として亡くした人びとは、宗教(仏教)者が執り行う葬儀・供養=慰霊の営みに「ひと安心」を得たからであろう。
 それまでは日本仏教は「葬式仏教」であると批判を繰り返してきた知名人たちも、大震災のときは葬式や法事のもつ「癒し」の効果・機能を認めざるを得なかったようである。
 以下では比較的新しい資料に拠りながら、知名人たちの宗教観または宗教感覚の性格に迫ってみたい。

二、先祖供養について

 本紙の先号において私は、日本の知名人たちの仏教への想いは実に「いろいろ」であるが、仏教の現状について意見を述べた人たちのすべてが「葬儀」と「先祖供養」に触れていることに止目すべきではないかと記した。
 「先祖」や「先祖供養」は過去の遺物であるという知名人たちの指摘に疑念を抱いていたからである。「先祖」とその供養は過去の遺物であると見かつ感じるのは、「家」とは無縁の大都市に住む人びとの情況・傾向ではなかろうか。事例を挙げよう。
 映画監督の久保田直さんは、現在全国二十ヵ所で上映されている映画「家路」を製作するにあたり、福島県の震災避難農家の人びとに集まってもらい、「自宅に帰れるようになったらまず何をしたいですか」と尋ねてみた。
 人びとは口を揃えて言ったという。「まず墓に行きたい。ご先祖様に申し訳ないと謝りたい…俺たちは墓守りなんだ。先祖代々の土地と墓を守ることが仕事なんだ」と。
 久保田さんは頭をガツンと叩かれた思いだったという。「自分を育んでくれた故郷、土地への思いをこれ程強く抱いている人びとがいる。なのにその思いを踏みにじられたまま生きていかざるを得ない日々が続いている」と(「災後民主主義の今」毎日新聞、二〇一四年三月六日(木)夕刊)。
 久保田さんは原発事故についても、福島の人びとは三年経った今でも放射能への恐怖に曝されていることの深刻さを述べている。
 放射能の危険から避難を続けている人びとが、各自の家に帰ってまずしたいことの第一が「ご先祖様に申し訳ない。謝りたい」と口を揃えて述べたという事実は、日本人の宗教(仏教)観(感覚)を考える上ですこぶる重要である。
 寺院住職のなかにも「葬儀」と「先祖供養」は江戸時代の寺請制度に由来する古いしきたりなのだから、この制度が「本来の仏教」ではないことを再認識し、個々人の仏教信仰の強化に努めるべきであるとの声は、かなり以前からあった。その声は知名度の高い僧侶ほど強いように思う。
 この声はある意味で正しいと私も思う。「ある意味で」と条件づけたのは、僧侶が「葬儀」と「先祖供養」のみに関わっていて他の諸活動を疎かにしてはいないかという見方に対してであって、「葬儀」や「先祖供養」はどうでもよいという意味ではない。
 前号で私は「葬儀や先祖供養という文化を踏まえて、将来の姿を描くことこそが望まれる」としたが、それでは「将来の姿」とは何かと問われたら、正直のところ答えに窮する。仏教の「将来の姿」については抽象論から具体論にいたるまで、これまでさまざまな意見・主張が屋上屋を重ねてきた観がある。その「姿」は実現したか。全般的には否と言わざるを得まい。

三、「宗教(仏教)文化における変わり難いもの」について

 「変わるもの」と「変わらない(難い)もの」という種の二項対立的な問題設定には、仏教者を自認する人はおおむね反対するはずである。
 理由は簡単で、「無常」の理に照らしてこの世で「変わらないもの」などあり得ないからである。
 文学の用語に「不易流行」というのがある。「不易」は変わらないこと・不変を意味するのに対して、「流行」は流れ行くこと、様々な様式が一時的にひろく行われること・はやりを指す。
 もともとこの用語は俳人松尾芭蕉が用いたもので、「不易」は詩的生命が基本的に永遠性をもつことを意味し、「流行」は詩がもつ流転の相、つまりその時々の新風を意味する。この二者は共に風雅の域から出るものであるから根本においては一に帰すべきものであると芭蕉は言う(『更科紀行』一六八八〜八九)。
 要約すれば詩(俳句)の世界には「変わらない(難い)ものと「変わる(易い)」こととあるが、根本的には一に帰するべきもの、ということになる。詩に素人の私からすると、何やら観念的な世界に思えるが、「風雅」とはそういう領域なのだろう。
 一般生活者の生活においても、日々の経験・体験は「変わるもの」と「変わらないこと」とが、複雑に絡み合い、錯綜し、矛盾し合い、掴みどころがないといった内容から成っているのではないか。
 こうした「掴みどころのなさ」に起因する人びとの「不安」が宗教(仏教)文化を生みだしたと理解する説は決して新しいものではない。
 仏教文化の中核は先にも述べた「無常」であり、世間一切のもの、万象ことごとく移り変わって止まないと主張する。
 無常の教えは世間には「変わるもの」と「変わらない(難い)もの」とがあるといった見解など智慧なき者の戯言と一刀両断する。
 とはいえ、無常の教えは釈尊をはじめ言わば達人者の教えであり、この教えの実践はすべての人間に可能な訳ではない。このことは仏教史展開過程を見れば一目瞭然であろう。
 日本仏教もまた「いろいろ」な展開を遂げ多様な相を示しつつ今日の宗教文化の重要部分を占めることとなった。
 展開の過程では消滅したもの、変貌したもの、持続したものなどあるが、現代の一般生活者にとって親近性のある仏教の形態は何かとなれば、その答えはやはり「死者・先祖」への儀礼であり供養であるということになろう。
 葬儀と先祖供養は日本人の一般生活者にとって疑いもなく「変わり難い」宗教(仏教)文化として現存していると言えよう。
 その有力な証拠の一つが先に紹介した福島県の避難者が口にしたという「自宅に帰ってまずしたいことは、墓に行きご先祖様に謝ること」という表現に見事に表れている。

四、現代知名人の宗教観(感)考

 現代の知名人と言っても実に「いろいろ」で簡単に枠づけるのはとても難しい。高名な作家や評論家、思想家や俳優、歌手、噺家など挙げれば限りがない。
 これら知名人には、大別して宗教(仏教)を(1)信仰(信心)している人、(2)信仰(信心)してはいないが文化として理解している人、(3)信仰(信心)に反感をもっている人などが含まれるであろう。信仰(信心)をはなから否定する人も?に属するとすることができよう。
 これら三つの信仰(信心)のなかで、現代の知名人の多くは概していずれのカテゴリーに入るのであろうか。
 予想の域を出るものではないが、私見では(2)のカテゴリーに入る知名人が最も多いように思う。この枠に入る人びとは日本文化における宗教(仏教)の果たしてきた、あるいは現に果たしている役割を評価しつつも、自分はとなるとフリー・ハンドでいたいような人びとである。
 (1)に入る人でありながら意図的に(2)の位置に立っていることがある。また(2)に属していながら敢えて(3)を主張する人もいる。
 俳優でテレビタレント、歌手でもある中山千夏さんは確信的に(3)に属する人である。
 彼女は「私は、神仏を信じておらず、新も旧も宗教には極めて冷淡で、おしなべて教団というものには反感を持っている。宗教とはなんぞや、の類の話題に熱意がない。オウム真理教事件を見てから、いっそうその傾向が強い」と書く(「芸能人と僧侶とタダのひと」、『寺門興隆』二〇一三、一〇月号)。
 ノンフィクション作家の梯久美子さんは『散るぞ悲しき硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社、二〇〇五)でデビューした人であるが、太平洋戦争末期の激戦地硫黄島で総指揮官であった栗林忠道中将に心ひかれ、その生涯を追いかけ、約一〇年をかけて本書をものしたという。
 彼女は次のように記す。「私は人間死んだらそれでおしまいと思っているところがあり、霊魂なるものの存在は基本的に信じていない。でもそういうこととは別に、あの島を歩いて以来、私にとって硫黄島の死者たちは、厳然として存在するようになった。どこに?と聞かれると困る。私の人生に、とでも言うしかない。本を執筆している間、私は硫黄島の死者から見られているという気がしてならなかった。頑張れよ、と励ましてくれているのではない。その逆で、とても厳しく見られていると思った。……いまも私の書くものを彼らは見ている気がする」と(「骨の上を歩いて」、『寺門興隆』、二〇一三、一一月号)。
 梯さんは先の私の分類では(2)のカテゴリーに入るように思う。
 なぜなら彼女は「私は霊魂なるものの存在は信じていない」としながら他方「硫黄島の死者たちは、厳然として存在する」と述べているからである。さらに言えば(1)寄りの(2)ではなかろうか。
 今さらここで「霊魂」とは何かについて詳しく記すことは避けたい。「霊」とか「魂」は要約すれば「死者の人格」=「喜怒哀楽の心情をもつ存在」と私は捉えており、本紙でも繰り返し述べてきた。
 宗教(仏教)儀礼や行事の多くは霊や魂に対して営まれるからである。東日本大震災の犠牲者に対して然り、毎年八月一五日に行われる全国戦没者の慰霊祭また然りである。
 天皇も出席して行われる国家行事であるこれら慰霊祭では、巨木の角柱に「犠牲者之霊」、「戦没者の霊」と墨痕鮮やかに記されたし、書かれるではないか。
 これまで知名人と称される人びとの宗教(仏教)に対する観念・感覚について述べてきた。
 彼らのなかには、最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など、この国の仏教諸宗の開祖・宗祖と宗派についての詳しく深い理解に基づいて優れた見解を残した人たちがいたし、現にいる。
 しかし、宗派に属する知名人は別として、多くの知名人は宗派や開祖・宗祖を論じ語りながらも、「信仰(信心)」しているかとなると、一様に腰を低めている人が少なくないように見える。
 具体的な氏名は挙げないが、私がこれまで対談したことのある知名人たちは、開祖・宗祖と宗派については薀蓄を傾けてくれたが、すべての相手が特定の開祖・宗祖や宗派を「信仰(信心)」している(いた)とはつい言わなかった。これら知名人は、俗な表現を用いるなら、「惚れこんではいるが虜にはなりたくない」といった態度をとり続けたように思う。
 言論と思想の自由を叫ぶ時代・社会にあって、自分を特定化することをためらう気持ちはよく分かる。
 特定の宗教に信仰的に関わると、当該宗教にがんじ絡めになるのではないかと懸念するからであろう。このような態度は知名人(知識人)だけではなく、広く一般生活者にも見られる。
 たとえば、仏教のある宗派の教えを信仰する、教えに帰依するということになれば、少なくとも教祖や派祖の名と基本的な教えは記憶しているのが当然であろう。ところが多くの人びとは左にあらずである。
 ではどうして仏教の特定宗派に属しているのか。答えは多くの場合「先代もそうであったから」、「檀家であるから」であろう。
 この仏教文化は現に存在していることは、すでに記した。葬式・供養仏教文化である。
 この文化は、しかし徐々に衰退していることは、残念ながら認めざるを得ない。
 ではどうするか。一つの事例を挙げよう。
 本紙の発行人である仏教企画代表の藤木隆宣師は一寺の住職であるが、かなり前より御夫人と共に児童養護施設「手まり学園」を設立し、里親になったり恵まれない子供たちを引き取って育成に努めてきた。
 仏教企画は宗教・仏教書の出版もしており、その活動は注目されている。
 たまたま『曹洞宗檀信徒意識調査報告書』(曹洞宗宗務庁、二〇一二)を入手した。本書の「まとめ」にはこう記されている。
 「檀信徒は寺院が葬儀・年回法要の執行といった死者や先祖の供養を基軸とした役割を果たしていると考えると共に、悩み苦しむ生者を受け入れ、社会に開かれた場となっていくことを期待している」と。当然のことであるが、宗門ではこの当然のことが為されていないと、檀信徒は考えているのである。