座談会
原発災害の福島に僧侶として生きるこの現実を全国の宗侶に伝えたい

吉岡棟憲師(曹洞宗福島県宗務所所長/福島市圓通寺住職)
阿部光裕師
(福島市常圓寺住職)
久間泰弘師
(全国曹洞宗青年会元会長/伊達市龍徳寺住職)



 福島県民は原発災害の渦中にあり、いまだその終息の姿は見えてこない。
 この苦悩の現場にあって僧侶は何を見すえ、何をなすべきなのか。
 現場に身を置き、市民と共に懊悩する三人の宗侶の生の声を全国の同志に伝えるべく、平成二十六年一月十三日、曹洞宗福島県宗務所(福島市大森・円通寺内)において座談会を開いた。

 (司会・藤木隆宣)

僧侶は何を護ったのか?

【藤木】 本日は、原発災害に直面する福島県と宗門寺院の置かれた状況について、福島県の宗侶の思いの丈を伺いたく、福島に伺いました。福島県宗務所の吉岡棟憲所長のとりまとめで、三名の方にお越しいただきました。
 福島市常圓寺住職の阿部光裕さんは、震災前から原子力災害への警鐘を鳴らし続けてきた方で、震災後、自力で除染を行い、自坊をボランテイアの拠点として開放してきました。
 伊達市龍徳寺住職の久間泰弘さんは、震災発生時の全国曹洞宗青年会(全曹青)の会長。そのご縁で、久間さんが副住職をしていた伊達市の成林寺に震災直後、全曹青の被災地支援現地本部が置かれました。現在は全曹青の災害復興支援部アドバイザーのほか、平成二十五年五月に福島市に開所した宗門の復興支援室分室の主事として、全曹青と協働し、多方面で支援活動を継続しています。
 福島市円通寺住職の吉岡さんは、3・11以降、宗務所長として原発事故に苦しむ県民、とりわけ子供たちの状況について、声を出し続けています。震災直後から自費で新聞『原発事故さえなければ通信』を発行し、大きな反響があったと聞いています。

【吉岡】 3・11の後、よく岩手、宮城、福島とワンセットで言われますが、福島は自然災害だけではなく、人災といわれる原発事故が特殊な状況を作っています。私たちは今後も長期間、原発災害に直面せざるを得ません。福島の復興というのは、原発と切り離せません。
 しかし、好ましい変化も起きています。県内の直近の首長選挙で、郡山市、いわき市、二本松市、福島市、予想に反してすべて現職が負けたんですね。全員落選は珍しいことです。原発事故に対する行政への批判、行政への不信感が原因です。これは、市民からの行政への問題提起なのです。
 一方、宗教者に対しての市民の思いはどうでしょうか。今のところ表立ったものはありませんが、心の中では批判的な人もかなりいると思います。
 3・11以降にお坊さんがとった行動が原因です。僧侶は、何を護ったのか。お寺か、家族か、檀家か、地域か…。その行動についても問われているのではないでしょうか。
 地域と寺院の関係で個別には違ってくると思いますが、一般的には、やはりお坊さんは普通の人ではないわけです。俗世界から出家した人たちとしての行動ということを、お坊さんたちが真剣に考えるべきです。

【藤木】 具体的に言うと…?

【吉岡】 難しい問題ですけどね。まずお坊さんが先にお寺から避難したという場合。檀家の人たちも右往左往している時に、いや、うちには小さい子供がいるからと言って、住職が先に逃げたケースがありました。
 それから、檀家さんたちが入っている仮設住宅は狭く、快適とは到底いえません。しかし、お坊さんは快適なマンションや家を借り、仮設のほうには全然目を向けない。あるいは、苦しんでいる檀家さんたちが求めている心のケアにも無関心。すぐ身近なところに手を伸ばせば救える者がいるのに全然行動しない。そういう人が多いんです。
 一般の人たちは声には出さないだけです。仮に、批判がないとしたら、坊さんには最初から何も期待していなかったという、さびしい現実を認めることになるわけですが。

問題意識を持っている人は活動する

【藤木】 阿部さんはどうでしょうか。3・11以前と以降のお寺の立場や、一般の人たちが見る目というのが変わったということがあれば教えていただければと思います。

【阿部】 水俣にしろ広島・長崎の原爆にしろ、それなりの問題意識を持った人というのはいたとは思うんですが、要は国民がそれを身近なものとして考える必要があるということです。ところが、問題意識を持つということに慣れてない僧侶が大勢いるのが現実です。震災が起きても、自分がどのような言動をすればいいか分からない。
 原発の被害を受けた地域の人々の思いは複雑です。避難するのか、避難せずに留まるという場合は放射能をどこまで許容するのか、あるいは防護に徹底するのか…。それぞれの立場によって見方が変わってきます。それは仕方がないことなんです。
 私も三人の子供を持つ身で、当時は下の子供が小学校二年生。本当に学校に通わせていいのかどうかも分からなかったし、子供自身も不安でした。震災後、十か月くらいは精神的に安定しませんでした。
 ある程度の知識のある人、少しはある人、まったくない人では現象の受け止め方は全然違います。それでも私たちは選択を迫られます。でも、自信を持って判断できる人は少ない。今まで問題意識を持たなかった人はなおさらです。
 今回の原発事故は、一からその問題を学ぶという姿勢が必要なのでしょう。そして、それぞれの選択をした人たちを、それぞれに認めてあげなきゃいけないという意味では、私は、とても苦悩しました。子供を持ってなければ、「とにかく今が踏ん張り時だ」と主張することも可能でしたが…。そうも言えないんです。

【藤木】 なるほど。久間さんはいかがでしょうか。

【久間】 吉岡所長と阿部老師はもちろんですが、震災が起こってから特別な活動を始めた方って、意外と少ないですね。阿部老師がおっしゃった通り、問題意識を持ち、日頃から宗教者としての自身の立場や生き様を自問自答している人は、この震災においても社会的、または宗教的な寄与をしています。
 私自身は寺院の住職、また副住職としての立場のほかに、全国曹洞宗青年会での復興支援の活動をしている立場があります。ただし、支援の活動者としてのことは、今のお話の流れから外れると思いますので、寺院の住職としてお話をさせていただきます。
 私は伊達市の師寮寺(成林寺)に居住しており、そちらの副住職ですが、同じ伊達市内の龍徳寺の住職をしています。報道の通り、伊達市は特定避難勧奨地点です。これは、絶対的に放射線量の高い警戒区域や計画的避難区域の外に位置しているものの、ホットスポット(放射線量が特異に高い場所)が点在し、年間20ミリシーベルト以上被ばくする恐れがあるため、政府が避難を勧めているという一種特殊な場所です。
 龍徳寺は伊達市霊山町下小国にあります。小国は、中山間地域の典型的な田舎で、檀家さんたちは林業、酪農、果樹栽培、田畑をやっていました。
 それが、原発事故で檀家さんが離散してしまいました。一番つらかったのは、政府が特定避難勧奨地点を戸別指定したことです。地域を指定したのではなく、一軒一軒の玄関先に環境省の役人が来て、線量を測り、「年間20ミリシーベルト超えるから、避難してくださいよ」と指示したんです。極端な話、隣家が年間19ミリシーベルトでも、避難世帯として指定されません。
 避難世帯には賠償があり、一方にはない。すると、小さな地域社会の中で、賠償の有無によって感情的なしこりが生まれるんです。19ミリでも、風評被害で農作物は同じように売れないのですが…。
 賠償を受けるほうは、地域のなかで妬みの対象になります。牛や田畑を売り、関西のほうへ逃げた人もいます。

【藤木】 それは…。

【久間】 私は、震災当時の20キロ圏、30キロ圏という同心円の線引きに関しては、当時としては致し方ないとは思いますが、あれは一種の線引きによる暴力でした。それが、特定避難勧奨地点にもミニマムに当てはめられて、地域の分断が進められているんです。
 避難勧奨地点の賠償は一昨年の十二月に打ち切りが発表されました。除染がある程度完了しただろうという判断からですね。昨年の三月三十一日には賠償金の支払いが終了しましたが、それ以降、ご法事に行くと「あそこのうちはいくらもらっているんだよ」とか「あそこのうちは土地を環境省とか国に貸して儲けているんだ。どう思う?」みたいな陰口を、法事の際とか、私の前で檀家さんがするんです。それ以前は、そんなことはなかったのに。後席で、「和尚さん、あいつはとんでもないやつだ」とか、憚りなく言う人も出てきました。
 賠償が終われば、平等な関係に戻る…、と思うのは第三者。実際には、賠償が打ち切られれば、もらってなかった人間がこれからもらえる可能性もゼロになるということなんです。賠償の有無の差は金輪際埋まらない。すると、もらっていなかった人間の感情は収まらないんです。感情的にも分断した地域を、住職としてどういうふうに戻していけるのかというところが、今も日々の悩みです。

現場からの情報発信が大切

【藤木】 そうですか。やはり、外部にいると分からないことが多いようです。次に、全国のお寺さんにどのように伝えればよいのかについて伺いと思います。

【吉岡】 手段はいくつかありますが、全曹青を通した情報発信はインパクトがありました。キーマンの久間さんが福島県民で、副住職をしているお寺は、まさに原発災害の現場。そのお寺にー対策本部が置かれたことで拠点ができ、全国から人が集まってきました。支援活動そのものの成果にとどまらず、原発の怖さや、この問題に宗教者としてどう対峙しなければならないかとか、そういう自覚のようなものが、ボランティアで参加した青年僧侶の直接の体験談として、全国へ発信されたことは大きい。文書による力よりも、実体験のほうが情報力は強いです。
 でも、それはやっぱり全曹青に限られていますので、いかに多くの宗門人に来てもらうかということについて、宗務所ではできる限りの活動をしてきました。

【阿部】 逆に、過度の使命感のある人はちょっと…。現場に駆けつけてきて、「私は◎◎ができます」「私に◎◎をさせてください」と主張するのですが、まずは、現場に来て、現場を知る。いわば「知るボランティア」もあります。何かをなすことだけがすべてではないと思います。「知るボラ」を経験することで、現地で求められていることを知り、それに沿った活動ができるかもしれません。見聞を周囲に語ることもできます。

【吉岡】 関心がない人は、「お金と時間を使ってまで行く必要があるの?」と言いますね。そんな人にいくら文書を渡しても読みません。他の都道府県の人なら仕方ない部分もありますが、この福島県にも意識の低い僧侶がいます。僧侶として、この惨状と救済の求めに対して無関心でいられることが信じられません。仏教者の慈悲はないのでしょうか。
 賠償に関しても、それに対して声を上げる宗教者が少ないんです。国や東電を動かす運動にも宗教者はあまり関わっていません。首相官邸前の反原発デモでも、日本山妙法寺の人たちは目立ちますが、それ以外は非常に少ない。
 すでに三年。もっと福島の現状を知ってほしいですね。震災の風化は、仏教界の中でも顕著です。

【藤木】 これからどういうようなことを全国のお寺に発信していきたいですか。

【吉岡】 阿部さんは、ヒマワリが放射線物質を吸い上げるということで、即行動を起こし、ひまわりをたくさん植える一方で、一万五千か寺の全宗門寺院にメッセージを送りましたね。あれは大きな影響力があったと思います。

【阿部】 発信という意味では、ブログやフェイスブックなどは大きな反応があるんですよ。ただし、それが必ずしもこちらが意図する情報なのかというと、そうではないときがあります。メディアの伝え方もそうです。東京の新聞と福島の新聞では紙面が全く違う。意識が違うからです。
 本当なら、当事者が丁寧な文書を書いて、他の地域へ発信したいところですね。
 私たちがボランティア団体を立ち上げた時、養老孟先生が「この震災という経験を生かすも殺すもあなた次第です」とメッセージをくれました。的を射ている言葉です。私は、僧侶というのは遠くの出来事にも笑い、涙を流し、問題意識で身体が震えるくらいの人であって欲しいと思います。
 事に対して「動揺しろ」と言っているわけではないんです。事象に向き合い、本質を見抜く力を持てれば、宗教者としての行動はおのずから決まる、ということなんです。

【藤木】 お寺として、原発問題についての発言を求められることはありますか。

【久間】 ありますね。

【藤木】 どういうふうにお話されています?

【久間】 ご法事の場でそれに言及することは極力控えます。というのは、原発事故以降、法要の場で、あるご住職が原発に関しての「見解」を示した結果、異なった見解を持っているお檀家さん同士が、感情の齟齬を起こしたことがあったからです。住職は地域社会での規範というのが田舎の認識ですから。得体の知れない放射能について「和尚さんがこう言ったよ」という見解が固定化されてしまう。
 不特定多数に対しては慎重にならざるを得ないですね。しかしながら、場所を変えて、例えばお寺にお茶を飲みに来たりとか、何かの用事で来られた方と一対一でお話する時には、個人の見解として、お互いがある程度納得いくまではお話をさせていただくことはあります。
 先ほどの「どういうふうに伝えていくか」ということなんですけど、結局その媒体は何でもいいと思うんです。
 福島を知るためには、他県の僧侶の方々はメディアを通さず、現地の人と直接つながるほうがいいのではないでしょうか。そうして、しっかりと感情と事実を持って帰っていただくことが、その後の活動の継続につながると思います。

【吉岡】 うちは幼稚園をやっていますので、母親からの質問がとても多かったですね。
 震災後、避難のため五十人近くの子が退園しましたが、残った子たちはずっと外で遊べませんでした。「園長はどういう見解を持っていて、子供をこれからどう保育していくんですか?」という保護者の集会とかがたびたびあって、自分なりに放射能を勉強したんですが、母親はもっとすごく勉強しているんです。だから、少しでも間違おうものなら猛抗議を受けて、翌日は電話でも抗議される、という状態でした。

【藤木】 すごいですね。

【吉岡】 一年間は子供たちを外へ出せませんでした。でも、体も心も一番鍛えられる時に、外遊びができないということは、これは子供にとって最悪です。
 線量が下がってきたころ、毎日百五十人の親にアンケートを取って、「うちの園としては一週間に三十分でいいから外で遊ばせたい、いいでしょうか?」と問うと、賛成七、反対三であったり、八対二であったりしました。数割の親がかたくなに反対しまして、その対応が非常に大変でした。それだけ、我が子を守りたいのです。
 お寺のほうへ来る人は、ある程度高齢の人が多く、毎日来るわけではないです。しかし幼稚園は毎日。しかも若いお母さんたちですから…。

【藤木】 だいたい、二から三割ぐらいが反対なのですか?

【吉岡】 いやいや、もっと多かったですよ、最初の頃はね。

【藤木】 後になって少なくなったのですか?

【吉岡】 はい。今でも絶対に反対という人がいて、運動会も小学校の体育館を借りて行わざるをえません。もうそろそろ、外で遊んでも…と思うのですが。

【藤木】 子供たちの将来を考えると、被曝というのは重いですからね。

【吉岡】 注意が必要なのは、放射性物質による人体リスクへの恐怖を煽る本を読んだ人は、相当に影響されているということです。そして、その逆の人もいます。情報源によって意見が変わるということです。

【藤木】 「絶対」という考え方では物事は見えないでしょうからね。

出世間の智慧を生かし、本質を見極める

【阿部】 物事は単純ではないんです。例えば汚染された土地に住み続けることは、「放射性物質は無害だ」と妄信することではない。リスクを知った上で住んでいる人がたくさんいるんです。もちろん、生活圏では線量は低いほうがいいわけですから、できるだけのこと(除染、ホットスポットの検出と回避)をやったほうが安心につながると私は思うんです。だから、いろいろな活動をしてきたわけです。
 しかし一般的には、すべて行政任せです。自分たちでできることはありますが、それさえできないほど行政への怒りとか不信とかが堆積していて、「こんなに苦しんでいるのに、なぜ俺に仕事させる? そっちの責任だろう」と。
 ただし、変化もあります。たとえば私の寺でやっているボランテイア活動に地元の年配の方々が参加するのですが、この半年くらいで、皆が前向きになってきたんですね。そんなのやってたまるかという人も多いですが。
 ここが、さきほどの養老先生の言うポイントだと思います。震災経験を生かすも殺すも「自分」次第。どっちかに振り子が振れて、危険だ、あるいは大丈夫だ、騒ぎ過ぎだ、みんなは何も知らないんだとか意見が百出しますが、それに振り回されず、自分はどう行動するか。

【藤木】 震災後の活動いかんは、これからの壇信徒との関係性に影響しますか。お坊さんは社会問題に触れないほうがいいという空気があります。宗門としても同じです。今までは拝んでいれば事足りたかもしれませんが、これからは違うと思います。

【吉岡】 お坊さんの社会活動のきっかけは、どこにでもあります。行動すれば、檀家以外の人とも出逢い、思いを伝えることもできます。檀家さんたちの苦しみに目を向け、理解するためにも役立つでしょう。時事に無関心という僧侶は、資質に問題があるような気もします。

【阿部】 お粗末ですね。

【藤木】 お寺さんが社会性を身に付けるためには、やはり現場に出るしかないと思います。その際に大事なことはありますか。

【阿部】 「本質をきっちり見る」ことでしょうか。たとえば原発。これは結局、人間が勝手に造って、勝手にこけて、それで大騒ぎしているというのが素直なとらえ方だと思います。エネルギー政策がどうかなんて、それは二義的なことなんです。だから、自然界の立場で物を見れば、人間は被曝するのが当たり前。つまり、騒ごうが何をしようが、造った者が恩恵を受け、事故を起こせば被爆する。ただそれだけなんです。そして、自然界は何も文句言いません。
 除染しながらいつも悩むんです。我々は地中の世界を無視しますから。だけど、地中にも固有の世界があるわけです。その土が汚染されたからといって表土を削られ、代わりにどこかの山から持ってきた山砂が入れられることによって、土中の世界がなくなってしまう。我々は通常、見ているものしか見てないのです。
 視点を変え、見えないものを見ようとすれば、本質が見えてきます。それは戦争、公害でも一緒です。仏教者である以上は、そういう出世間の広い視点を持たないといけない。
 だいたい、社会の中には優れた人が大勢いますから、坊さんが考えなしに頑張ったところで、一般の人の心には響かないと思います。

【吉岡】 宗教者、特に仏教者であれば森羅万象、全てに命、仏性があるという立場ですよね。その観点から言ったら、我々を含めた人間がこれだけ自然を汚したわけですから、やはり発言しないと。法話の中などで、是非触れて欲しいテーマです。

【藤木】 3・11以降、人間本来の生き方とか、人間は自然に活かされている存在であるということが問われていると思います。

【吉岡】 マスコミはやたらと絆と言いますけども、自然のすごさ、そして有難さも、私たちは実感したはずです。

【阿部】 本質は、「電気はここまで必要か」ということです。太陽光がいいと言って、それに取って代わっても、今の発想は「自然界をうまく利用し、人間が生きていく」ということ。でも、無駄に電気を使えば、そのしっぺ返しは別な形でやって来るわけです。そうすると、本当にこの生活で、この人間の考え方でこのまま突き進んでいいのか、それを宗教者としてどう考えるのかというところに持っていかなきゃいけない。それなのに、原発イエス・ノーという狭い範囲の話になっている。原発はもちろんノーですよ。でも、宗教者はそこを超えた考えを持たないと。我々は一般の人よりも問題意識を強く持たねばならない。

この経験から学んで今後につなげる

【吉岡】 支援活動の話に戻しますが、宗務庁との協働は、私たちではできなかった。より大きな援助活動ができたという点で、感謝している部分は少なくありません。
 ただ、東京直下型や東海、南海トラフという大きな災害の可能性も指摘されている中で、曹洞宗が今回の経験をどれだけ活用し、今後の宗門の支援方法を模索するのかというと、非常に心もとない。例えば宗務庁には「防災マニュアル」はありました。でも、それはあくまで防災で、発災前の体制についての規定でした。しかし本当の困苦というのは、災害が起こってからなんです。物がないとか檀家の人が行方不明になっているとか、仮設住宅に入ったとか。原発のように災害が長びく場合も想定していなかった。この経験を活かしたマニュアル作りはできないものでしょうか。
 例えば東北で太平洋側に災害が起これば、日本海のほうは無傷に近いことが多いんです。ですから、「山形は宮城県を、新潟は福島を応援する」というようなシステムが決まっていれば、迅速に動けると思います。県をまたいだ合同防災訓練もできるでしょう。決まっていないから、遠方から駆けつけたり、支援先が迷走するんです。

【藤木】 具体的ですね。

【久間】 災害対応マニュアルについては、全般的に見直しがされているところです。ただ、本質的なところはやはり問題意識でしょう。
 たとえば、首都圏でも帰宅困難者があれほど出たのに、当時の曹洞ビル(東京グランドホテル)では積極的な受け入れは難しかったようです。これでは、一般の人は宗教団体としての存在意義を疑ってしまう。その点、浄土宗の増上寺でも浄土真宗本願寺派の築地本願寺でも受け入れや炊き出しを行っていました。
 人間は忘れていく生き物です。風化って言われていますが、それはある意味当たり前なんだから、消えて行く記憶と戦う人を、組織として配置するという発想。これが行政的な立場にある人たちに求められていると思います。

【阿部】 マニュアルがあっても、意識がなければ人は動きませんよ。ああ、面倒くさい、とか。結局、最初に動くのは久間さんたちみたいに労を惜しまない人。もちろんマニュアルはあるほうがいいと思いますが。

【吉岡】 根底にあるのが、社会活動などしなくても食べていけるお寺と、そのお寺の集団。余計なことをしないほうが楽だっていう意識が染み込んでいる。しかし、自分の寺さえよければ、というところを超えて動いている人たちのなかには、公益ということに意識を持ち、宗教的な役割はどこかというところを社会に問うている人がいます。

【阿部】 マニュアルの話でちょっと思いつくんですけど。要は今、工夫をしなくなったんです。お寺にどういうものを備え付けてあれば便利だ、と考えない。例えばくみ取り式のトイレは、今どきは衛生面で人気がないけど、今回みたいな地震が起きてくると、くみ取り式がないと困るんです。そうすると、くみ取り式は一つ残して置こう、というお寺があってもいい。風呂は大きく作って、非常時には地域に開放するとか。工夫は失敗の繰り返し。失敗のなかから学ばないと。工夫は出費も伴いますが、それが公益というものです。

【久間】 模倣や制度的な強制では工夫は深化しませんし、継続しませんね。

【阿部】 宗門の支援に関して言えば、津波被害を受けたところに、本当に必要なお金を回して欲しかったですね。本堂が流されて、プレハブの仮本堂建てていただいたと感謝している方も大勢いるし、それも素晴らしいことだと思いますけど。
 でも、大勢の檀家さんが流され、お寺は壊滅状態でお墓までやられて、それでこの先どうしようというところに二、三百万円渡したところで、それは復興への起爆剤にはなりません。
 「あんまり物をあげ過ぎちゃいかん」みたいな考え方もあるでしょうが、「無期限でお貸しします」「無利子百年で返済してください」でもいい。たとえば被災寺院に五千万円が手渡されたら…。

【藤木】 本堂建つね。

【阿部】 本堂建つと言うか、「兆し」が見えるじゃないですか。そういう発想がないんですよ。五千万円を百年返済なら年額五十万円です。現実的な金額です。

【吉岡】 私は今回の宗務庁の募金のやり方についても、やっぱりすごく反省の材料があると思うんです。約七億円という義捐金を集めたということですけど、もっとスピード感をもって募集して欲しかったし、募集の方法も、ただ振替用紙と紙切れ一枚では…。これだけの大教団ですから、やりようは幾らでもあると思います。今回の経験をぜひ、今後に活かしてほしいと思います。

【藤木】 同感です。それには組織改革が必要でしょうね。皆さんには、もっといろいろな御意見もあるかと思いますが、今回はこのあたりで閉めさせていただきます。
 本日は、お忙しいなか、ありがとうございました。


(文・写真 太田宏人)