最近見聞きしたこと

  駒澤大学名誉教授 佐々木 宏幹

一、「慰霊の日」について

 毎年六月から八月になると、約七十年前の出来事を思い出さざるを得ない国家的な営みを見聞きする。
 一つは六月二十三日の沖縄戦終結であり、他は八月の広島・長崎への原爆投下と十五日の終戦である。両者とも国家的行事であり、沖縄戦終結の日と原爆投下の日には、首相が出席し、終戦記念の日には天皇が臨席するのが恒例になっている。
 これら慰霊の日には、NHKテレビが行事の次第を詳しく放送するので、一分間の黙祷のときは私も必ず合掌・瞑目し、犠牲者の平安をお祈りすることにしている。
 八月十五日の終戦の日は六十九年経った今でもはっきり覚えている。
 その日旧制中学の三年生であった私は、気仙沼市の海岸にあった造船所にいた。
 横浜にあった造船所が空襲を避けて、気仙沼に工場を移設していたのである。
 そこで作られていたのはベニヤ板を貼りつけただけの一〇メートル足らずの船で、たしか特殊舟艇とか呼ばれていたように思う。
 船の舳先に五〇〇キロの爆薬を装填して、操縦者は舟艇を猛スピードで操縦し、敵艦のどてっ腹に体当たりするというものである。
 自爆テロまがいの行動だが、当時はしごくあたり前のことと納得されていた。
 八月十五日はよく晴れた日であった。暑い日であったかどうかは覚えていない。
 先生から正午に重大放送があるから舟艇作りの作業を止めてラジオのところに集まるようにとの指示があった。
 そのときがきて皆でラジオに耳を傾けたが、雑音が多くて何を述べているのかよく判らなかった。それは初めて耳にする昭和天皇の声であった。やや甲高いあの独特の語りであった。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」はその後繰り返し放送されたから、若い世代も耳朶に残っているだろう。
 今日の「慰霊の日」は私にとって遥かなる思い出の日でもある。

二、今は「お坊さん」も俗人では?

 私はこの三年ほど体調を崩してしまい、講演や座談会などもお断りしているが、健康なときには依頼があると全国どこへでも出かけていた。
 ある夏に朝日カルチャーセンターで「宗教と宗教者」という題で週一回の講義を十回続けたことがある。
 キリスト教との比較しての仏教や神道の違いや、宗教における理念と現実との乖離などについて述べたときであった。
 講義が終わってから質問に立った人がいた。
 「先生(私のこと)は宗教の善い点や宗教者の勝れた点などを強調したように思うが、宗教者を買い被り過ぎているのではないか。宗教者にもいろいろあって、俗人以下の人もいるのではないか」というのが主な内容であったように思う。
 この人の言いたかったのは、とくに仏教僧侶についてであり、お坊さんは出家者とか聖職者と言われて世間一般とは異なる存在と見られているが、実際はそうではなく一般生活者とほとんど変わらないのではないか、という点であった。
 彼は鎌倉時代の親鸞や道元のような高僧の生き方を挙げつつ、現代の僧侶の世俗性の強さを槍玉に挙げたのである。
 彼の挙げた例のなかに、ある僧侶が死者の前で読経する前に遺族から布施の包みを渡されると、その場で包みを開き中味を見るや、いきなりこれを放り投げてスタスタと帰ってしまったというのがあった。
 私もかつて同じような出来事をテレビで見たことがあった。
 この種の問題提起を正面に取り上げて論じ合うと、結論の出にくい長丁場になることが多いことをよく知っている私は、彼の「宗教者にもいろいろあって俗人以下の人もいる」という言葉をその通りだろうと受け入れた上で、「あなたの言われた〈いろいろ〉は重要である」と述べた。
 「いろいろ」は「さまざま」や「種々」と同義語であるが、世間一般は実にさまざまな人たちから成っており、「ピンからキリまで」つまり最上等から最下等まであると見ることができるからである。
 宗教者も人間であるから、すべてがピン揃い、最上等者揃いとはいかないであろう。
 しかし、私が見たり調べたりした限りでは宗教者の多くは理念的なあるべき姿を求めて精進し修行に努めていることは事実ですよと述べた。件の人は黙りこんでしまった。

三、田原総一朗氏の宗教(仏教)論

 田原総一朗氏は歯に衣着せぬ毒舌で知られる評論家だが、宗教・仏教についても単刀直入な物言いをする。
 一寸手前勝手と思われるような論もあるが成る程と合点がいく主張は多い。
 最近氏は、僧侶と付き合った経験を皮肉を交えながら語っている。
 氏の実家は浄土真宗本願寺派であり、今でも年に一回は寺に行く。だが最近は氏が住職にしつこく質問をするので、二人の間に距離ができているようだという。
 たとえば、「浄土真宗はこの世の中ははかないと言い過ぎだと住職に迫る。「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」と説いた蓮如の御文章もあるが、人生ははかないということは重要ではない。この人生をいかに充実して生きるかが大事だと思っている」と。
 氏は「人生ははかない」ということは「重要ではない」としているが、はたしてそうであろうか。人生がはかないことを十分に知るからこそ、「この人生をいかに充実して生きるか」が重要になるのではないか。
 「はかなさ」の自覚があってはじめて「充実して生きよう」との覚悟が生きてくるのではないか。氏の論理には少し無理があるように思う。
 氏は「多くの人は宗教をどのように思っていると見ていますか」の問いには以下のように答えている。
 「若い人は宗教を面倒くさいと思っている。宗教の代わりにスピリチュアルなものにはまったり、パワースポットに行ったりしている。あれは安易な宗教だ」。
 「今のように高度経済成長が終わり、先行き不安な時には、宗教はもっと活躍しなくてはいけない」。
 「創価学会などにしても信者が減っている。どうしてか。それは時代によって宗教に求めるものが違うからだ。学会が発展した時期は、貧・病・争の時代だった。みんな貧しいから励まし合って助け合う。病気になっても医者に行けないから日蓮大聖人に治してもらおうとする。争は嫁と姑のけんか。今は核家族になってそれもなく、誰もが医者に通うことができ、貧もなくなった。だが今は貧・病・争ではない悩みがある」。
 「それは〈生きがい〉のようなものだ。生きがいを求める人たちに〈この世ははかない〉などと言っても全然駄目だと思う。そんなことを言ったら誰も寺に来なくなってしまうのではないか。若者がぜひ浄土真宗に行って話を聞きたいと、一週間でも二週間でも合宿したいと思うだろうか」と述べる。
 「生きがい」とは「生きるはりあい」であり「生きていてよかったと思うこと」である。問題は「生きがい=生きるはりあい」の中味であろう。自分の意図や行動が自分の利益になるためだけのものなら、それは仏教的とは言えまい。他の人びとのためを視座に入れての意図や行動を「生きがい」とすることは十分に仏教的であり、その裏には「この世ははかない」が秘められているだろう。
 田原氏の主張には若干の理不尽が感じられる。とはいえ次の一節などは大変示唆に富む見解である。
 「伝統教団は、今の人たちが感じている悩みや苦しみ、不安に思っていることに対してメッセージを持っていないのではないか。教団のトップは、本気で勝負しているだろうか。世の中に向けてどこまで本気になっているか」。
 われわれは氏の仏教界への提言を「いろいろ」な意見の重要な一つとして参考にすべきであろう(「ほっとインタビュー田原総一朗さん」、『中外日報』二〇一四・六・二十五)。

四、最近目にした宗教事情

 知識人の多くは「あの世」を認めないと言いながら、広い意味での宗教行動をとっていると見られる人がいることについては、本紙でも何度か触れたことがある。
 今年の四月三十日に亡くなった渡辺淳一氏は、『阿寒に果つ』などで知られるように、男女関係の機微を描くことを得意とする作家であった。
 氏は「いま私は、死は人間が単純に腐り、灰になっていく過程の第一歩だと思っている。それ以上でもそれ以下でもなく、人間はそこから確実に無になっていく。死ねば人はなにも言わない。むろん意志もなく、ただ灰になり、消滅するだけである。……死が無限に暗黒で怖いものに思われる。……だが死は果てしない無だからこそ、いま生きているうちに精一杯、生きるべきだとも思う」(『午後のモノローグ』)。
 さきに田原総一朗氏の「この人生をいかに充実して生きるかが大事だ」という文を引いた。その背景には「人生ははかない」があった。これにたいして渡辺氏は「死は果てしない無だからこそ、いま生きているうちに精一杯生きるべきだ」とする。
 「充実して生きる」(田原氏)と、「精一杯生きる」(渡辺氏)とでは表現に差はあるが、「今をひたすら生きる」ことを最重視している点ではよく重なっている。
 田原氏は評論家・ジャーナリストであり、渡辺氏は医師・作家である。同じ結論になっていても、それに至る筋道は職業によって異なることが見えて興味深い。
 「今を一所懸命生きる」ことを強調しながら、「霊魂は生き続ける」と考えている医師がいる。
 『人は死なない――ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索―』(バジリコ、二〇一一)の著者は、現在東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授の矢作直樹氏である。
 矢作氏は若い頃から登山家であり北アルプスの諸岳には何度も登頂するという体験をもつ。
 ところが昭和五十四年十二月に針ノ木岳頂上直下の雪壁で比高四五〇メートル、斜度三三度の谷から滑り墜ちたのち、突然「もう山には来るな」という谺のような声」を耳にし、「山はもう止めた」と決断したという。
 氏はこのように不思議で神秘的な出来事を理解できる医師であり、死後にも「魂」は残るという古来の日本人の死生観を肯定的に捉えている人である。
 氏は「寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、「霊魂」は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています」(同書、二一八頁)と帰結している。
 氏の体験と文章は、医師にも「いろいろ」あることを知らしめるとともに、人は死したら「無」だと考えている宗教(仏教)者に反省を迫っているようにも思われる。
 死後にも死者の人格つまり「霊魂」は存在するかという問題は、現下のこの国では疑いもなく喧々諤々の議論の対象となろう。
 人びと、とくに知識人は科学的に実証できないことは承認できないとする態度を堅持しているかに見えるからである。
 こうした事態が現代の一般生活者の宗教(仏教)観(感)を混乱に落としめている要因の一つである。
 現代の霊魂観(感)を考えるに際して欠かせない見解を提示しているのが、気鋭の宗教学者正木晃氏である。
 氏は述べる。「霊魂や死後の世界について問題になるとき、必ずといっていいくらい提起されるのが、霊魂や死後の世界は科学的に証明できるか?という問いである。
 結論から先に言ってしまうと、霊魂や死後の世界は科学的に証明できない。ここで注意しなければならないのは、科学的に証明できないからといって、実在しないと断定はできないという点である。いいかえると科学によって霊魂や死後の世界が実在するかしないかは判定できないのだ。
 なぜなら、霊魂や死後の世界は科学的検証の対象とはなりえないからである。これが真っ当な科学者の見解であるといっていい」(「現代の霊魂観と葬儀」(四十二)、『池上』二〇一四年七月号)。
 氏はさらに言う。「仏教の領域でも非常におかしなことが起こっている。仏教の行為を科学によって判定してもらうことによって、その行為の有効性や妥当性が決められるようになってしまっているのだ。……瞑想者の脳波を科学的に測定してもらい、そこに通常とは明らかに異なる、顕著な兆候が見出されたとする。すると、瞑想の有効性が科学的に証明されたと諸手を挙げて喜ぶ。……仏教が科学のお墨付きをもらって喜ぶということは、仏教の上位に科学があることを認めてしまうことにほかならない。」(同右)
 私が長らくお世話になった駒澤大学にも、かつて学生を実験者にして瞑想中の脳波の波形を測っていた先生がおられた。α波とかβ波とかについて発表していたが、これが仏教にとって妥当な研究であったかどうか。問題は残る。
 正木氏は、「宗教と科学は別の領域に属しているのであって、一方が他方に対して介入することはできない」(ヨハネ・パウロ二世)と、「科学的真理と信仰の真理とは次元を異にしている」(パウル・ティリッヒ)とを引用して、仏教が科学にひれ伏す愚を戒めている(同右)。傾聴すべき見解ではないか。