座談会
受刑者に向き合いその可能性を生かしたい

宗教教誨の根底にあるのは命の可能性と期待感
 ――ベテラン教誨師が語るその知られざる世界


出席者
 阿部 恵海(曹洞宗教誨師連合会副会長)
 川上 宗勇(曹洞宗教誨師 東京拘置所)
 久保井賢丈(曹洞宗教誨師 府中刑務所)

〈司会〉
 太田 賢孝(曹洞宗教誨師 多摩少年院



 福島県民は原発災害の渦中にあり、いまだその終息の姿は見えてこない。
 この苦悩の現場にあって僧侶は何を見すえ、何をなすべきなのか。
 現場に身を置き、市民と共に懊悩する三人の宗侶の生の声を全国の同志に伝えるべく、平成二十六年一月十三日、曹洞宗福島県宗務所(福島市大森・円通寺内)において座談会を開いた。

 (司会・藤木隆宣)

受刑者一人一人と接して

【太田】  本日は教誨師としてご活躍されている三人の先生方にお集りいただきました。私も教誨師をさせていただいて二年ばかりですが、まだまだ理解の及ばないことばかりです。受刑者と接し、彼らの精神的救済を図るという役割が与えられていると思いますが、まずはその具体的なお話など、お聞かせいただければと存じます。それでは阿部先生。

【阿部】 まず受刑者を収容している刑務所についてお話しますと、いわゆる刑務所、これには初犯の人たちを収容するA級と、それから累犯の人たちを収容するB級刑務所とがあります。その他に拘置所、少年院、少年鑑別所、医療刑務所――これはお医者さんの手が必要な方を収容するための施設です。それから女性のための女子刑務所もあります。
 B級の累犯の刑務所の例ですけれども、いったん拘置所へ拘置され、その中で分類されて、それぞれの刑事施設へ移送されると、新入ということになる。そこで新入教育というのがございます。新しく入った人々にお話をする教誨、そのほかに宗教教誨、例えば曹洞宗なら曹洞宗の教義に基づいての教誨があります。そして出所するとき、いわゆる仮釈放のときの指導がございます。それから不幸にして刑務所で亡くなった者の棺前教誨、つまりお棺の前での教誨(葬儀)というのがございます。さらに、個人での教誨を希望されたときにいたす個人教誨、そういうことがございます。
 そのほかには、いわゆる百年の監獄法、施行以来百年以上使われてまいりました監獄法が改正されまして、新しい法律に初めて「教誨」という文言が入りました。この文言が入ると同時に、教育を施さなくてはならないということになりまして、補修教科教育という課程が新たに設けられました。

【久保井】 私は先代が教誨師をやっていた関係で、教誨師とは具体的にどういうものか、何となく概要は知っていました。ただ守秘義務といいますか、うちの先代も、具体的にどういうことがあってどうだという話は、家族にもあまりしませんでした。先代が辞めるとき、「お前も教誨師に」という話があったけれども、そのときはちょっと別の仕事をしていた関係で、すぐには受けなかったんです。その後、東京のある教誨師さんから、お前も教誨師になれと言われまして、それでご推薦をいただいたので、先代の後を継いでというわけではないんですが、刑務所で教誨師をさせていただいています。
 これもごく個人の感覚になるのかなとは思うんですが、私らが檀家さんと話しているときというのは、東京の人間だから余計そう感じるのかもしれないけれども、今の世の中、社会の中で、それぞれの家のマイナス面の話題というのは少ないと思います。お檀家さんとお坊さんが話をするというのは、都市部でないところですと、どこどこの誰はどうだと全部知っていたりしますけれども、東京というのはその辺がそれほど、言ってみればあまり自分の家のマイナス面を積極的に相談する人というのは、正直いって少ない。
 そんなことの中で、ご葬儀とか法事を通して、この家ではこんな悩みを抱えているんだなとか、あんな悩みを抱えているんだと感じたときに、そのお宅と犯罪者と同列で考えるというわけではなく、ただ罪を犯した人と対峙して話していくことで、一般社会の中や、檀信徒の方たちと話すときに、すごくヒントになるというか、そういったことは非常に感じます。個人教誨というのは、お茶は出ないですけれども、お茶飲み気分で来るような者もいることはいるんですね。でも、言葉の端々に彼らなりの悲哀を持っていたり、それこそ悲哀というと同情的になりますけれども、本当はここでこういうふうに話さなければいけないのかなとか、いつも緊張感を持ちながら話をしています。

新入教誨から龕前教誨まで

【阿部】例えば、新入教誨が始まりますときには、もう既に教室で作業をしているときもあります。手作業ですね、例えば封筒などののり付けをしたりしておりますが、そういうときに、まず次のようなことを言うんですよ。「今、皆さんはのり付けをしているけれども、こんなことをしているのかと思っては駄目だよ。のり付けをすることによって、この品物が社会のためになっている。私も罪を犯した人間だけれども、社会に奉仕させていただいているんだという気持ちにならなくては、仕事は満足にできないよ」と。
 そして壁に、私の所属する施設では刑務所の掟がございましてね。その掟を見て、一つ一つ読んでやって、「こういうところに来て、あなた方はこういう規則のところにがんじがらめになっているという受け取り方と、こういう規則があったんだけれども、うっかりして過ごしてしまったなという考え方とは、随分違うよ。例えば、規律を正してといえば、食事をとるとき、夜寝るとき、朝起きるとき、トイレを使うとき、お風呂をいただくとき、そういうときに、失礼だけれども家庭においてそういうことをしていなかったのを、あらためてここで、私という人間を誕生させていただくんだという考えで臨んでもらいたい」、そういうような話を新入教育ではいろいろいたすんです。
 そして今度は仮釈放前の指導のときには、「ここの刑務所は何回も出たり入ったり、出たり入ったりしているんじゃないか。いよいよ仮釈放になるというと、組の者が待っているだろう。そのとき、はい≠ニいうか、いいえ≠ニいうか、そこが分かれ道だよ」。そして、私はこういう歌を歌ってやるんですよ。それは戦争のときに両親が外地にいて、娘さんと一緒にいよいよ船で国へ帰るというときになって、どさくさ紛れの中で、みんなわれ先に乗ってしまう。両親は娘が当然乗っていると思っていた。ところが、それに乗っていなくて、家に帰って、あの娘はどうしているか。
 ご主人が奥さんに、「おい、探しに行こうよ」といって、住み慣れた南の島へ探しに行った。奥さんは、「お父さん、もうそれは望めないことでしょう」と言ったときに、お父さんが「お前、小さいとき歌ってやった子守唄を歌って、島を回ろうよ」、その島を回るときの歌を、まずい歌ですが歌うんです。こういう歌ですがね。――「思いは遠し、胸痛し。肩をたたくは、母の手か。夢にうつつに、思い出す、あの揺りかごの子守唄」、こういう歌です。その瞬間は黙って聞いていますね。
 そのときに、「こうやって今日皆さんがいるのは、尊い両親があるからなんだよ。その両親のところへ飛び込んで帰るんだ、脇目を振らずに。あるいは奥さんや子供がいる、そういう人は家に帰って、まず第一に子供さんをしっかり抱きしめなさい。お父さん、悪かったな≠ニ、子供を抱きしめなさい」、そういう教誨をするんです。
 次に、棺前教誨で一番悲しいのは、誰も迎えに来ないことです。そのときには、私は曹洞宗の儀式として、剃髪、受戒をいたし、所長以下幹部がみんな霊安所に集まってやるんですが、まず迎えに来る人はいません。そして出棺の時には、教育課の人と私だけです、火葬場へ行くのは。火葬場で骨上げをして、一応、所へ持って帰ります。その前に施設のほうでは、係累を訪ねてみんな当たるんですが、ほとんど断られる。中には、いわゆる作業をいたしておりますから、お金を残しているんですよ。そのお金がこうこうあるというと、それはいただきます。お骨はいただきません。それが現実です。私の場合は、それでも家族が名乗りを上げてくれるのではないかと、約三カ月は私の寺でお守りしております。そしていよいよ来ないとなったならば、決まった墓地へお納めする。

教誨師は仏教者の最先端

【太田】 教誨の具体的な例をあげてお話いただきましたが、教誨師さんの世界はあまり世の中に知られていないような気も致します。その辺、如何でしょう。

【久保井】 そうですね、おっしゃる通り知られていないのが現実です。私、今の阿部老師のお話を非常に興味深く聞かせていただきました。老師は甲府のほうにお出ましですけれども、私は府中で、施設の種別としては同じなんですが、ただ施設ごとなり、地域ごとなりに、やっている内容というのはそれぞれに、その教育の係の担当の方の考え方などもあり、いろいろ違ってきます。また施設の中でも、それこそ担当させられている教誨師さんによって、やっている内容は当然違います。実際は今のお話にあったように、教誨師さんがそれぞれ自分なりに、目の前にいる収容者にどういうことが必要なのかと一つ一つ対応しているわけです。
 それはマンツーマンでできるところもあるし、逆にできないところもあって難しいんですが、その中で一つ一つ、この受刑者に何が必要だろうかというのを、みんながそれぞれに必死に考えてやっている。それは刑務所という性格上、守秘義務もあるので当然お話しできること、できないこととあるんですが、ただ今の老師のお話のように、どういうことを心掛けてやっているか、そんなことをお聞きするだけでも、皆さん一生懸命考えていらっしゃる姿というのは、宗門の中でもそうですし、仏教界の中でも、教化の最先端の一つという思いがいたします。
 教誨師というと、「死刑囚と話すんでしょう、大変ですね」と、よくそういう話が出ますけれども、医療刑務所や阿部老師の行っていらっしゃるような施設では当然死刑囚がいるわけではない。その辺の理解というのも、あまり世の中に行きわたっていませんね。また今の葬儀に係累の人が来ないというお話も、決して刑務所の中だけの事例ではない。そういったことも含めて、非常に考えてこつこつやっている方々の姿というのをもっとアピールしながら、それと同時に社会のことも通じて考えるような、そんなことが今の教誨師に求められていると思います。仏教界の中でも、非常に大事なことだと私は思っています。
 私も個人教誨をしていると、本当に気楽に茶飲み話をしに、単純にいえば、息抜きに来る者もいるんですが、同時に、刑務所の中に入ったため親の供養ができない、そういう自分をすごく恥じて、それに後悔の涙を流すような者も実際いるわけです。自分の子供を亡くした、あるいは親を亡くしたけれども、葬儀に出ていくことができない自分に対して、本当に後悔の念を持ちながら、そこに目覚めてくれる。目覚めてくれれば何回も出たり入ったりしないと思うんですよ。とはいえ、どこまで信用できるかという問題もありますが、そんなことも感じながら勉強させてもらっています。
 そういった意味では、行政の施設の中での宗教教育というのは、信教の自由の関係で学校教育ではできないものをやっている。あくまでこれは受刑者のニーズによって私らは行くという、変な話ですけれども、受刑者なり収容者なりに信教の自由を保証するために、私らが法律上あてがわれているわけです。ただ、あてがわれているといっても、犯罪者が心を入れ替えるときに宗教にすがろうとする気持ち、その気持ちに相対するところが正直あるので、個人教誨は本当にそういう現場なんですね。そういうものを積み上げてこられた阿部老師や教誨師の方たちが埋もれてしまってはもったいない、記録として残してほしいと思いますし、残していきたいと感じているところです。

被害者の存在を忘れてはいけない

【川上】 これは教誨師全体にいえると思うんですが、私たちが相手をしている人というのは、あくまでも被害者がいるんですね。この現実だけは絶対に外せない。いうなればどの刑務所においても、彼らはチャンスを与えられているわけです。刑務所に入ったことによって、例えば三年だったら三年刑務所に入って生活をすれば、あなただったら理解できるでしょうという、そういう期待感がある。罰というよりも、社会の被収容者に対して、罪を犯した人間に対しての期待感だと思うんですね。裁判員裁判が導入される際に、私は東京地裁で模擬裁判をやらせてもらいましたが、その最後、判決を出すときに初めてそれを思った。
 判決というのは期待なんだと。これだけやればあなたは十分でしょう、私たちはそういう判断をしますよ。これだけのチャンスを与えるから、まっとうになってくださいという線引きなんです。だけれども、チャンスを与えながらも、その実、裏には被害者というものがある。被害者というものを常に認識しながら彼らに接していかないと、ただ単に彼らを教育する、励ますということであるならば本末転倒だと思うんです。そこには絶対隠すことのできない現実があるわけですから。そこは常に自分の気持ちを逃がさないようにして、それでいて彼らに接するときには励ましていかなければならない。
 それは、被害者というのを知らなくてはなりません。東京の教誨師は今八人いるんですけれども、この八人は被害者の支援センターと関係を結んで勉強しています。また被害者の方々が、今はゲストスピーカー制度というのがありますので、あえて被害者の方や、その遺族を刑務所にお呼びして、「被害者というのはこれだけ大変なんだ、君たちはそれだけのことにかかわってしまったんだよ」ということを、ちゃんと意識させるんです。

【久保井】 私らが預かっている累犯、犯罪傾向が進んで前科十何犯という世界ですと、被害者についてはまず考えたことがないというのが一つあると思います。正直にいうと今まで考えたことがないというのが、パーセンテージ的には決して低くない。むしろ、初犯で人の命を奪ったり不可抗力で罪を犯したりした場合のほうが、逆に罪の意識が強かったりする。前科十何犯、それはしょっちゅう喧嘩をして人を殴っている者も中にはいますから、そうすると殴らせるお前が悪いぐらいに思うのもいます。そういった意味では、本当にまちまちですね。
 彼らにそれを突き付けたときに、「そうだよ、被害者っているんだよね」という反応をするのもいるし、逆にそこで罪の意識みたいなものを背負ってしまう。それは微妙な、いわばさじ加減だと思うんですが、罪の意識をしっかり受け止めてしまうと、人の命を奪ったことの罪の重さというのは非常に重いので、その罪の重さに耐えられない人間も出てくるんです。それは本当にそれぞれの目を見ながら、顔を見ながら話すという世界です。どこまで話を持っていったらいいのか、でも逆にそれを分からせないといけない。
 川上さんの言ったチャンスということ、彼らにとってそれはチャンスでもあるので、それだけ突き付けられて、そこではたと気付いてくれればチャンスです。そういった意味で一対一で心を交していくことが必要です。川上さんのところのように、人の命を奪ったという、罪状の重い人間を相手にしている場合には、その辺が非常に大きいと思いますね。それは彼らにとっても私らにとっても、そこはぎりぎりの、本当に命を懸けた駆け引きみたいなものがあるのかなと思います。

受刑者に寄り添い認めることから

【太田】 私は少年院で教誨師をしておりますが、びっくりしたのは出る間際の子が出たくないというんです。それは施設の職員さんに聞いたら、結構そういう子は多いと。

【阿部】 施設の中にいれば、寮長や寮の先生がいたり職員さんがいて、よくなるように仕向けてくれるけれども、出てしまうとそういうことができないんですね。
【太田】 実の親よりも親らしい親なんです。施設の職員さん、少年院の職員さんなんかがよく言うのは、ここでいくら子供たちをよくしても、戻ってきた子供と向き合わない親も多いということです。こうしたことは親子で取り組まないと無理だという。いくらここでよくなっても、その芽を摘み取ってしまう親もいると言います。

【阿部】 そこが社会のひずみですね。せっかく少年院で育ててもらっても、それを受け入れる保護者にも問題がある。

【川上】 友達が待っているとか、組の者が待っているとか、そうなっちゃうんです、結局。施設を出ても居場所がないので。

【阿部】 それは刑務所も同じですね。個人教誨をした受刑者ですが、私は一回で終わると思ったら、また来てくれるか、また来てくれるかという。それでずっとかかわったんですが、最後に行ったときに「死にたい」と。「人の命はそんなに軽い考えではだめだ。命は尊いものだ、死にたいなどと考える前に思うことはないのか」と。その理由を聞きました。「なぜ死にたいのか。そんなに死にたいのなら、命を預かるしかない。だけど、その死にたいという理由を言いなさい」。答えは単純でした、何もすることがないからです。
 そのときに私が、「いい言葉を聞いた、うれしいな」といったら、本人が「なぜうれしいですか」と。「あんたは今、言ったじゃないか、やることがないって。だけどやることはいっぱいあるよ」。そうしたらまた、「そういうことをやるには、ここを出なければできない」というから、「出なくてもできる。あんたよりも年を取った収容者がいるじゃないか。その人たちのおむつを取り替えたり、介護をしてやりなさい。刑務所にお願いして、収容者でありながら介護の仕事をさせてやってくださいと頼むから」。この人はものの見事に介護に徹しました。
 あるとき、面接でそこに行くことになって、こっちは実はまた何かしでかしたかと思って行って会ったら、全然違うことになった。そこで私は「今日あなたと面会するというので、また何かしでかしたかと私は本当に気持ちが暗かった。そう思った私を許してほしい」と。本人は涙を流しましてね、「おかげでやる仕事があってうれしいです」。そういうことの繰り返しですね、刑務所は。そんなことがありました。
【川上】 それは、その人を見ていて認めてやるということだと思うんです。阿部先生は九十歳というご高齢で、お体を引きずりながら刑務所に向かわれる。八十代後半でアキレス腱を切ったりされたにもかかわらず、さらに徹底的に自分の体を鍛え上げて、その体力を維持されている。その勢いで向かっていくわけです。それと同時に、一人一人をしっかりと見つめて、寄り添いながら、これがあんたにとっては大切なんだということを、ちゃんと言葉にして言ってくださるんですね。これは被収容者だけに限ったことではなくて、私たちに対してもです。

【阿部】 いやいや、皆さんがいたからこそ私があるんです。

塀の中での死に向き合う

【久保井】 今お話しになっているような阿部老師のお人柄とか、もちろん教誨という現場だけではないですけれども、今まで本当に僧侶として積み上げてこられた背景みたいなもの、それに受刑者なり収容されている人たちも動かされるんじゃないでしょうか。一対一で、ばんと人と人とが向かい合ったときの微妙な力の入れ具合というか、これは横で見ている私どもの勝手な思いですけれど、それは非常に感じます。教誨の世界というのは、本当に人と人とが真剣にどこまで向かい合うかということが肌で分かっていないと、ここまで続けてこられないといつも思っています。
 刑務所の中で亡くなる人も決して少なくないし、最近高齢者の問題が刑務所は非常に多い。医療刑務所はもともとそういうことを踏まえてのことがありますけれども、塀の中で命を終える方もいるわけです。そのときにどういう死にざまを見せてくれるのか。どういう死にざまを迎えさせてやれるのか。死にざまを見せてくれるということは、最終的に彼の生きざまみたいなものが反映された上での死だろうから、しいて言えば、最後の死にざまをどう見せるという可能性のようなもの。
 そうなってくると、私らの教誨というのもそうですけれども、とことんまで向かい合って対峙している人間を、さっきの期待とか可能性とかという言葉もそうだし、死にざまをどうやって見せてくれるかというのもそうですけれども、そこはまず対峙する上で、どこまで相手を信じてやれるかということが一つのキーなのかなと思います。その一瞬一瞬でのきちんとした信頼関係をいかに持つかということじゃないかと。

【太田】 今日は大変貴重な、また重いお話をいただきまして有難うございました。あまり知られていない教誨師の役割も、これを切っ掛けに理解していただける気がいたします。最後に、宗教教育が公然とできるのは刑務所だけだというご指摘、これも大変面白いと存じますが。

【久保井】 それはすごく大事なことだと思います。

【川上】 法改正で「教誨」という言葉が初めて入ったんです。

【久保井】 大きい意味で宗教教育がもっと必要とされるべきだと思うんですね。今の日本の社会の中での教育というもののとらえ方というか、私がやっているのも一つの教育だと思う。教育の難しさ、そんなものを非常に私は思いました。

【川上】 国家が大人にできる最後の教育が刑務所ですから。

【阿部】 確かに教育ですね、そうです。

【川上】 そうなんですよ。義務教育でも何でもない。本当に、刑務所は国家ができる最後の教育機関だと思うんです。

【久保井】 教育ととらえたときに、宗教教誨の根底にあるものというのは、さっきのチャンスというお話ではないけれども、やっぱり期待しているからこその教育。

【川上】 可能性でしょう、命の可能性ですね。

【久保井】 根底として流れているのは、命を懸けてどこまで相手の可能性を信じてやれるかということ、それがないと乗り切れない。個人教誨は、覚悟というと重いですけれども、難しいです。やればやるほど難しさを感じます。

【阿部】 これでいいのか、これでいいのか。

【久保井】 本当にそうなんです。

【阿部】 自分で満足できない。今までやっているけれども、素晴らしい教誨なんかできません。自分のいったことが通じたかどうか、果たして適切であったか、あるいは誤解を招かないか。そういう苦しさがうんと出てきますね、それはもう必ず出てきます。

 (二〇一四年七月十一日、八王子市大泉寺にて)