お寺の社会的役割を取り戻すために
庭園のデザインから駅ビル禅カフェでの法話まで

建功寺住職・多摩美術大学教授
枡野俊明

枡野俊明師

曹洞宗建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学教授。
平成18年ニューズウィーク日本版『世界が尊敬する日本人100人』に選出された。
『禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本』など著書多数。

石には石心、木には木心がある

 「共生」という言葉があります。もともとは仏教語で「ともいき」といっておりました。明治以降「きょうせい」という読み方になったのですが、それは自然と人間がお互いに関係を保ちながら生かさせていただくという、まさに仏教の考え方ですね。私たちは自らの命を生かさせていただくために、ほかの命を食べ物としていただいている。ですから、その命をいただくということで、「いただきます」という、感謝の気持ちをもって食物を大事にいただくのです。
 作るほうも食材を無駄にすることなく、大根のしっぽだから、葉っぱだからといって捨てずに、その命を使い切ってあげる。葉っぱはおみそ汁の具にする、あるいは大根の皮なら千切りにして使うとか、そうして使い切るということが野菜に敬意を払うことになります。それは私たちの心として必要なことだと思っています。私たちは、それで生かさせていただいているわけですから。
 私は庭園のデザインを仕事としております。石や木といつも付き合っていますが、石や木にも命があり、石には石心、木には木心というものがある。それに加えて、大地でも、もともと何千年、何万年とつながってきている形状があるわけで、それを地心と私は呼んでいます。私たちの庭園づくりでは、その大地なら大地の持っている形状を、どうすれば一番輝かせることができるか、ということをまず考えます。
 人間と同じで、石や木にも顔とか表情があり、それは慣れてきますと見てぱっと分かります。慣れてくると、ここだというのがある。ですから、いかにすればこの石が輝くか、木の存在が生きてくるかということを考える。それは石に聞けば、木に聞けば、どこへ使いなさいという答えが必ず返ってくるのです。逆に、こうしてやろう、こうあるべきだという考えで取り組んだら人間のおごりになってしまう、執着になりますね。
 これは日本独特の考え方だと思います。外国の場合はどうかといいますと、この後者の考えが顕著で、例えば建築でも、庭でもそうですが、先にデザインというのがあり、ここはこうあるべきだと考える。シンメトリーならシンメトリーで、こうあるべきだ、ここの石は消えていかなければいけない、あるいはこういう形でなければいけない。木はこの高さでなければいけない、ということになってしまいます。
 日本でももちろん、デザインの基本的な概念はあります。なぜ、そういう空間にしたいかという、現代でいうコンセプトというものがあって、それは崩しませんが、それを成り立たせる上での自然の素材が重要です。概念というフィルターを通して、どういう空間に変えるかというのは、みんな石や木、大地や景色に聞くわけです。その概念をつくるときには、まず地形と対話をする、もう一方で、そこを誰がどういう心の状態で訪れるのか、あるいは使うのかということをよく考えないといけない。この組み立てが一番大変ですし、一番面白いところでもあります。
 この点は関東と関西の間でも差があり、技術力も美意識も違います。木でもどこを切ったか分からないように、自然に手入れをするのが一番いいのです。影を映すために必要な枝というものもあり、関西ではそういうやり方を、施主側もみんな理解しています。ところが関東の人たちは、切らないと仕事にならないといって、いかにも手入れをしたように見せる。そこが千年の都との違いだと思いますが、必要な枝を切られてしまって、がっくりすることがあります。
 一つの庭園をつくるのに何年かかるか、よく聞かれることですが、デザインの段階からそれができあがるまで、建築工事が伴う場合が多いですから、大体一プロジェクト平均三年半ぐらいだと思います。長いものは八年、東京のカナダ大使館や寒川神社は八年かかりました。今、首都大学東京と名前が変わった、昔の東京都立大学のキャンパスは五年でしたか、あれはキャンパス全部のデザインでした。海外の例では、ドイツとかカナダの場合には最初の工事のときから参加した向こうの人がいます。そういう人たちに、国際交流基金などを通じて京都で三カ月間ぐらい研修してもらい、そして現地で手に負えなくなると連絡があるようにし、またこっちの造園業者が出かけて行くという、そういう技術指導をしています。

日本文化の芯に禅があった

 西洋との比較に戻りますが、地形と対話をするというような日本的な考え方は、向うでは全く受け入れられてきませんでした。結局、西洋ではクリスチャンの考え方が基本にあります。ですから、石に心があるとか木に心があるなど、そんなことがあるわけがない。石や木は物なのだから、自分の好きなところにデザインして植えればいいではないか、据えればいいではないか、という発想です。
 しかし、私たちは形をつくっているのではありません。どういう空気がそこに漂っているか、その空気が人間をどういうふうに支えていくか、受け入れていくかということをデザインする。私たちは空気をデザインしています。空気をデザインしようとすると、それが空間になっていくという発想なのです。西洋はそうではなく、形をつくっていきますから、建物と庭は主従関係です。ところが日本は建物と庭が一体となった、庭屋一如で一つの空間という考え方になります。
 こうした考え方は世界的に、心の豊かさというものが求められるようになるにつれ、注目度が高くなってきました。同時に、禅に対する興味も非常に高くなっています。物の豊かさではなく、心の豊かさが大事だと、何百年来、禅は説き続けてきたのです。ですから日本の文化、音楽や芸術に注目が集まるようになって、その価値観をつくり上げていたものは何かと掘り下げていくと禅があったということだと思います。
 実は、禅とか日本文化が注目を浴びるようになった初めは簡単なことでした。日本人は太っている人が少ない、それに長寿である、とすると日本食は健康によいのではないか。初めはお刺身だとかおすしとか、生で食べるのは野蛮人だといっていた彼らが、だんだん上層の人たちが食べ始め、それが広がって今や世界中どこへ行っても日本食がないところなどなくなってしまった。三十年前を考えると、隔世の感があります。もっとも、これがおすしかという代物があることも事実ですが。
 話題が日本食になったついでに、だいぶ前のこと日本とフランスの食文化の交流が行われたことがあります。彼らは塩、こしょう、砂糖、油で味付けをする、これはすべてその物があります。日本では煮干しや昆布、かつお節、しいたけなどで出汁(だし)をとりますが、出汁を取ったら汁だけで物がなくなってしまう。ですから、初め彼らはそういう物のないものは眼中になかったわけですね。ところが、食文化の交流などから、うまみというものに向こうのシェフたちが気づいた。今、フランス料理で出汁を使うのがはやりになっています。
 食文化の面でのそういう変化をみますと、例えば工業製品などでも日本人の価値観がもっと加えられるようになれば、日本の国際的な認知度はさらに高くなるのではないか。日本の産業が世界で闘うために、価格だけの競争ではなく、そこに付加される日本的心の部分、目に見えない部分をどう付け加えていくかという問題です。
 それを日本人よりも先にやったのがアメリカのアップル設立者の一人、スティーブ・ジョブズだと思います。彼は乙川弘文老師にずっと師事して、禅的な考え方を自らの経営哲学の基本とした。本当に大事なものだけを残すため、余分なものをそぎ落とし、そぎ落として作ったのがアップルの製品です。アイフォンにしても、タブレット型コンピュータにしても、余分なものがなく使いやすい。彼はスタンフォード大学での講演で、毎朝、鏡の前に立って、明日私の命が尽きるとするならば、今やりたいことと今やっていることは同じかどうかと、必ず自問自答したといいます。これは今を生きるという禅の考え方がそのまま彼の哲学に入っているということでしょう。
 というように、アメリカ人が日本の禅を受け入れて世界を制する経営者になったわけですから、本家の日本からもそうした経営者や企業が出てほしいと思います。稲森(和夫)さん一人頑張っていますけれども、彼に続く人がどんどん出てほしい。禅は過去の遺産ではなく生き物です、自らの生き方をどう極めるかということです。その価値観をいかに社会に生かしていくか。禅という私たちの財産を大事に守りつつ、それを自分のものとしていかに発信していくか、今問われていると思うのです。

メンタルドックとしての寺院の役割

社会への発信ということを考えますと、私たちの布教の場としてまずご法事やご葬儀がありますが、その折の法話は非常に大事なものと思っています。お通夜でもお葬式でも、相手の立場になって、自分たちは今何をしなければならないかを説く、生きる勇気とか、どう生活を律していくかとか、説得力を持ってお話をするということは、私たち僧侶に課せられた大きなテーマです。お医者さまが身体的(フィジカル)なクリニックに当たるとすれば、私たちは心の(メンタルな)クリニックを担当するのです。病院はフィジカルドックであり、お寺はメンタルドックにならなければいけない、私はそう思います。
 私もいろいろな方から悩みの相談を受けます。とにかく皆さん、心が病んでいらっしゃる。それをどういうふうに前向きな気持ちにできるか、相談に応えることができるか。私たちが取り組むべき課題なのです。かつてはお寺というものがそういう場であったから、日本全国に広がったのではないでしょうか。そこに行けば相談事もできる、新しい知識も身につく。お医者さまとか薬師の方が来ると、そのお寺に三カ月ぐらい逗留し、村の人をみんな診て、また次の村へ移っていく。
 さらに寺子屋という教育の場であり、それから芸人が来れば寄席にもなった。ですから、今でいえば地域の文化センター、地区センターの役割をお寺が果していたわけですね。それがみんな公共の社会資本に取って代わられ、はぎ取られ、残ったのがご法事とご葬儀ということになる。しかし、そうなった以上、お寺の社会性というものを再び取り戻すためには何をすべきか。それは公共ができないこと、それでいて社会が必要としていること、そういうことをお寺が探し出して、それに対処していかなければいけないと思う。
 東日本大震災の後、一人の女性が相談に来られました。私どもの檀家さんで、元外務省のキャリアで独身の方です。外務省でしたから、世界中ぐるぐる走って偉くはなりましたが、気がついてみたら、ご両親はすでに亡くなられて、一人っ子ですから頼りになる人がいない。そのような境遇にあって、あの大震災の映像を見て、私があそこにいたら誰がお寺に運んでくれるのだろうかと、不安になられての相談です。身元が分からないと無縁仏として葬られる、また身元が分かっていても、私どものお檀家さんだということまでは分かりません。
 そういう人たちに、どうすれば安心していただけるか。日本は超高齢社会であり、これから一人暮らしの老人は増えていきます。そして役所に保管される記録といえば、その人の出生と死亡、あとは本籍ぐらいでしょう。とすれば、その人の生きざまをきちんと残すことができないものか。私ずっと考えて、一つはその人が何をやって、どんな人生を歩まれたかということ、つまり自分史を残し、それをお寺が保存する。
 自分史については、私が何冊か本を出している出版社のPHPが相談に乗ってくれました。PHPは社会の要望に応えて、そこに手を差し伸べるというのが創業者、松下幸之助氏の理念です。同社に声を掛けましたら、ぜひ一緒にやらせてくださいということで、お寺と出版社と一緒にどんなふうにできるか、今計画をすすめているところです。書くのが苦手な人でも、しゃべってもらって録音すれば、それを文章にまとめて本にするのは難しいことではない。
 もう一つ、定年退職された後、最後に亡くなっていくときにどうなるだろうかという心配を取り除くことです。私は安名授与を早くやりましょうと提案しています。安名授与をして、ご戒名も授けて、そういう証明書というか、カードを定期券や病院の診察券と同じように持っていただく。もし、どこかで行き倒れになったとしても、このカードのお寺に連絡をいただければ、お寺が対応しますというシステムです。
 それからどうしても避けて通れないものに、遺産や遺言の問題があります。それも大手の弁護士法人とお話をしたら、実は亡くなった後のご供養というのは法律的には解決できないところで、アンタッチャブルの領域だという。ですから、そこにお寺がからむことで、亡くなったときには財産処分を含めてどうするのか、弁護士法人がきちっとそれを管理するようにしておく。そうすると、亡くなったらどうなるかという不安を、一応全部取り除くことができます。そのような準備が整ったあとは、もしそれ以降を余生というのであれば、余生を謳歌してください、心配することなく生き切ってくださいということですね。生き切る、死に切るというのが禅ですから。

お寺の社会性を高める活動

そういうことで、慶弔の弔だけでなく、人生の節目でいかにお寺がかかわれるかということの仕掛けづくりをしているのです。元旦とか成人式、もちろん花まつりもあります。コンサートをやったり茶会をやったり、試行錯誤の連続です。例えば除夜の鐘ですと、三千本のろうそくと山内の竹だけで参道を飾り、本堂で私たちが元朝祈祷をやります。十一時半開門、一時半閉門と二時間しか門を開けませんが、ろうそくだけの幻想的な光景を見たいと二千人以上来られます。
 元旦はご祈祷の後にコンサートをやることにして、これも二十何年つづけています。邦楽から始めましたが、楽器も一巡ということになって、じゃあ洋楽器もいいかと、この間はジプシーバイオリンを取り上げました。日本人のバイオリニストで、ハンガリー政府からただ一人だけ認定を受けた方がおられます。古い木造の本堂の中で聞く木製の楽器、バイオリンとかチェロ、クラリネットの音色というのは、コンサートホールとはまた違って、すごくいいものです。木造ということで相性がいいのでしょうね。オペラ歌手にも来ていただいたことがありますが、声を出される方は天蓋の下が一番いいといわれる。
 元旦には大体二千五百人ぐらい来られますか、本当に小さなお寺ですけれども、三が日で五千人は超えます。こういう活動は寺院の社会性を高めていく上で不可欠のものと思います。今、社会の中でのお寺の位置づけとか役割というのは、希薄になっているでしょう。それを取り戻さなければいけないと言い続けてまいりました。例えば、仏教会という立場で、大震災の復興支援フェスティバルなど、いろいろな行事に参加するように試みてきました。
 私は今年の五月まで、鶴見区の仏教会の会長を務めさせていただきました。大本山總持寺のゆめ参道という行事、あれは一回、二回と總持寺直でやっておられましたが、お寺全体をもっと開いた場にしたいと、今の監院さんから相談を受けました。鶴見には鶴見文化協会という任意団体が戦後すぐからあり、区の名前でやりにくいものはその文化協会が、実行委員会などを設けてすすめていく制度があります。そこで監院さんに文化協会の会長をご紹介し、二つをマッチングしたのです。その後、実行委員会が設立され、その実行委員会が周りの商店街に声を掛けて一緒にかんでもらえるようになり、鶴見の区役所も加わってくれました。今ではそれが定着して、今年は「つるみ夢ひろばin總持寺」として来場者五万人に達したという。そのつながりのきっかけは復興支援フェスティバルだったのです。
 それと関連したお話ですが、私はJR鶴見駅の駅ビルをプロデュースしました。JR東日本では、これからの駅ビルはどうあるべきか、悩んでいたといいます。(JR東日本が神奈川県内で行っている不動産事業は、横浜ステーションビルという会社の事業となりますので同社から相談を受けたのです。)鉄道会社が人をA点からB点に運んで感謝される時代はとうに終わっています。次に、A点からB点に運んだついでに、物がそこで買えたら便利という駅ビルの発想ももう行き渡って、今はその中で、駅ナカで買い物をして帰るという時代になった。では次はどうしたらいいでしょうかという問いです。
 そこまで行ったのなら、今度はその地域の人々の人生に、いかにかかわれる会社になるかが、鉄道会社が愛されるかどうかの鍵になるでしょうね、と私は申し上げた。では、具体的にどうするか。そこの場所に、会社とか学校の帰りに立ち寄ることによって、自分が成長できるということになれば、その人の人生に大きくかかわることにもなるでしょう。そういう施設をつくれないものか。私の提案は、禅カフェの創設です。それをJR東日本、そして横浜ステーションビルのCSR(企業の社会的責任)の一環としてやってください、と。これは横浜ステーションビル直営の事業になりました。
 禅カフェでは、總持寺と鎌倉の建長寺、圓覺寺、大学は駒澤と鶴見大学、あと私が入って「シァル文化事業協議会」というものをつくり、当番で火曜日と金曜日に無料で法話をやっています。ルールとしては五分でも十分でもいいですから、必ず椅子坐禅を入れること、あとは何の話でもかまわない。一番近いということで總持寺の担当が多くなりましたが、いろいろな人のいろいろな法話があります。駒澤大学や鶴見大学の方は例えば「禅と十牛図」とか、「鈴木大拙と何々」とかいろいろで、それ以上、さらに興味がある人には大学の生涯学習や、お寺の坐禅会などを紹介しています。
 平成二十五年四月に開始し、既に延べ七十回を超えました。ちょうど禅カフェの法話を始めて半年になったので、記念のシンポジウムを開催しました。それも急に決まったものですから、周知する時間も少なく、横浜ステーションビルのホームページと駅にポスターを貼っただけ。これでは多くの参加者は望めないだろうと思ったら、それでも百七十何人集まって、結構会場も盛り上がりました。皆さん山寺の和尚の寝言を熱心に聞いてくださる、それはそれで楽しみにやっております。