カフェ・デ・モンクの金田諦應師が語る
臨床宗教師養成は私の使命


  ――聞き手・藤木隆宣

金田諦應
昭和31年4月12日生まれ。
通大寺住職。駒澤大学大学院修了。
東北大学大学院実践宗教学寄附講座運営委員長。
日本スピリチュアルケア学会会員。
カフェ・デ・モンク主宰


 金田諦應師(中央)とご両親

瓦礫の中にホッとする空間を作る

――金田師といえばカフェ・デ・モンクの活動ということになりますが、傾聴移動喫茶という活動を思い立った経緯からお話いただけますでしょうか。

【金田】 この震災では多くの命と財産、故郷の風景が失われました。この凍りついた空間に、ホッとできる場所を作り、あの凝り固まった時間軸、空間軸を解きほぐし、物語を動かしていく事が私たちの使命だろうと思いました。泣く、笑う、怒る、喜ぶというのは人間的な営みです。ところが、火葬場での読経ボランティアとか、避難所に行ったとき、誰もかれも心を閉ざしてしまって喜怒哀楽がないという印象でした。とにかく何かの方法で心を揺さぶり、泣いたり笑ったりしてもらう事が必要だろうと思い活動が始まりました。
 被災地へ入っての最初の活動はうどんの炊き出しから始まりましたが、それは誰にでも出来る、私たち僧侶にできることは何だろうと。それに加え、私たちなりの味付けで遊び心一杯の空間にしようと考えました。厳しい場所にこそユーモアは必要です。「Cafe de Monk」という名前も「モンクは英語で修道僧であり、また文句であり、悶苦である」そういう意味も込めました。カフェのBGMはジャズ・ピアニストのセロニアス・モンク。ついでにスピーカーはボーズ。私たちのテーマ音楽はセロニアス・モンクの奏でる「ダイナ」という曲。ディック・ミネさんが歌いましたね。「ダイナ、我に囁け 愛の言葉を」と。私たちのカフェではBGMを通してさりげなく愛の言葉を聞かせてくれ、というメッセージを出しているのです。気づいてくれた人は少ないかもしれませんが、私たち自身もその様な仕掛けを楽しんでいましたね。
 死んだの生きたのという魂がむき出しになっている様な場所での活動は、私たち自身の心に遊び心がないととてもじゃないけどやっていけなかったと思います。これは禅語でいう、「喫茶去」に通じるのではないかと思います。「喫茶去」という私たちの先輩たちが培ってきた人との向き合い方、空間のつくり方の基本を踏襲しながら、私の感性に沿って現代的に、かつ被災地に合うようにアレンジする、そういうやり方をしていたような気がします。
 それからカフェのメンバーにはニックネームがあります。私は「ガンジー金田」と名乗りました。それから「UFO吉田」「ポッポリーナ吉田」「ムッシュー天野」「エリック高橋」等々……ニックネームを通して宗教色・宗派色を薄めていたのです。被災地が抱える苦悩に宗教の枠組みとか肩書きなんて全く意味がありませんから。

――そういえば、ガンジーさんによく似ていますね。

【金田】 私たちはどこから来て、何宗の某〈なにがし〉ということは名乗らなかったんです。お寺の住職ということも言わない。ただ、こんな格好をしていますし、佇まいや仕草で坊さんということは分かる。「ガンジーさん、一体どこから来たの」と聞かれるから、「インドだよ、おじいちゃんがマハトマ・ガンジーだ。にてるべ? んで……おばあちゃんは誰だか知ってっか? あの有名なマザー・テレサだべぇ」、そういう笑いを取りながら、とにかくユーモアを言って笑わせる。ユーモアというのは本当に目の前にいる人が愛おしく思えないと出てこないものだと思うんです。そのようにして心を動かし、揺さぶり続けました。

 瓦礫で作った看板

 石巻市開成仮設団地

八百万の神々が被災地を支援

――カフェに来た被災者たちが気楽に会話できるという、そういう雰囲気をつくるのは難しいことでしょうね。

【金田】 自分からふっとしゃべり出すような雰囲気はなかなかつくれませんね。だから夢が一杯詰まったケーキや美しい花々、沢山の飲み物をトラックに積んで持っていくと、お年寄りも乙女のような顔になります。「おばあちゃん、どれがいいの。今日はどういう気分?」なんて、ケーキを選んでもらいながらその日の気分や体調を聞いたり、持っていった様々なアイテムは、その使い方ひとつで雰囲気づくりや心を動かす・会話を動かす道具になります。
 冬は炭火の中で焼きいもを焼いて食べて頂きました。ある時、親しくしているキリスト教の牧師に焼きいも係になってもらった事があります。これは後々気づいたことですが、宗教協働とはこういうことなのかなと思います。
 焼き芋を焼いている場所から離れたら、彼はキリスト教の牧師です。背景には大きな教団のしがらみがある。でも、ここにいる限り同じ方向を向いている私たちの仲間なんです。私がここにいて、横に神主がいて、こちらのほうにイスラムの聖職者がいる、そして焼きいもが出来るのを待っている。この焼きいもは孫を津波でさらわれて、まだ遺体が見つからないといって泣いているおばあちゃんに渡す焼きいもなんです。「さあ、ガンジーさん、焼けたからおばあちゃんに持っていって」といわれて私が持っていく。また戻ってきて、「ばあちゃん、笑ってたぞ」「ああ、よかったね」と口々に喜び合う。この空間には教団も経典も教義もない。宗教が混じり合って出来る宗教協働の空間で、この焼きいもは、私たち宗教者の提供する究極のケアじゃないかと思います。
 これは宗教協働の、単純ではあるけれども、一番分かりやすい表現かなと思っています。それは被災された方々が望む姿でもある。日本人は八百万〈やおよろず〉の神々で、だからキリスト教とイスラム教が戦争をしているといっても、なんで戦争をするか分からない人たちです。そういう人たちが、牧師さんやイスラムの人や、神主さんたちを引き連れて坊さんが歩いている、あるいは牧師さんが主催するクリスマスパーティにお坊さんがいる、そういう姿を見てホッと安心するんです。これが本当の宗教の姿だと思うと言って下さった人たちが随分いらっしゃいました。八百万の神々が俺たちのことをこんなに心配してくれると、それだけでホッとするんですね。
 それから必ず花を持っていきました。お寺に咲いている花です。お茶室にある一輪の花と同じで、そこに亭主のメッセージをきちっと添えるということですね。例えば「初恋」が花言葉という花を持って行って、「ばあちゃん、こいつ、何ていう花言葉だか知ってる?これは初恋なんだよ。ばあちゃんの初恋はいつだったべ?」この様な感じで会話を動かしていく。何げなく持っていきながらも、これはあくまでも、会話を動かすため、心を動かすための一つの大切なアイテムだ、ということは常に意識しながらやっていました。

 傾聴移動喫茶初代「カフェモン号」

祖師の言葉に気づく

――大震災では本当にいろんな体験をされた。

【金田】 ギリギリのところを体験しました。震災の夜、被災地を包み込んだ美しい星空からは「気づき」というのでしょうか、真理の一端を垣間見た様な気がします。また、破壊された町や海、人々の苦悩を通して学んできた宗教的フレーム・宗教言語が崩れ落ちるのを感じました。自分が今まで培った様々なものが崩れ落ち、削り落とされ、そこから再び築き上げていく、そういう繰り返しの中で、最後につかんだもの、これが後に臨床宗教師研修を立ち上げていく一番の原動力になったのかなと思っています、なかなか言葉で伝える事が出来ない。でも、そういうスピリチュアルな(霊性といいますか)世界はどの宗教の教祖もおっしゃってますよね。言葉では伝えられないも、不立文字である、教外別伝である。そこが一番大切なのかなと思います。
 そぎ落とされて、最後に残ったものを仏から仏へ、仏々祖々、唯仏与仏という形で伝えていくというのはこういうことなのかと。それを現場の泥の中をはいずり回りながら、自問自答しながら体に染みこませていったような気がします。私のベースは曹洞宗です。道元禅師様の語ったあの言葉はこういうことなのだと気づかされていく。そういう意味で、それぞれの属している宗派も大切にしなくてはならない。それを捨てたら駄目です。しかし、より深めていくために、いったんそれを下ろし、そぎ落としなさいということです。どこでそぎ落とすか、それは苦しみとか悲しみとか、苦悩の現場の中に飛び込んで行くことだ、そういうことでしょうね。
 苦悩の中を歩き続けると視野狭窄の状態に陥る危険があります。身も心も動かなくなってしまう状況、それを、ちょっと視野を広げて、もう少し高いところから自分を見る事を心掛けました。カフェの活動の中に、ああ、よくやるよ、お前を動かしているものは何なんだ? 次に何をすればいいのだ? と自分の姿をちょっと上から見て自問自答したり、時には経典の言葉に答えを求めたりの連続でした。
 『随聞記』の中に、栄西禅師の話があります。建仁寺の僧正だったときに、親子三人、餓死しそうだから慈悲を以てお救い下さい、と貧しい男が訴えてきた。寺には施すべき食料・財物がなかったので、仏像の光背を造るためにとっておいた銅〈あかがね〉を、之をもって食物にかえよと男に渡してしまう。そこで門弟たちが、仏像のための材料を俗人にやってよいのか、その罪如何と騒いだ。禅師の答えは、餓死しそうな衆生には仏像全体を渡しても仏の意に叶うのだと、またこの罪によってたとえ地獄に堕ちたとしても衆生を餓死から救うべし、と。
 この慈悲という行為によって親子が一生暮らせるのか、やはり貧乏で死んでしまうかもしれないではないか、要するに無駄になるかもしれない。でも、それはそうではないんです。慈悲という行為には見返りがない、ただその慈悲を行うこと自体に意味があると思います。カフェを開いても誰も来ない日がありました。そのとき誰も来なくてもいい、ただそこに私たちがいることに意味があるんだと、そう腹を括らせてくれたのが『随聞記』でした。

行くと言ったら必ず行きます

――カフェを開いて、そこに被災者が来てくれることを待つことに意味があった。

【金田】 そうです。われわれがやったことというのは、役に立つことかもしれないし、役に立たないかもしれないし、焼け石に水だったかもしれません。気づかずに通り過ぎていく人もいました。それでもやっぱりおれたちは被災地の泥の中にホッとする空間を作って待つ、そのこと自体に意味があるということを何度も噛みしめながら行いました。少しずつ人が人を呼んで、最近では多いところで百二十人、それぐらい来てくれます。そういう一つ一つの思いの積み重ねだったのかなと今思いますね。
 今では仮設住宅の住民さん同士が、「和尚さんたちが来ているよ。一人でくよくよ考えていてもしょうがないから、一緒に行こう」と誘いあって来てくれます。「なんか、和尚さんたちのとこさ行くとさあ、ほっとするよ」と。そんなことを言われるようになってきました。嬉しいですね。
 嵐の中、行ったこともあるんですよ。台風が近づいてくる、石巻直撃。でも、十日ほど前に「行きます」と約束しているし、チラシも配ってある。当日の朝、自治会長さんから「金田さん、今日は来ないで下さい。こっちはものすごい。来たら死にますよ」と電話。電話の向こうからは物が吹き飛ばされる、ばたんばたんという音が聞こえる。
 「私たちは行くと言ったら必ず行きます。どんなことがあっても行きます」と答えたものの、女房と二人で「どうする?」「諦應さん、どうするの。私、諦應さんに従うから」と言います。「よっしゃぁ、んじゃあ行くべぇ」

――車ですよね、荷物もたくさんある。

【金田】 車高の高い軽トラックは、風で飛ばされるから荷物を全部下ろして乗用車に積み替えて三陸道を走りました。途中反対車線で横転している車もありましたが、なんとか仮設の集会所にたどり着き、ガラっと戸を開けたら、たった一人おばあさんが私達を待っていました。女房と顔を合わせて、「おい、来てよかったな」「ほんとに。ほっとした」と涙顔。おばあさんは何のために来ていたかというと、前回のカフェのときに、息子さんのお位牌を作る事を約束した。その位牌を待っていたのです。
 そのおばあさん自身もちょっと心臓が悪くて、いつ死ぬか分からないような状態だったんですね。それが嵐の中、息子さんの位牌をもらおうと、私たちを待っていたのです。息子さんは直葬で、一回もお経も何も上げてもらっていなかったそうです。だから俗名の位牌ですが、「おばあちゃん、ほら、息子さんだよ」と渡したらすごく喜んでくれた。あのときは、やはり行くと言ったら必ず行くという、あの覚悟は間違いじゃなかったとあらためて思いました。

位牌やお地蔵さんには神通力がある

――遺族の方にとって、お位牌は大事ですよね。

【金田】 大事なんです。曹洞宗は大切にしますし、特に海沿いの人たちは「津波が来てな、流されそうになったら位牌を持って逃げろ」と言われ続けています。位牌を取りに戻って亡くなった方が随分いるんですよ。カフェに何種類かの位牌を置いておくと、こっちが聞く前に位牌に向かって物語を語りだしました。これは大きなケアだった。普通の傾聴ボランティアにはできないことでしょう。そこに、宗教者がやっていることの意味があると思います。そこから物語が動いていくんです。命の繋がりを語り出すんです。
 仮設の集会所には三十人、四十人と大勢の住人さんが集まります。それぞれが背負いきれない重荷を背負っていますが、お互いに自分の事についてはなかなか語り出しません。そこに位牌がぽんと置かれている、「ばあちゃん、どうしたの。これ、欲しい?」「いやあ、流されちゃって、私の亭主のが」「亭主はどこで死んだの?」「どこどこでね」「遺体は見つかった?」「見つかってない」、そういう核心的な話がさっと動く。これはすごい力でした。
 全日仏から頂いたお数珠も置いておきました。必ず手から手へ渡します。渡しながら健康やお金、そして家族の事。将来への不安や希望など様々な話をしました。お経文は一切唱えませんでした。ピンピンコロリとか、何かぶつぶつ言って手を握って渡すだけです。それでも私達の手の温もりをありがたがるんですね。
 それからお地蔵さんです、手のひら地蔵。これは喜ばれました。大切な人を亡くして寂しい思いをしておられる方に差し上げますとメッセージを置いておきます。絶対こっちから配ったりはしません。配ってしまうと布教になる。だから必ず置いておいて、その人が手を出したら差し上げる、そう自分たちでルールをつくっていました。これは臨床宗教師の研修でも、口を酸っぱくして言うんです、布教と間違えられる事は絶対に避けるようにと。

――お地蔵さんはもともと原型みたいなものがあったんですか。

【金田】 最初は石屋さんが石を削って造ったお地蔵様を送ってよこして「和尚さん、配ってもらえますか」という。どんなものかとカフェの入口に置いてみたら、たちまちなくなった。みんなお地蔵様の前で泣くんです。わんわん泣いて、孫に似ている、ひ孫に似ている、じいちゃんに似ていると、同じ顔のお地蔵さんですけどね。何だ、これはすごいな、お地蔵さんの前では皆素直になる、そして人を癒す。これはちょっとお地蔵さんに手伝ってもらわないといけない、という事になってきた。次第に仮設の住人が大切な人に想いを込めて作るようになったんです。粘土で作って知り合いの陶芸家さんに焼いて頂きます。
 ご主人を亡くした人が、「和尚さん、うちの旦那、眼鏡をかけていたんだ」という。私が眼鏡を描き「これでいいのかな」と、ぽんと彼女の前に置いたら、それを見た途端、パッと取って見つめて、ワッと泣き叫ぶんです。被災後二年間、泣けなかった人です。「なんであんた、私を置いて逝ってしまったの」。旦那さんは避難する人たちを誘導しながら、津波にさらわれてしまった。「人のことばかり考えて。私のことだって考えて」と大きな声で叫ぶ。周りにいた人もしゅんとなってね。心の奥底にこびりついていた気持ちが一気に吹き出たという感じでしょうか。そういう場面は何回も見ました。

生者と死者をつなぐのが宗教者

【金田】 津波の中、身重で逃げた女性が双子を出産したけれども、一人は脳性マヒだった。それで病院にずっとかかりきりだったので、二人目の子は一度も抱っこできないまま死んでしまった。そういうお母さんが来られた、「じゃあ、その子のお地蔵さんを造ろう」と。後日出来上がったお地蔵様を集会所へ持って行きました。赤子を愛おしむ様に胸に抱きしめていました。お地蔵様を渡す時は近くにいる人達を呼び、お地蔵さんを手の中に入れて、手を重ねます。「ほら、リナちゃんだよ」と言って手をぐっと握って渡します。その瞬間、「リナちゃんが帰ってきた」と言って涙を流すんです。息子を失ったお母さんも、息子の身替わりだってワッと泣き出す。そういうことなんですね。
 生きている人と死んだ人を繋げていくという作業、これは私たちが常日頃お葬式の中でやってきたからこそできるので、その経験のない人にはこういう発想が出るはずがないと思います。

――そういう場でもお経を読まないというのは、宗派の違いとか、そういう配慮ですか。

【金田】 そうですね。仮設の住人さんの宗教は様々です。ですから集会所という公共空間では絶対にお経は唱えません。しかし、要望があってそれぞれの仮設の部屋に行ったら唱えます。どんなことがあっても集会所では読まない。それは私たちのルール(倫理)です。だから、経文の代わりに真剣な顔で「テクマクマヤコン」と言ってみたりすると、みんなワッと笑います。「おばあちゃん、笑えるべ。おじいちゃんが笑わせてくれたんだからな」と。そこら辺は現場の空気を読みながらの即興ですね。
 今は「欲たかり地蔵」(欲張り地蔵)を作っています。皆仮設を出るにはお金が必要ですからね。お金はいくらあってもいいのです。そういう自分の置かれている状況をちょっと別の角度から面白く表現するお地蔵さんです。ドイツの精神医学者フランクルの云う「自己距離化」とう考えですね。傾聴の基本中の基本は「答えは出さない」という事です。物語が動き始めるまでじっと待つ。ひたすら待つ。
 震災後三年目の春でした。宗教系の支援は三年が一つの区切りと言われているし、スタッフも疲れてきたから、そろそろ活動も終りにしようかなと思っていた。そうしたら「和尚さんたちのうわさを聞きました」と、手紙が飛び込んできた。
 「私の息子は津波で流されて死にました。あのとき、私は息子を抱っこして逃げました。みんなに助けられました。助け上げられたときに、手を見たら息子はいなかった。知らないうちに流されたんです。私はその日から一年間ずっと寝たきりでした。二年目は何とか元気を取り戻さないといけないということで、無理に明るく振る舞いました。とうとう私は鬱病になってしまいました。……自殺未遂もしました。息子は私のことをうらんでいないでしょうか。なぜ私だけが生き残ったんでしょうか。和尚さん、息子は今どこにいるんでしょうか。和尚さん、助けてください。私、待っています」
 電話番号が書いてあったので、すぐ電話して、「今手紙を読んだよ。あなたの苦しみは伝わってきた。辛かったね。すぐっていう訳にはいかないけれども、二日か三日、時間を頂戴」ということでスタッフに連絡しました。「行けるやつは誰かいるか?」一人の若いお坊さんが手を挙げた。永平寺から帰ってきたばかりの若い僧侶です。「少し厳しい場所に行くんだけれども、行く?」と言ったら、「行きます!」と。二人で行きましたよ。

問われる臨床宗教師の傾聴能力

【金田】 出かける日の朝に確認の電話をしました。ところが、出ないんですよ。でも行くと言ったら必ず行くというのが私たちの信念です。門を出ようとしたら電話がかかってきた。彼女のご主人からです、「和尚さん、今日、来られることは知っていましたが、でも、うちのやつ、今朝、大量の睡眠薬を飲んで自殺未遂を図りました」、ピーポーピーポーと救急車のサイレンが聞こえる。「だから和尚さん、今日は来てもらっても、うちのやつはいないし無駄足になります」と。「でもね、ご主人、私たちは行くと言ったら必ず行くんです。仮に奥さんが快復して、和尚さんたちは来なかった、というようなことになったら次につながらないんです」、そこが気合いであり、覚悟だと思うんです。
 それで行ってみたら、もちろん、彼女はいませんでしたが、住人さんが集まっていて、みんな抗うつ剤の薬を飲んでいる様子です。保健師さんがたまたまやってきて、「和尚さん、ここはこういう状態なんです」という。若い僧侶はこの状況に表情が強ばって声が出ません。
 彼女は一命を取りとめて帰ってきたというので、十日後にまた行きました。「和尚さんは、あなたの帰りを待っていたよ。自ら命を絶つようなことは、少なくとも和尚さんの前ではしないでほしいな」ってちょっと怒りました。マニュアル的には本当は怒っては駄目ですが。「ごめんなさい」と言ったきり、その後の会話が続かない。鬱病ということもあったでしょう。私も前に座って彼女の口から言葉が出てくるのをじっと待っていたんです。すごい時間でした。密度の濃い沈黙の時間でした。
 そうしたら、ぽつんと言います。「和尚さん、私の子供は今どこにいる?」本当に絞り出すような声です。ここで答えを出しては駄目です。十分くらいだったでしょうか、密度の濃い沈黙の後で、「お母さんだったら、どこにいてほしいと思うの?」と聞いたんです。再び沈黙の時間。「和尚さん、光がいっぱいあふれて、お花がいっぱい咲いているところにいて欲しい」、熟した柿の実がぽとんと落ちてくるような答えが返ってきました。「そうか、和尚さんもやっぱり同じことを考えていた。そういうところに行けるといいなあ。二人でお祈りするか」と。
 次に行ったとき、彼女は絵を描いてきました。「和尚さん、こういう所にいて欲しい」。長い長い時間の中で、問いと答えがぐるぐる回って最後に出てきたのが、光、花という答えでした。それが導き出されるまで、私たちはじっと待っていなければならない。そこがとても肝要なところで、臨床宗教師としての凛とした佇まいと傾聴能力が問われる瞬間です。普通でしたら、成仏しているとか、極楽浄土にいるとか、つい宗教的な救いを言ってしまいがちですが、それでは彼女の文脈の中での救いにならないのです。そこをぐっと我慢して、「待つ」ということですね。

オールお寺で取り組んだカフェ活動

――そういう活動については、奥様やご家族の協力も大きいですね。

【金田】 そうです。スタッフは十人ほどが現地に行きますけれども、後ろを支えてくれる人たちがそれぞれの役割があります。妻もそうですし、父も母もそうです。それからお檀家さんには助けられました。カフェの日程というのは大体二週間くらい前に決めます。そうしないと告知もできないし、ローテーションも決まらなくなってしまう。ですから、その日にお葬式が当たってしまう場合がある。そういうときはきちんとお話しして、「実はさ、この日はもう約束していて、必ず行かないと駄目なんだ。一日ずらしてくれる?」と頼むと、檀家さんは「和尚さん、構わないから行って」と。「おれたちが被災地に行けない分、和尚さんが行っているんだから、あっちを優先して」、そんな感じでした。
 「何だべ、和尚さん、おれたちのことをほっぽりなげて」というふうなことは一回も言われませんでした。新聞やテレビでしょっちゅう取り上げてくれましたから、「和尚さんはああいうことをやってるんだ。いやあ、なかなかできんぞ。一日ぐらいずらしてもいいから、あっちのほうの人の支えになってくれ」。だから、お寺、檀家、地域の人に支えられて、その一番先頭に私達がちょっといて、軽快な音楽に乗って、ジョークを言いながら巡回していた。それだけの話なんです。

――いやいや、それは大変なことですよ。自他不二といいますか。

【金田】 そうなんです。だんだん核心に触れた言葉を聞き分けていくと、自分も他人もないような世界に入る感覚になってくる。それがきっと「慈悲」という事なんでしょう。相手が語る物語の中から心を受け止めて、相手の物語の文脈に沿って次の言葉を返していく、そういう作業の繰り返しでした。他者に向かう心は同じ強さで己に返ってきます。その繰り返しの中で知らず知らずに自分自身の信仰を再構築していく、そういうことだったと思っています。
 苦悩の現場は常に動いております。マニュアル通りという訳にはいかない。災害マニュアルだとか、傾聴マニュアルだとか、いろいろありますが、それはそれで先輩たちが積み重ねてきた、時々の集大成ですので、それは大切にしないといけません。でも、実際に現場に入ったら、それだけにとらわれていたら駄目です。とにかく現場から感じ取って、現場から創造していかないと、本当の真心のこもったケアというのはできない。現場でイマジネーション膨らませ、そして創造(クリエーション)していく、臨床宗教師の研修ではというふうな言い方をしています。ここが分からないと、技術だけ学び取ったって何の役にも立たないんです。
 あるいは現成公案の意味とはこういうことなのか。諸行は無常である、現場は常に動いている。現場からいろいろな問い掛けがくる。宗教者にとって、現場は問いです。そして現場とは苦悩が満ちあふれている場所である。現場がどのような状況になって、どのように動いて、どのような空気になって、次にどの答えを待っているかを臨床宗教師は感性を磨き、全身を受信機にして、感じ取りそして行動していかなくてはならない。禅問答と同じ。そういう深みに通じると思います。
 それからとても大切だと思ったことは、自己の身心を保つと言うことです。自分自身が穏やかな心持ち、曇りのない鏡の状態でないと傾聴活動は出来ません。身心を保つ為には戒律が必要だと言うことに気が付きました。しかし、それは授けられた戒律という事ではなく、切に他を想う時、身心の奥底から熱く沸き上がってくる戒律です。慈悲心が戒律を沸き上がらせているんですね。

 臨床宗教師研修(石巻市大橋仮設集会所)

今後必要になる臨床宗教師的発想

――お話の中に何度も臨床宗教師という言葉が出てきました。金田師は東北大学の実践宗教学寄附講座を立ち上げたメンバーでもあるし、その中で臨床宗教師研修を指導されてもおられます。そこで例えば、曹洞宗ですと現職研修とかありますね、ああいうところにその研修プログラムを入れることは出来ませんか。

【金田】 宮城県宗務所で教化主事をしておりましたから現職研修では随分工夫しました。現職研修は時間的に制約されておりますし、実習の現場がありません。講義中心では全く意味がないのです。
 現職研修の受講者は、住職あるいは副住職として臨床(現場)におります。ですからある程度基礎的な訓練は出来ていると思います。その経験は全く無駄ではないと思います。お寺とお檀家という関係を持っていて、また地域社会という現場を持っている。その中で七転八倒しながらやっている。それは極めて高いスキルだと思います。お檀家様と何十年も向き合った人と、大学生が臨床宗教師のありようを学ぶのでは全然違います。
 相違点は「ホームとアウェー」の関係で表現できます。曹洞宗のお寺だったらみんな曹洞宗のお檀家さんで、大体のことは同じ方向を向いていて師匠と弟子との間での受け渡しがあって、また周りの人たちに教えられながら向き合っていきます。スポーツで表現したら「ホーム」なんです。しかし、臨床宗教師の現場は「公共空間」でそこには様々な価値観の方々がいます。所謂「アウェー」です。例えば被災地や緩和ケアなどを行う病院に行くと様々な宗派の人がいます。キリスト教の人もいるし、神道の人もいる、全く神仏を信じていない人もいます。宗教そのものに無自覚な人もいる。そのときに「ホーム」と同じように自分の宗派の教義、ドグマに基づいた聞き方とか、言い方をしてしまったらアウトです。
 アウェーに入るには訓練が必要です。臨床宗教師研修では、相手が語る苦悩を自分の価値観でねじ曲げないように、自分の信念(ビリーフ)、宗教観などの価値観を相対化する作業を徹底的に行います。そのためには、自分の生育歴を書き、更にその生育歴に対する自己評価を行います。現場を想定したロールプレーを行い、その中で問題になったところを、お互いに検討し合うという場を通して、自己の価値観というものが削られていって、残ったものに気づいていく。そういうところまで追い詰められていく。削られていくというよりも、純化して行くと言ったほうがいいでしょう。そこが非常に大切なところですね。
 それから、アウェーでは他業種との協働作業が前提です。僧侶もチームの一員です。チームワークの方法を学ばなければなりません。特に宗教者が注意しなくてはならないのは「布教とケア」の区別です。ですから、臨床宗教師の守るべき倫理綱要なども学習します。実際のケア現場はあらゆる信仰・価値観の宗教者との協働作業になる場合があります。ですから、他宗教・他宗派への理解が必要になってきます。私たちの臨床宗教師研修は一定の条件が満たされればあらゆる宗教・宗派の方々を受け入れています。宗教に公平な立場を取る国立大学に設置されているという事は極めて大きな意味があると思います。
 今まで様々な宗教者を受け入れてきましたが、曹洞宗は現職研修をしっかり行っていると思います。特に人権学習は曹洞宗ほど徹底して研究し、学習している宗派はありません。実際、臨床宗教師研修では曹洞宗の人権資料(DVD)を利用し、曹洞宗関係の講師が行っております。人権とはその人がその人らしい生き方を全うする、それをみんなで擁護する事だと思います。ですから、人権学習も視点を変えれば充分に臨床宗教師的訓練になるのです。
 また曹洞宗では身心を通した修行体系があります。それは現代の宗教・宗派ではとても貴重であると思います。宗教者らしい凛とした佇まいがあります。それをベースに据えて、訓練を展開すれば質の高い臨床宗教師を育てることが出来ると思います。宗門では「上山の修行体系」は完成されていると思いますが、それに対する「下山の修行体系」ですね。そこが宗門に不足している部分です。曹洞宗の僧侶はむしろ臨床宗教師の資質が充分にあると思います。これは今までこの研修に関わってきて確信したことです。それには現職研修とは違う研修制度を設ける必要があると思います。
 そこで臨床宗教師的な訓練が必要になってくると思います。相手の信仰・価値観や苦悩の状態ですとかを慎重に聴き取り、敏感に感じ取りながら向き合っていく。それには宗教者としてのあらゆる立場の人を理解するレンジの広さと感性の豊かさがが必要です。また、この様な社会からは様々な苦悩が生み出されてきます。臨床というのは常に現場に真摯に向き合うことです。そこをきちんと押さえていればこれからの僧侶・寺院が活動できる領域、社会貢献は充分にあると思いますし、むしろ社会はそれを期待しているのだと思います。

東京にカフェ・デ・モンクを

【金田】 私たちの活動には、東京辺りから若い坊さんが尋ねて来ました。私もこの様な活動をしたかった、東京にいるとお葬式と法事だけでやってやりがいがない、等と言い出すものだから「あんたたち何を言ってる。葬式も法事もろくにできない僧侶が被災地に来て何ができる。ここはあなた達が求めているパラダイスじゃないんだ。東京へ帰って、お檀家様にちゃんと向き合いなさい。心のこもったお葬式や法事を工夫しなさい」と、お帰り頂いた事が何回かありました。彼らは被災地に自分探しに来ているんですね。

――確かに、東京では何もできないとおっしゃるお寺さんは多いんですが、でもあれだけの人口ですし、もし東京にカフェ・デ・モンクができれば、もうちょっとお寺さんに対する見方も変わってくるでしょうね。

【金田】 そう願いますね。私は「カフェ・デ・モンク」というスタイルで被災地の苦悩に向き合っております。ですから場所に合わせ、また、その人の感性に沿ってそれぞれのスタイルを作ればいいと思います。よく「宗教をグルーブさせなさい」と今風に表現しています。仏教的に表現すると「遊化」ということでしょうか。グルーブというのは「躍動感」です。リズムに変化を付けてより生き生きとさせるという意味です。しかし、グルーブさせるためには基礎をきちんと学ばなければならない。今流行の一過性の「イベント仏教」では駄目なんです。その時に臨床宗教師的な訓練をきちんと受けないと駄目です。自分勝手な躍動は独りよがりになってしまいます。東京都という風土に合わせ「グルーブ」して欲しいですね。すでに熊本には「カフェ・デ・モンク熊本」ができました。また、京都府では自死対策の一環で、「カフェ・デ・モンク」を参考に、龍谷大学の臨床宗教師と連携しながらカフェを運営し始めました。

――最後に、曹洞宗の話にちょっと戻りたいんですが、曹洞宗の制度的なものも、積み重ねながらやってきているけれども、今の時代に合わなくなっている。

【金田】 先にもいいましたが、四年間教化主事をしておりました。曹洞宗という巨大集団は制度疲労を起こしていると感じているのは、恐らく宗門行政に携わった方ならどなたでも感じているのではないでしょうか。しかもそれに気づいていながら自己変革出来ない自縄自縛状態に陥っていると思います。これは東日本大震災などの危機的状況の時になおさらはっきりしてきたと思います。この四年間、私たちの活動に対し宗門からの援助は全くありません。しかしながら、このタイミングでこの様な援助があったら、宗門がこの様に動いたら、と思ったことは何度もあります。曹洞宗はチャンスを逃しているのです。
 総持寺二祖峨山様の業績は「人材・情報・行動」だと思います。このキーワードで曹洞宗を全国に展開しました。更に加えるならば政財界等の世俗との上手な関わり方を熟知していたように思います。私たちはその心を「相承」しなくてはならないと思います。
 曹洞宗では教化部直轄で本庁の出先機関である管区教化センターを全国に配置しております。管区センターの機能はいろいろな意味で宗務所とバッティングしている部分が多いと感じます。管区教化センターは曹洞宗の布教・教化ではなく、宗教の公益性を重視した活動、地方の政治・文化・医療・福祉・学会・マスコミ等を視野に入れ、その部分から吸収し、時には影響力を与えるという役割にシフトする必要があると思います。東北大学の講座の運営や臨床宗教師研修にも積極的に関わって欲しいですね。
 震災で多くの財産と貴い人命が奪われました。人々の心はいまだに癒えておりません。仮設住宅にお住まいの方々は曹洞宗のお檀家様が多い。五年目に入りあらゆる支援団体が被災地から引き上げております。今こそ、私たちの底力を発揮する時だと思います。