山岸弘文老師インタビュー
お盆は仏に法食を施す大祭典供養

お盆の意義について、家庭教育のことなど

――聞き手・藤木隆宣

山岸弘文
(やまぎし・こうぶん)

昭和15年1月1日、群馬県泰寧寺にて生れる。
駒澤大学仏教学部禅学科卒。
昭和37年大本山總持寺本山僧堂に安居。
平成19年11月〜24年1月大本山總持寺副監院。
現在泰寧寺住職。

六百五十回忌を鶴見の町ぐるみの行事に

藤木 ご本山(總持寺)から下りられて、もう何年ぐらいになられますか?

山岸 何年でしょう、平成二十四年の一月だったから、五年目に入ったところです。

藤木 そうですか。ご本山の生活はいかがでしたか?

山岸 いい修行になりました。本当にまじめな話、あそこでなければ経験できない役寮としての日常というか、大きいものがありましたね。

藤木 修行僧が来ますから、この人たちみんなを背負っていくということですね。迎えたり送られたり、そういうこともあるでしょうし、ああいうお立場でないとできないご経験というか、そういう意味では大仕事ですね。

山岸 ああいうマンモス道場ですから。われわれ地方の寺院の住職をやっているなんていうと、想像もつかない、思ってもみないようなことに出くわすんですね。えらいことが起こる。地方のこんなところと比べれば、目がくるくる回ったってまだ収まらない。

藤木 曹洞宗のご本山であり、修行道場でもありますし、大きな檀家寺でもあるという、そういうところでいろいろなことが起こるのでしょうか。今度の峨山禅師六百五十回忌は大成功に終わられたとのこと。

山岸 あれは今回、地元の鶴見の町の行事というふうに持っていった、あそこが良かったと思います。

藤木 私も外から拝見していて、これからは寺院がどこまで地域と結び付いていけるかが大きなポイントになるだろうと思っておりますので、そういう意味では、今回は企画全体が鶴見の町と一体になっていた。成功の理由の一つがそこにありますね。

山岸 あれは良かった。あの助けてくれた人たち、中心になって動いてくれた人たちは日ごろ、土日というと拝観なんかのお手伝いをしてくれていたんです。そういうところからだんだん密接なお付き合いになってきて、それで今回の大遠忌祭典にうんと手助けしてもらうことができたわけです。

藤木 やっぱり日ごろの地域との付き合いがあって、そういう行事に広がっていったということでしょうか。

山岸 そうだと思いますね。



残したいお盆の風習
新盆見舞い・百八燈


藤木 今日はお盆をテーマにお話をうかがいたいと思って参りましたが、まずご当地のお盆の特色といったところから。

山岸 とくに取り立てての特色はありませんけれども、ここは以前、養蚕業が盛んでしたからその農繁期の関係で、九月の三日、四日、五日のお盆でした。それがだんだん経ちまして、八月の二十三日盆になって、今現在は八月十三日という、ほぼ全国並みのいわゆる八月十三日盆になっております。そんな歴史がございます。
 また、これも全国で同じような風習があるかと思うんですが、この地域の皆さんの新盆見舞いというのがございます。今年新盆を迎えたお宅に、盆の十四日にお伺いして、新盆お見舞いの御霊前、お包みをそれぞれの訪問したお宅の盆棚にお供えし、お線香を上げてお参りさせてもらう、こういう新盆見舞いですね。皆さんの様子を見ていると、大体ご葬儀にご案内いただいて会葬に行った、そういうお宅には皆さんほとんど新盆見舞いに伺っているようです。それは、この地方だけに限ったことではないと思いますが。

藤木 そのお見舞いに行かれるのはご親戚筋だけではなく。

山岸 一般の、ご葬儀にご案内いただいた方々、その人たちはみんなメモしていて、今年はどこそこが新盆ということで、そこへお見舞いに行く。

藤木 やはり結び付きが深いということですね。

山岸 それが一つです。あと、これはこの地域でも全部でやっているというものではありませんが、昔は結構多かったものと思いますが、百八燈というのがあります。新盆を迎えた家に、親戚の方や近所の隣組、五軒組といいますか、その組の方々が集まってあらかじめ篠(しの)を百八本用意しておき、そこの家からお墓までの間に百八本の篠を大体ほぼ等間隔に立てる。

藤木 篠というのは……。

山岸 竹の細いもの。あれを切って、集まった親戚の人たちや組内の人たちがそれぞれ手分けをして、墓地とそこのお宅までの間に百八本、立てていくんです。

藤木 百八というのはやはり煩悩に由来する数でしょうか。

山岸 そうでしょうね。その篠を立てる人、篠の先の先端をとがらせたところにろうそくを立てる人、そのろうそくに火をつける人というふうに、手分けしてやります。それで、十三日の迎え火のときは墓地から家までの間に、お墓からだんだんに百八本の篠を立てて、お墓から火をともしながらその家へ、これは迎え火になると思います。

藤木 まさに迎え火ですね。

山岸 今度、送り火のときは十六日の朝、家のほうから火をつけて、それでお墓へ送っていく。これが百八燈というものです。

藤木 それは大変珍しい風習だと思います。



門火をたき施餓鬼旗を飾る大祭典供養

山岸 それから、ここ須川宿はお盆の門火が見事です。ここは高崎から新潟へ抜ける三国街道の宿場町で、越後の大名や佐渡奉行、関八州取締出役などがこの街道を利用したといわれる。この宿場中が八月十四、十五日の夕方、一斉に門火をたくんです。

藤木 門火というのは、家の門口でたく火という意味ですね。

山岸 そうです、お盆の夕暮れの門火、先祖の御霊の火祭といった趣きがあります。思うんですけれど、盆の門火というのはかつて全国津々浦々で燃えていた。しかし、今はいろいろと生活の環境が違いますから、やろうと思ってもできなくなった所が多数あるでしょう。それはわかりますけれども、でもこういう盆の原風景、盆のしきたり、宗教風習というものは、残せる地域ではぜひ続けていってほしい。そうすることで、宗教文化が続いていくというふうに思います。

藤木 そうですね。その地域の人たちの努力が要求されるでしょうが、そうした風習が消えかかっているとすれば、また燃やしてもらいたいですね。

山岸 そう思います。それから、盂蘭盆会の期間に、お寺では精霊に対する供養の法要を山内行持として行っていますが、これは基本的に施食の法要、ご回向をして供養しているわけです。この法要は大施食会といって法食を施し、法幡を翻します。皆さんご承知のように、村祭では氏子の皆さんが村の入口などに大きなのぼり旗を立てますね。さあ、お祭だよと言わんばかりに、神社の祭典の標識となるのぼり旗を立てて祭典行事を行う。それと同じように、施食法要の法幡を昔は施餓鬼旗といいましたが、これを飾り仏に法食を施す大祭典供養、これが施食法要です。
 そこで一つまたちょっと考えてみたいことですけれども、生きるということは、結局は食べていくことだと思う。食わねば死んでしまいます。腹がいっぱいになる、こんな幸せは実はないんですね。私どもが小さいとき、終戦から終戦直後の時期に幼児期を過ごしておりましたから、本当に食べものがないというのは大変なことだと、痛切に身に染みて分かっているわけです。食べられるということは、こんな幸せはない。

藤木 それは、意外と分かっていないかもしれません。今は飽食の時代といわれて、食べることが当たり前になっています。

山岸 そうですね。仏さんには山海の珍味、飲食物をお供えし、読経して法食を振る舞う。おもてなしの大祭会が施食供養です。この供養がお盆のしきたりであり、お盆の行持なので、これをお寺での供養と同じように、各ご家庭にあっても盆棚に迎えたわが家の精霊にご供養する、これが大事なことだと思います。地域によって違いはありましょうが、お檀家さんの家へ菩提寺の和尚さんが棚経に伺ってお経を上げる、これも盆のしきたり行持の一つということになると思います。
 話はちょっと変わりますが、かつて奈良、平安の昔、国政をつかさどるための建物を清涼殿と、こう言ったことがございます。

藤木 精霊のしょうりょう。

山岸 いえ、清らかな涼しい、それはコカ・コーラだけじゃない。盆棚というのはまさに清涼殿です。夏の暑さ極まる折から、少しでも涼しく、居心地のよいように、今でいえばクーラーを付けてお部屋へお迎えする。そのために竹を四隅に、そして杉の葉などを下げて、涼しく、居心地よくというおもてなし、接待の気配り。そういう客間、これが盆棚、精霊棚だと思っています。

教育の原点は墓地の掃除にあり

山岸 ここのお寺では、お盆の期間中には当然そういうお経を読んで供養しております。一方、お檀家さんの方々はお盆にはお寺参りに来られて、お寺の施食棚にお参りされる。その供養のお礼として、お盆礼とか盆供とか地域によって名称はいろいろと思いますが、盆のお布施を下さるわけです。

藤木 そしてお墓参りとなりますね。

山岸 これは家庭にある仏壇のお参りも大事ですけれど、お墓参りはまた格別の感がございます。墓地までの道中、その風景を見ながら墓参りをする。そういう上で大事なのは、子どもと共に行くことです。子どもさんがいなければ別ですが、お子さんがいらしたらぜひ一緒に連れていって、一緒にお墓の掃除をする。これが一番大事なことで、子どもを育てる、教育の原点だと思います。
 子どもの教育に関連することは後でもう少し触れてみたいと思うんですが、お墓参りというのは単にお墓の前に参るだけでなく、それに伴ってまずは墓地の掃除をする。これもできれば子どもと一緒に、教えながらやっていくことが大事です。家の人がそういうことをやっていれば、子どもはこの様子を見ていて自然に覚える。やがて代が変わっても、そのしきたりは続いていくわけです。
 これは全国方々のお寺さんで似たようなことがあると思いますが、これも盆のしきたりの一つになると言える。そして、しきたりであると同時に、これは供養なのだというとらえ方が大事なことかなと思っています。仏の供養、これは当たり前の分かりきったことのようで、だからといって軽く受け流さず、どうぞひとつ盆供養という重みを真剣にとらえてほしい。それが信仰であり、宗教であり、仏道なのだと思います。
 仏道というのは観念であって、仏教というのはいい教えだ、そんなふうにとらえるのではなく、その教えを行じていく、実行していくのが仏道なんです。仏の道を行じていく、ここのところも時折言われることですけれども、盆の行持をやっていくことはやっぱり仏道ということです。わが曹洞宗は仏道の宗教です。どうぞ、盆の行持を行じてくださるよう、皆さんにお願いしたいものです。しきたりにとどめず、行持として実行する。そんなことも、ぜひ皆さんにご承知いただければありがたいと思います。

藤木 大切なご指摘と思います、ありがとうございます。教育ということでは、檀家の若い人たちにも行持に参加してほしいですね。

山岸 このことは行持の継続、いわゆる相承ということだと思いますが、行持を続けていくところにそのことが生きてきます。おっしゃるように若い人にも盆行持に参加してほしい理由はといえば、結局今後も行持として続けていってもらいたいからという、そんな理由になるのではないでしょうか。世代交代しても、先代のときと同じように行持道環していけるように、そのためには若い人が親のやっていることを若いうちから見習って覚え、継承していく。師匠が会得した仏法を弟子はしっかり受け継いで、同じようにやっていく、この相承ですね。



新家庭に仏壇を設ける運動を起こしたい

藤木 昨今の家族というものを考えますと、実家から遠く離れて暮らしていて、お盆といってもなかなか墓参りに帰れない。そんな環境にいる人も決して少なくないと思いますが、そういう人たちにとって、お盆の迎え方としてどんなことができるでしょうか。

山岸 そうなると、これは盆棚に先祖代々のお位牌を仏壇から出してお飾りし、お盆のご供養をする、これが普通行われていることですけれど、もし実家に帰れずそれができないとすれば、その気持ちで実家の仏さんに思いを巡らせ、せめて実家のほうへ向かって手を合わせて拝む。そのくらいは遠くに離れていてもできるのではないか、こう私は思います。
 そこでもう一つ踏み込んでこれをとらえると、親から離れた新所帯で、わが家の仏さんはいないし、当然仏壇もない、そういう家庭が多数あることと思います。それでも、まだ仏さんがいないといっても、たとえば家具調の小さな仏壇でいいから用意して、そこにお釈迦様のご本尊様を一体お祀りするだけでもいい。あるいは、その家の先祖代々精霊の位牌一本作って、毎朝お水、お茶、ご飯、お明かり、お線香を上げて拝む。そういう気持ちさえ起こせば、これはいくらでもできることじゃないかと思うんですね。
 直接わが家に仏さんがいなくても、小さな仏壇でいいからお祀りをして、かかさず朝のお参りをする。そんなことができれば、その家庭に子どもができたとき、これは立派な家庭教育になるでしょう。子どもは親の背中を見て育ちます。実家から遠い、近いにかかわらず、あるいは借家でもマンションでも、新たに所帯を持ったら、ご本尊様かご先祖さまのお位牌一本お祀りする、そんな家々が少しでも増えてきたら、日本列島、素晴らしい仏教文化圏になるでしょう。
 各菩提寺の和尚さんに先導していただいて、新しい所帯を持ったら、うちに仏さんはいなくても小さな仏壇でいいから用意してもらう。そこに本尊様をお祀りし、あるいは先祖代々のお位牌をお祀りするという、これが現代布教の一つにもなっていくのではないかと思っています。

藤木 そう思いますね。一時期、曹洞宗でも釈迦牟尼仏奉賛会というのがあって、あの運動で新しい仏像が随分お檀家に入ったのではないでしょうか。同じように、ある意味で曹洞宗の運動として、宗務庁なりが音頭をとり菩提寺の住職たちに協賛してもらって、若い世帯に仏壇をと、こういうことができるといいですね。何か運動をしていかないと、実際になかなか広がっていかないということがあります。

山岸 そこの家庭で人が亡くなった、仏さんができたからということでなく、所帯を持ったら仏壇をという、これは大きな宗教運動だと思っています。

藤木 これは何十年かけてもという、大きなスタンスの運動じゃないでしょうか。

山岸 実家から離れて暮らしている、あるいは仏壇のない家庭が多いということについて、そんなふうに私の思いの膨らみがあったわけです。

藤木 とても建設的なご意見だと思います。曹洞宗がそこに向かうということだけでも、僕はいいことだと思いますね。

教育の原点は家庭、親はみんな家庭教師

藤木 先ほど、教育問題についてご提言がおありとのことでしたが、それはどういうことですか。

山岸 これは故人曰くということになりますけれど、目で見せて、口で聞かせて、してみせて、教えてやらねば人は育たぬ。こういう教えがあります。ですから、極力行持には子どもを連れていく。訳の分からない小さいときから連れていく。三つ子の魂百までもと言いますが、小さいとき、幼稚園児くらいのときが、子どもは子どもなりに興味もあるし、吸い取り紙のようにいろいろなものを知識として吸収できるといいます。ですから、あの時期に一緒に連れていって、参加させ体験させる。
 さっきのお墓参りもそうですが、体験させることで、子どもはどんどん理解していきます。だから幼時教育、家庭教育がいかに大事かということ。そこで、私は思うんですけれども、どこの家庭にも家庭教師がいます。というのは、世の父母、親はみんな家庭教師なんです。

藤木 そのとおりですね。そうあらねばいけません。

山岸 教員免許がなくても、大学を出ていなくても、親はみんな家庭教師です。食事のとり方、箸の持ち方、お座りの仕方、お客さまが来たときのごあいさつの仕方、道を歩きながら見かける草花の名前、それを教えるのはみんな親です。あそこの神社には神様をお祀りしてある、神様は仏様と同じで、いいこと悪いことをみんな見ているんだよ、だから悪いことはしちゃいけないよ、いいことをするんだよ。こういう話を折に触れて話してやる。繰り返し聞かせるわけです。
 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました、と童話は同じ話を何回も何回も繰り返して話しますね。この繰り返し教育が幼時教育で、これが家庭教育の原点だと思う。そして人を育てる原点は家庭教育であり、宗教教育だと、そう思っています。宗教といっても、特別にどうのこうのとこだわるものでなく、ごく普通の生活の中のそういう宗教的なもの、それが宗教教育になるのだと思う。
 だから、ぜひ私は世のお父さん、お母さんには、身近にあるものをとらえて物語作家、童話作家になったつもりで、子どもに話を聞かせてやってほしい。これほどいい先生はいないと思います、自分のうちにいるわけですから。世のお父さん、お母さんはみんな先生。米をとぎながら、菜っ葉を切りながら、みんな家庭教師。そういう細やかな家庭教育が、最近やっぱりなくなってきています。何か子どもの非行やら、大人の非行やらがしょっちゅうニュースになっておりますけれども。

藤木 殺人事件が絶えることはありませんしね。

山岸 これはぜひ、そういう家庭の根っこというか、身近なところに思いをはせて、ぜひやってもらいたい、そんな気がしてなりません。大人はみんな先生、こういうことをみんなで自覚し、意識し、みんなで唱えていければいいなということです。

藤木 これもまた、大切なご提案だと思います。

山岸 お墓参りに関連して、ちょっと思ったわけです。

五供養
仏に供養する五つの品々


藤木 最後になりますが、ご老師が日ごろ思っておられること、考えておられるようなことがあれば、お教えいただきたいのですが。

山岸 とくにそんなにはございませんが、今回お盆の行持を中心にいろいろお話をさせていただいたわけで、私なりに考えさせられながらお話をすることになりました。補足ということですけれど、お盆ということですので供養ということについて少しお話させていただければと思います。

藤木 ぜひ伺いたいですね。

山岸 これは本当に具体的な簡単なことを、頭の中を整理する意味で申し上げたいのですが、お仏壇にしても盆棚にしても、ただお参りするだけじゃなくて、やがては自分も祀られるところだということを意識していただくというか、思いをそこまで巡らせていただく。これが大事なことじゃないかなと思っております。ご先祖さまだけをお祀りするところではない、私どももやがてはそこに祀られるということ、そこのところをちゃんと押さえていただくということです。
 その上で供養ということですが、これは言葉を変えて言えば、そこに存命でおわしましますがごとくにお仕えする、これが供養ということだと思うんです。供養を丁寧な言葉でいうと、どなたもみんな「ご供養」と、こういうと思いますけれども、この「ご」を数字の「五」に置き換えて頭の中へ入れてもらう。そうすると大変分かりやすいと思うんです。なぜ数字の五に置き換えるかというと、お供えする品々が基本的に五種類あるということです。

藤木 なるほど、五つあるから五供養なんですね。

山岸 一つずつあげていきますと、まずお香、良き香りの焚き物ということです。この線香ですが、できればお正月の三が日とか春、秋のお彼岸、あるいはお盆とか、その仏さんのご命日とか、そういうときには、もしも許せるならば普段の、毎朝使うお線香とは違った、いいお香を焚いていただく、これはやっぱり私は大事なことだと思うんです。
 日ごろの晩酌では、やれ焼酎だ何だといっていても、時にはうまい酒を飲みたい、大吟醸のおいしいやつをということもあるように、お盆のときなどには仏さんにもいいお線香をあげたいということ。いいお線香というのは自然香木を材料にして作った、お値段も高うなりますけれども、それはそれとして許せる範囲で、上等のお香をせめて正月やお盆やお彼岸やご命日には、いいものを使っていただきたい。これはお香に関して余計事ですけれども。 
 お香の次、二番目はお花です。花を飾って仏位を荘厳する。三番目は燈燭、お明かり。併せて、仏の知恵の光ですね。私たち日ごろの暮らしでも、暗いところはじめじめして嫌です。やっぱり明るくきれいな、感じのいい所がいい。お仏壇もお明かりをつけて、そして仏様の生前のお人柄をそこに現していただく。
 四番目、浄水、お水ですね。菜っ葉も大根も、庭木も山の木も、鳥も魚も動物も虫けらも、無論人間も、ありとあらゆる命あるものは水がないというと生きていけません。そこで四番目に、きれいなお水を仏に供養する。五番目は飲食物、食べ物。ご飯を筆頭にして、お菓子、果物、いろいろある、飲み物の代表はお茶です。
 こういう香、花、燈燭、浄水、飲食という五種類の品々をお供えして、存命でそこにおわしましますがごとくにお仕えする、これが供養ということだと思っています。



夢多き死後の世界へ向け生前から手掛ける

山岸 なお、ご参考までに申しておきますと、この五つの中で香と花とお茶、この三つは日本文化の発展していく中で香道、華道、茶道としてそれぞれ成立してきました。つまり仏に供養するところから、香道も華道も茶道も生まれてきたという、案外この原点を押さえている人は少ないのではないでしょうか。そのことをついでに、皆さんにご認識いただければと思います。
 あとは、やがて行く彼岸の世界です。夢多き死後の世界ということ、死後はやっぱり夢を持ってもらいたいと思う。夢多き死後の世界、夢多き理想の世界、これを彼岸といいますが、この彼岸に向かっていくには、やはり生前から手掛けていかなければならないと思います。いきなりというわけにはいかないので、やっぱり生前から彼岸に向かって手掛けていく、これが宗教です。
 宗教とは、自分で自分を真っすぐにする、そういう教えでございます。自分で自分を真っすぐにする教え、これこそが坐禅といえましょう。坐禅という仏行が自分を真っすぐにしてくれる。足を組み、手を組み、背骨を真っすぐに、身を整え、吸って吐いての一息、一息を丁寧に座禅する。どうぞお仏壇の前で背骨を伸ばしてお線香を上げ、鐘を鳴らし、チーンと鐘の音が鳴り止むまでせめて合掌し、朝のお参りを心掛けていただく。これができれば大変いいと思います。
 これは例の宮崎奕保禅師さんがしょっちゅう、口を酸っぱくして言っておられたことですけれども、せめて鐘の音が鳴り止むまで背筋を伸ばして、朝のわが家のお仏壇のお参りをする。そういうことを皆さんにしていただけたらありがたいと思って、そんなことを少しお盆の補足にしておきます。

藤木 ありがとうございました。

山岸 「迎え来たる盆会共に相喜び 万億の精霊法檀に坐す 飲食供え施す甘露水 光明浄化全般を照らす」ここのところは、私は仏の命が燃える、そういうお盆だと、それが言いたかったわけです。

藤木 これまでのお話のような形でお盆を説明された方はあまりいないのではないでしょうか。お盆というのは毎年やってきているだけに行事化されてしまって、その意味を問うということが薄れてきているような気がします。それだけに、今日はとてもいいお話をうかがうことができたと思っています。全国のお寺さんが読まれるので、皆さん、おやっと思われるのではないでしょうか。

山岸 そういうことなので、私も正直言って、うかつなことも言えないしと。お盆とは、というのは大変当り前のような質問ですけれども、よく考えてみたら当り前どころじゃない、とても考えがいのある課題になりました。

藤木 本当にいい意義づけをしていただいたと思います。ありがとうございます。



(写真撮影 生沼宏元)