山陰の辺地から願うこと
島根県 松源寺住職 佐瀬道淳
ハガキアンケートに対する意見を求められたが、なかなか筆が執れない。虚しい思いや複雑な思いで逡巡するばかりである。
八千カ寺へのアンケートの返信が、たったの二五〇通であったという事が、すべてを物語っているように思える。二五〇通でも回答が寄せられたことは、まだ脈があるということなのか、やはり無関心が多いと見るべきか意見は分かれよう。
アンケートに目を通すと、中には極論もあるが、宗門の抱える問題点がほとんど拾い上げられているように思われると同時に、よくぞこれまで、こうした問題が放置されてきたものだと、あらためて呆れるばかりである。
宗議会が正常に機能してこなかった。議員も口を閉ざされてきたことは、余りにも不甲斐ない。北朝鮮の体制にも劣る。一方、一般寺院の無関心にも大いに責任はある。このたびの多々良問題に端を発した一連の不祥事も、起こるべくして起こったものといえよう。
今度の騒ぎで、宗議会もまだ本気さが十分でないこと、それよりも問題だと思うことは、一般寺院の無反応、無関心、無気力にあると、あらためて認識させられた。
宗門なんて狭い世界のことである。様々なしがらみに縛られ、左右の顔を見ながらしかものも言えない。せっかく言っても、何一つ取り上げられない。動かない宗門が骨身に染みこんでおり、その上、余計なことを言って睨まれるより黙っているのが利口である。人のことより自己の今日の行履こそ大切ではないか等々、もの言えぬ、いや、もの言わない閉塞感の風潮が蔓延した宗門になってしまった。
だから黙っていようと私も思う。しかし、もうどうにもならないからと投げ出してしまうわけにもいかない。誰かが何とかやってくれるだろうと手をこまねいてもいられない。ましてや、宗門に愛想尽かしをして単立にも踏み切れない。だとしたら、宗門の明日を信じて微力でも尽くしたいと思うのである。
宗門の改革は今をおいてはない。このたびの騒ぎを一過性の騒ぎとして風化させてしまってはならない。そう言いながらも、また、一番稔りのない馬鹿げたことにのめり込んでいないかと尻込みしたくなる。しかし、もう失うものは何もない歳にもなっているのだからと、勇気を挙して筆を持ち直している。請い願わくば、思いを同じくされる方がおりましたら、声をかけてください。一人でも多くの方々と力を合わせ、知恵を出し合って、根気強くものを言い続けていきたいと願っています。
アンケートの回答を見ると、もちろん、まだ欠落しているものはたくさんあるが、今度の問題に絡んだものは大方出ている。それで思ったことだが、これを誰がどう処理し解決していくかである。言うまでもなく、これこそが宗議会の緊急に審議し解決してもらわなくてはならない課題であろうけれども、とても多くは望めそうもない。
しからば、何か第三者機関、例えば宗議、所長会、宗門護持会、同寺族会、同婦人会、全曹青、学識経験者などの代表二十人くらいで「明日の宗門を考える会」のような会を作って、問題点を整理し、順位を立て、さらに二年以内とか三年以内という期限を設けて、州議会に要望し建議していく。
もちろん、このメンバーをどのような構成にするのか、この会の建議と宗議会との整合性はどうするのか、難しい問題はある。いたずらに屋上屋を重ねて、余計にややこしくしてはならないが、さりとて宗議会だけに委ねていてもことが運ぶとはとても考えられない。
もう一つ考えられるのは、国会でやっている公聴会のようなものを開いて、何人かの外部の人(議員以外の人)の意見に耳を傾ける。または、NHKの徹底討論のようなものをやって、問題を絞って、ある程度時間をかけて徹底的に討論する場を設けるなどである。さしあたって、管区集会などは、こうした場にすべきではなかろうか。
宗門は閉塞社会であるという。それにさらに私は、男社会、僧侶優越社会、衆議優位社会であると思う。「ものを言いたければ宗議に出てきて言え」と言った人もいる。不遜この上ない。宗侶に対してもそうであるのだから、ましてや、護持会や寺族会からの声など、聞き置く程度でまったく問題にされていないように思う。私が間違っているだろうか。
アンケートで、たくさんの問題提起がなされている。同じことでも少しずつニュアンスが違う意見もある。当然である。百人いれば百人の意見がある。意見は異見である。だからお互い討議しながら意見集約をしていかなくてはならない。急ぐものから一つ一つ意見集約していき、それを反映して頂くべく強く根気よく議会に要望していく。何もかもごっちゃに出せば、無意味な混乱や収拾がつかなくなることは火を見るよりも明らかである。
緊急な問題はこの秋の宗議選である。先般の臨宗で一日空転している暇があったのなら、なぜ、せめて悪評の永平寺系・總持寺系だけでもやめて、有道会議員、總和会議員とあらためられなかったのだろうか。せめて、五期以上はやめて頂けないものだろうか。多選は弊害が多い。まして古い方々には、今度の一連の不祥事になにがしかの責任は免れないと思うからであり、またぞろ同じ顔ぶれが出てきて、会派中心の宗議会になってもらっては困るからである。お金がかかっても、今一度臨宗を開いてても、先の二点くらいは改変して、選挙に臨んで頂きたい。
一般社会は数段先を進んでいる。女性議員もいれば、議席を持たない大臣もいる。一般社会に通用しない遅れた男社会では、教化も何もあったものではないし、まして、人権・平和・環境の本気さも伝わってこない。激変している社会が見えないでしょうか。選出された若い議員さん達は、もう永平寺系・總持寺系などと言っている時代ではありません。曹洞宗をどう立て直すのか、何ものも恐れないで、どしどし発言してほしい。両会派を通じて、五人十人と同志を募って活動してください。
両祖の意に沿った、質朴で真っ直ぐな一本の真柱を打ち建ててください。