「死者」と「あの世」考
―宗教感覚の重層性について―

  駒澤大学名誉教授・文学博士 佐々木 宏幹


 最近、とくに若者世代がまるで要らなくなった物を毀して捨て去るように人の生命を奪う風潮がめだつ。なかには自分の犯した殺人行為について全く反省の心をもたない者がいるというから驚きである。
 悲劇的な死をとげた人の通夜や葬儀に参列した人々の悔やみの言葉に多いのは、「某々さんは苦しく辛い最後であったが、どうか「天国」へ行って安らかに眠ってほしい」である。「眠ってほしい」の代わりに「私たちを見守ってほしい」と表現する人もいる。
 実に多くの人々が口にするようになった「死者」は「天国」へ行くという考え方は、いったいいつ頃から人々によって抱かれだしたのであろうか。
 僧侶のなかにも最近のこの現象を訝しく思っている方は少なくないようだ。
 なにほどか仏教、ことに日本仏教を学んだ人であるなら、死者は「天国へ行く」とは語らないだろう。代わりに「仏国土」、「仏界」、「彼岸」、「浄土」などと表現するか、より分かりやすく「あの世」と述べるのではなかろうか。
 多くの人たちが「天国」を平気で口にするようになったのは、日本人の「あの世」観がここにきて混乱をきたしていると見るか、キリスト教式の結婚式が全国的に急増していることとつながっていると捉えるか、いずれにしても仏教者にとって見逃しえない現象ではある。
 また最近気になることは、殺人事件を犯した犯人が死刑ではなく無期懲役あるいは懲役十何年とか課された際に、被害者の親族が発する言葉である。
 大部分の人は「こんな軽い刑では、あの子は〈浮かばれない〉」とか、「死刑以上の刑に処して欲しかった」などと表白する。
 自分の妻や子が理不尽に生命を奪われたのだから、被害者の加害者に対する悲しみと怒りと憎しみは十分すぎるほど分かるのだが、他方、被害者が一様に「目には目を、歯には歯を」的な因果応報の思いを抱き続けることを、仏教者はいかに判断すべきか。
 殺人事件が絶えない今日の社会にどう対処すべきかという問題とともに、現代の仏教者・僧侶にとって避けて通れぬ課題の一つではあるまいか。

仏という意味づけの多様性

 さきに「日本人の『あの世』観がここにきて混乱をきたしているのではないか」と述べたが、混乱をきたしているのは「あの世」観だけではなく、「死者」観についても言えるのではないか。「死者」観と「あの世」観は密に連動し、重なり合っているからである。
 それは、「死者」と死者が往くべき「あの世」についての人々(社会)の伝統的なイメージが多様化し、弱体化しているのではないかということである。はたしてそう言えるのか。この問題について若干の私見を述べてみたい。
 現在でも葬儀の約九四%が仏式で行われているように、日本仏教の最大の特色が「死者」をあの世に送り安定させる営為にあったことは、周知のとおりである。
 仏教の根本理念が「生者」の「成仏」を期すことにあることは、これまた言うをまたないが、仏教が日本に伝播・定着する過程において、多くの日本人が仏教に求めたものは「生者」の成仏にも増して「死者」の成仏であった。
 したがって日本人民衆の視点に立てば、仏教が「死者の成仏」を目的とする葬儀の執行を一手に引き受けることによって、仏教は初めて民衆化しえたということになるのである(圭室諦成『葬式仏教』大法輪閣)。
 仏教の理念が「無我」を説き、「世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る」(中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ』岩波書店)ことにあるとすれば、仏教者が「か(あ)の世」に、しかも主たる営為として関わるなどとんでもないということになろう。
 これに対して日本人民衆は、「あの世」にすこぶるこだわった。「あの世」は「死者」が赴いて住し、「この世」との往還を繰り返すうちにやがて「先祖」となり「神」となる聖なる空間であったからだ(柳田国男『先祖の話』筑摩書房)。
 さらにこの国においては、「仏」と「死者→先祖」とは結び合い、重なり合って、独特の崇拝対象「ほとけ」さまを生みだした。
 だから近代合理主義的に詮索すれば、先祖崇拝を骨子とする日本仏教の現実形態には、さまざまな矛盾や齟齬が見いだせるのも当然と言えよう。
 たとえば「死者」は「仏弟子」であり「仏」であるとともに「先祖」でもある。「仏」は現世を超越した存在であるが、「先祖」は一族・一家の守護神的な存在でもある。
 「あの世」はどうか。それは「仏国土・浄土」であり、「墓(地)」であり、「仏壇」であり、さらに寺の「位牌堂」でもある。
 学者やエリート僧にとって「仏」は仏陀釈尊に決まっている訳だが、多くの仏教徒にとっては「仏」は「死者」であり「先祖」でもある。こうした「仏の意味づけの多様性」は、「あの世」についても例外なく見られる。
 北陸の浄土真宗に詳しい作家の青木新門氏によると、門徒の「あの世」観も一定していないという。
 氏はこう述べる。「浄土真宗の葬式でも〈み仏に抱かれて〉とみんなで送り出していながら、その後で弔辞を読み上げる人が、〈霊よ、安らかなれ〉と言ったり、喪主は〈父も草葉の陰でさぞ喜んでいるでしょう〉と言ったりしている。……会葬者も、遺体に合掌したり、遺影や祭壇や火葬場の煙突の煙にまで合掌したりしている。ところが肝心の御本尊にはあまり手を合わせていない」(『納棺夫日記』文藝春秋)。
 阿弥陀一仏への強い信仰で知られる真宗においても、現場では「死者」は来迎の阿弥陀仏により遙かなる浄土に誘われるという観念と「霊」となって「草葉の陰」に住むという感覚とが一緒くたに共有されていることが分かる。
 教義上の理念と民俗的伝承が重なり合って葬儀を成り立たせているのである。
 以上のような観念・感覚に、浄土系の学者たちが説く、浄土はどこか遠くにあるのではなく、信仰者の「心」のなかにこそあるという解釈を加えると、事態はいよいよ複雑になる。

 日本人の優れてダイナミックな宗教観

 いま、日本人の「死者」と「あの世」の観念や感覚が「複雑」であると述べたが、そのように見るのは学者やエリート僧の「知的分析」の結果なのであり、多くの人々にとってこの複雑さは、実はごく自然な事態であるのではないか。
 精神病理学者の渡辺哲夫氏は、浄土系・時宗の篤信者の家に生まれ育った。氏の祖父は毎日欠かすことなく仏壇に手を合わせ、先祖の墓にたいする心配りも十分という人であった。氏は祖父が口にする「十万億土の先祖」という言葉を耳にしながら成長し、物心つく頃には「死者=先祖」は途方もなく遠い「あの世」にいると思うにいたっていた。
 ところがお盆には「死者=先祖」は、菩提寺にある墓から迎えた。七月十三日夕べに墓前で火を灯し、これを家の祭壇上の燈火台に移すことが重要な仕事であった。
 氏は燈火台の火を「ご先祖」そのものと信じて疑わなかった。
 では、「先祖」を「墓」で迎えるとすれば、祖父の口にする遙かなる「十万億土」はどう説明されるのか。
 この点について渡辺氏は次のように解説する。「自分は祖父の姿に『あの世』観の二重性を見るのである。つまり祖父にとって、先祖は十万億土の彼方にもいるし菩提寺(墓)にもいるのである。……祖父と同世代の人々にとって『あの世』に関するこの二重の信仰は決して特別なものではなかった。土着的とも言うべき信仰と仏教的信仰は対立することなく自然に融合していた」(「お盆の思い出」、『死と狂気?死者の発見?』筑摩書房・所収)。
 渡辺氏は、祖父の「あの世」観が二重になっていたことを指摘しているが、多くの日本人にとって「あの世」は場合によっては三重にも四重にもイメージされる重層的な空間(場)であった。
 「死者」の重層的な性格についてはすでに述べたが、この点についても少し突っ込んでみよう。死者の意味づけについてである。
 「死者」は言うまでもなく「死んだ人」を意味し、「生者」=「生きている人」の対義語である。そして死者は「あの世」におり、生者は「この世」に生きていると対義的に捉えられている。
 それでは生者と死者は等質的で同じ条件であり(存在し)えているかとなると、そうではない。「死んだ人」が問題になるのは「生きている人」があってこそだからである。
 「死者」をどう意味づけ、どう扱うかは、「生者」側の手にある。
 このように述べると「死者」は「生者」の意思によりいかようにも扱われうるように思われるかもしれないし、実際にそのような事例も少なくない。「死者に鞭うつ」という諺があるではないか。
 しかし人間史を見ると「死者」と「生者」の間に何らかの互恵関係が認められない社会はない。この互恵関係が制度化された形が「死者?先祖信仰(崇拝)」である。
 「生者」が「死者」を慕い拝む形の出現こそ文化の発生と見る学説もある。
 そして、「死者」は「姿(肉体)なき人」であるため、この「姿なき人」を認知・感覚するために用いられてきた用語が「死霊」、「祖霊」であり、「霊魂」である。
 「霊」は一般に「肉体に宿り、また肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい。たま」(『広辞苑』)とされる。
 この定義は「アニミズム」説に基づいているが、その意義に関しては賛否両論ある。
 「死者」を右の定義のように捉えることは、仏教の「無我説」や近代合理主義の視点から受け入れ難いとする人々は多い。
 ところが一方、葬儀や追善、盆、彼岸行事などに際しては「霊(魂)」の語を用いる方が説きやすい、と言う人も少なくはない。
 最近では、とくに知識人においてそうだが、「死霊」よりも「死者」の語を使用する人が多くなってきた観がある。
 ある倫理学者は「死後の霊魂を認めようが、認めまいが、そのこととは関わりなく、事実として我々は、死者に配慮し、死者たちとの関係を生きている。死者の慰霊は、さまざまな形の死者たちとの関係の内、とりわけ目につきやすい一例であるにすぎない」(菅野覚明「靖国神社で、天皇主宰の慰霊祭を」、『諸君!』文藝春秋、二〇〇五、一月号)と述べている。
 生者は霊魂の存在の有無に関わらず「死者との関係」を断つ訳にはいかないという主張には、説得力がある。
 なぜなら、「霊魂の有無に関わらない死者との関係」という言い方は、生者の状況によっては「霊魂の有」に傾くことを許容しているからだ。
 ノンフィクション作家・評論家の保坂正康氏は、大方の知識人同様に宗教に無関心であった。ところが氏が五十二歳のとき二十二歳の息子を喪った際に、宗教に目ざめたという。
 保坂夫妻は「息子は私たちの胸に生きつづけているのであり、どこか別なところで魂を休めているのだと諒解しあい、とにかく息子の霊を慰めて生きつづけるのが二人の役目だとも確認することになった」(「私の信仰と覚悟」、『寺門興隆』興山舎、二〇〇六、四月号)と記す。
 ここでは、「生者の胸(心)のうちに生きている死者」と「別なところ(あの世)で休んでいる死霊」とが重なって感得されている。死者との関係は重視するが、死者の霊魂は認めないなどという理窟は、ここでは通らない。
 総じて日本人の死者観と来世観は多様にして重層的である。したがってこれを特定の教義や理念に合わせて「あれか/これか」式に割りきろうとすると、宗教観念の混乱に拍車をかけることになろう。
 これは何も霊感商法的な営為がよいなどと言おうとしているのではない。
 そうではなくて、日本人のすぐれてダイナミックな宗教観(感)を踏まえてこそ、葬祭は意味をもち、仏教的理念への強いオリエンテーションになるのではないかと考えているのである。
 冒頭で日本人の「あの世」観と「死者」観が混乱し、弱体化しているのではないかと述べた。それはもしかすると、かえって日本人の宗教的ダイナミズムの強さを示している事実なのかもしれない。