分かっていながら止められない改革

NPO法人 保育・子育てアドバイザー協会副理事長 米野宗禎


 週刊文春の記事を読み、やはりそうか、との印象を持った。仏飯を食んで育った者として、体感したこともあるからだ。二十五年前に、東京別院に安居し、その体験記を「永平寺グラフ」の依頼で書いた内容がチョビット批判的であったからボツになった。また、大竹明彦宗務総長時代、宗務庁の出版局改革を提言し、委員会に出席した。
 出版物の質量ともに現代社会に生きる人にひびく内容の布教活動を、株式会社を興し展開してはどうかと提言したつもり。握り潰されたと考えている。有り体に言えば、役所より官僚化した組織、封建制度に胡座をかく集団を垣間見せられたと僻みつつ思ったものだ。
 戦後、日本は教育爆発時代を迎え、風に乗って学校が雨後の竹の子のように誕生した。今は成熟期に入り、少子化もあって学校は生き残りのための改革に懸命である。乗り気れない学校は、買い主を探すことになり、買い手に創価学会系学校があるとも言われている。「多々良学園」の例も一つだが、理事会、組合、保護者等、金とポストの私物化による学園紛争は日常化している。こうした学園の理事はじめ幹部は、収支の左右の数字と、建学の理念と現実、未来が読めないのである。
 残るのは傲慢と独善、金欲が闊歩する図である。しかし、大学から幼稚園まで学園によっては経理を公開し、第三者による評価チェック機能がシステム化され、当たり前のこととして実をあげている学園も多いはずだ。一方、私立学校は法に基づき理事会が運営するわけであるが、理事会を行わず議事録を作成している体質は今始まったことではない。
 曹洞宗系の学校にしても、坊さんや公私立問わず社会的に狭い視野の教師あがりが理念を唱えることはできるにしても、学校経営の中心的役割を担う力量はないと考える。私は昭和三十四、五年に神田寺の友松圓諦老師に仕えたことがある。主管、自ら「法句経」の講義は日曜日ごとに地域の人たちを集めて会堂で行っておられた。また、一流の文化人、経済人による講座も定期的に開かれ、必ず法事、葬式でなくてもお経を参加者全員で読む習わしであった。
 衆なくして僧侶はないのは当然のこと。多々良学園の問題は宗門一人一人の問題である。今、「国家の品格」「美しい国へ」といった本がベストセラーになっている。ウラを返せば、いかに日本の国が汚れきって、下品な日本人になっているか物語っている。宗門人は寺から出て都会の中に、例えば永田町、銀座に、坐禅堂を造り、共に坐る場をポストの数ほどに実践展開してはどうだろうか。月並みに言えば死んだ人より生きている人に法を説くことが、今、求められていると思う。
 今年五月に他界された高瀬広居著「仏音」(朝日文庫)のまえがきで「残念ながら現在の日本には『心の不良債権』を胸に漂泊(さすら)う私たちに救法(ぐほう)を説いてくれる僧侶は絶無にひとしい」と記しておられる、から。
 宗祖道元禅師は「改革なくして宗門なし」と草場の陰で願っているに違いない。自分を棚に上げて記したことに忸怩たる思いをしながら。