多々良学園問題から―
佐賀県久善院 高閑者廣憲
天災・人災
九州を直撃した今回の台風は一生忘れることの出来ないものとなった。
吹き飛ばされた雨戸とガラス戸の本堂で、妻と私は必死の奮闘となった。
辛うじて、残ったガラス戸の"吹き飛ばし"を防ぐことが出来たが、台風が過ぎ去った本堂の中は無残なものとなった。
ここ数年、佐賀県寺院の天災による被害は風によるものであった。「風と人」はよく似ている"どういう風の吹きまわしか"とは時のなりゆきのことであるが、人心のことでもある。
折しも、二十六日は佐賀県宗務所における平成十四年からの懸案事項である「十八教区割譲問題」の一端の所信が佐賀県下の宗門寺院に示された佐賀県宗務所、最後の所会となった。この日、「仏教企画通信」の藤木隆宣師による「曹洞宗時局研修会」が開催され、所長より「仏教企画通信」の原稿募集の用紙を渡されたのは研修会終了後のことであった。理由は私が「十八教区割譲問題」を宗門の重大事として深刻に考えていた一人であるからと理解している。
佐賀県としては「十八教区割譲問題」の一区切りを得て安堵の矢先であった。
しかし、「十八教区割譲問題」と「多々良学園問題」は並行して、或は点火して表面化した感があり、宗門にとっては「十八教区問題」も「多々良学園問題」も曹洞宗という本木の同根であり並根であり病根である。私は藤木師の原稿依頼に際し、「仏教企画通信」1〜5号の掲載記事、と佐賀県選出、宗議会員の「第100回 臨時宗議会」における報告書等において議員個人の所見と共に此の問題について一宗門人として考える機会を得た。全て、とまで言わなくとも、宗門改革の必要性は諸提案と共に有り、共感するところは多くの宗門人と同じ認識と考えます。問題は改革の主体(担い手)とビジョンに対する手順が政治的にどのような煮詰まりを得るのかという事ではないかと考えます。
二月議会の議員発議「多々良学園問題調査委員会」の「報告書」開示、不開示選択はどちらがより真の改革となり得るのかの判断についてです。大切なことは先ず宗門の理念や改革の理念よりも「政治の手法」が優先するならば従来の「組織体質」改善は望めないということです。
佐賀県選出、宗議員の意見は「報告書」開示を主張する意見の総意であった。(下記@A)。このことに対する内局の対応として、顧問弁護士の見解が人事部長を通じて「4事項」を表明されている。訴訟という司法上のごく常識的次元の事として4項を割愛する。
@「これまでの宗務庁行政の対応を降り返ってみますと職位者個人の責任を明確にするのではなく、集団責任にし、責任逃れになっている。
今回の不祥事も、早くから事態を見抜けなかった議会の責任も重大である。職位者個人の責任を明確にすることが先ず必要である」。
内局より「報告書」開示の結果責任を問われた議員側がその事に対して(内局の恫喝)と受け止めたとするならば、今現に「職位者個人の責任」云々を問題にしようとする議員側自身の立場など無いのと同様である。又、内局は「報告書」不開示に対する其の職位者としての責任を明言している。しかし、議員側の「報告書」開示の意思を満たすことが内局の職位者としての責任ではないことを明確にしなければならない。
A「『内局が全て責任をもちます』と言われたことを記憶しています。ということは、同時に開示するべき次期・場所を逸しない様十分な配慮を払う責務もあると考えますし、職位者の権利でもあるわけです」。
「報告書」開示を主張する議員側はここでも自らの「職位者としての責任」を回避したうえで且、「報告書」開示という政治的な手法の行為の時間的な猶予の妥協として捉えているとしか思えない。「報告書」開示に伴う宗門の不利益については内局の「職位者としての責任」に転嫁しようとする意図が露骨であり、此の問題の深刻さは「仏教企画通信」の記事からも「報告書」の存在自体が宗門の末期症状として紹介されている。その自らの末期症状を高らかと世間に公表することが今の宗門の改革であろうか! 我が宗門の実態を晒すことの予想される混乱は、丸で、明治の革命を成し遂げた「御一新」前の「混沌」さえ思わせるところがあり、革命後待ち構えていた「廃仏毀釈」という大きな"湯で釜"を連想させられところである。「改革の理念」が「政治の手法」に凌駕されるなら、期待される「21世紀の宗門の姿」は暗澹たるものでしかない。
近年世相を反映してか「地獄」に関する書籍が店頭に並ぶ時がある。古代律令制社会の解体期にあたっていた平安末期の乱世を経て制作された地獄絵の六道絵に「子を食べる餓鬼、自分の脳を食べる餓鬼、」等、現実の醜悪悲惨を直視する非情な時代精神に接したことは少なからず有ろうかと考える。地獄絵の思想的背景として恵心僧都源信の『往生要集』は欣求浄土(ごんぐじょうど)・厭離穢土(えんりえど)という中世の浄土宗の教義によるものとされるが、21世紀の世界に中世の地獄絵を喚起されるのは私だけであろうか。
鎌倉時代に将来(宋)された「十王絵」は仏教の変遷とともに因果論に基づいた歴史的に最も新しい地獄絵とされる。宗門の根本聖典に基づく「修証儀」にも「三時業」が説かれている。
宗門の実態を晒すということの意味が「宗門僧全体」の実態として晒すことになりかねない。戦後の社会制度において魂の救済は我々の使命であったはずであり、宗教者が魂の救済ができないとなると此の国はどうなるのか?
中世的な「欣求浄土・厭離穢土」の救済も無く、因果に元づいた道徳心も持ち得ないとすると現実の醜悪悲惨の「地獄」にたいする時代精神とは何か。
明治の「廃仏」運動は既成仏教の持つ政治性の故であったが、日本人の根底に深く根ざしている仏教の文化性だけは払拭出来なかった。
つい先頃、佐賀県宗務所研修において太平洋戦争末期の「神風特攻隊」基地、知覧「特攻平和会館」を見学させて頂いた。
若き特攻兵士に宛てた、母の手紙に接する時、涙なくしてその場にいることなど出来ない。
「母は、貴方様にひとつだけお頼みがございます。敵艦に当たるときは、かならず、なむあみだぶつと称えてくだされ、この世で一緒にすごせぬならば、かならず、あみださまのところで一緒にすごすことが出来ます。かならずおとなえくだされ、お頼みもうしあげますぞ」。
余計な事であるが、私は、帰りのバスの中で思った。
(あの若き特攻兵士は自分の行くべきところが「靖国神社」か「西方浄土」か、迷うことなく飛んでいったにちがいない)。
戦後生まれの僧侶には葬儀の宗教的意義を問われて説けない人もいるという。
宗門が担うべき文化的側面の確認と点検(歴史的)構築こそが急務であろうと考えます。
今宗門が問われている「内局」職位者の責務は60年戦後体制上の疲労に生じた諸問題の原因を単なる個人責任に摩り替える事ではない。
そもそも60年戦後体制という長期間に累積した宗門の体質内に生じた「多々良学園問題」の原因究明をわずか5ヶ月の期間に報告書として公表しようとすることは職位者の軽率を免れない事であったろう。報告書作成の責任者は報告書自体の客観性を確保する為の条件をどのような形で行ったのかの説明の義務も生じている。仮に、民事告訴上の司法判断の材料として、報告書に何がしかの価値を認め得るものとしても、それ自体は宗門改革の為の一要因にすぎないと考えている。
今必要なことは、宗門の末期症状を自浄作用の働きとして、その為の痛みと苦しみを(覚悟共有)することが一番大切な事ではなかろうか。
人は「明白の事」とされる(真実)に生で向き合うことが困難である。一体誰が白昼の"太陽"を凝視できるのか! 太陽を観る為の"時と工夫"は必要であるが、宗議会が作成した「報告書」が、単なる、真実に対する「乖離の工夫」とされるならば必ずや「めいわくの事」の謗りを後世に残すことを杞憂するのである。(天災、人災)の世を生きる人間社会において天災の癒しは自然にあり、戦争は人災の最たるものである。人災は加害者と被害者が回互して癒しの為の時間は長い。癒しの為に歴史は役立つが、その歴史が人災の種となる。譬え話のことである
「先ごろ、夜道を、大きな犬をつれて散歩する男がいた。狭い歩道に突然、畑から来た一匹の猫と遭遇し、双方興奮し、男は犬の首紐を自分に引きつけ、猫が畑に逃げるのをまった。逃げようとしない猫に犬が身構えた一瞬、あろうことか猫は車道に飛び出してしまった。
車の往来する車道を右往左往する猫が無事に抜け出してくれることだけを祈った。走ってきた車は猫に気づき、急ブレーキを踏み、助かった猫は車道を抜けて走っていったが、ブレーキを踏んだ車に後続の車が衝突した。男は人災の恐ろしさを胸に刻み、犬と共に夜道を帰った」。
誰も見る事の出来ない、此の譬え話の事故の原因と責任者を誰が検証できるだろうか。男一人だけが人災を招いた原因を知り、そして、このように反省するのである。
「猫は犬に遭遇したら逃げるものであるという自分の思い込みが災いした」。
「事故は自分の思い込みが原因であると、申し出る勇気が無かった」。
私自身は自分が人災の(温床)であるという自覚と、人を許す心の強さを持ちたいと常々念じている。
佐賀には有名な「葉隠」がある。
近世初期(江戸時代)に成立したこの書の歴史的な背景は時代の変革期という点において現在に共通する点は多い。この書の魅力は、言葉(密語)に伴う(真実)事の情景描写であろう。もちろん全てが事実ではない。(真実)の見方である。
佐賀鍋島藩内に浸透する幕府権力(儒教政策)に抗する鍋島藩の仏教政策、戦国期(過去)の歴史背景これらの要素が肥前佐賀という地域に凝縮されたのである。(平成18年7月 禅の友 お寺めぐり高伝寺)参照。
「葉隠」には天災・人災に対する心の配慮が「四請願」の最後にあります。
「大慈悲心をおこして人の為に尽くすこと」
葉隠四請願
一、武士道においておくれとり申すまじき事
一、主君の御用に立つべき事
一、親に孝行仕る(つかまつる)事
一、大慈悲心をおこして人の為に尽くす事
以上