多々良高校問題について
長野県 藤本幸邦(九十七歳)
宗議会における永平寺派と總持寺派の権力争いである醜悪卑劣な選挙を否定し、野衲「宗議会無用論」を主張し、曹洞宗を教化集団たらしめるために、宗務庁総合審議会臨時委員に任命され、教化センターの設立を果たした。
而して教化センターの運営は管区宗務所長会に委任した。
かくて自ら北信越教化センターの統監になるや、管区独自の教化を進めるために、宗費とともに管区全寺院より教化費を徴収し、全国教化センター会を結成し、東北管区長が全寺院より教化費を徴収し、東北の教化は大きく前進した。
野衲はさらに全国宗務所長会の結成を促し、京都の宗務所長が賛同し、全国宗務所長会が発足されたが、宗務庁は宗制の認めるところではないと宗務所長会の意見を取り上げなかった。野衲はこれに対し、宗議会は無道心者の権力争いだと主張し、宗務庁に呼び出され、宗門の末端機関である教化センター統監が宗議会を罵ることは許されぬと詰め寄られたが、野衲の主張は事実であり宗議会の選挙争いは、宗門教化の妨げになる。
ここに辞表を持ってきたから野に下って全宗門に訴えると、宗務総長はじめ全部長と対決した。そこで宗議会は、永平寺派、總持寺派の二名連記制の宗制とし、永平寺派と總持寺派を同数とし二年交代で宗政を司ることになった。かくて醜悪卑劣な一般なら当然選挙違反になる宗会議員選挙は穏便になった。
ところが交代を四年とし、宗政を両派が馴れ合いで運営を牛耳る始末となり、両派の有力者が密室で計った結果が今回の多々良高等学校の問題を起こした原因である。この悍ましい経験を生かし、禍を転じて福とするには、宗務所長会を参議院会にし、会派の馴れ合いを戒めねばならない。宗務所長会には会派はなく両大本山一体である。地方寺院の声は教区長を通じ総て知っている。
かくて曹洞宗全寺院の要望で宗議会を戒め、宗政を正すならば、曹洞宗の永遠和平の発展が約束されるであろう。両大本山一体の宗務所長会を縦糸とし、時代即応の宗議会を横糸として曹洞宗は正法興隆の法幢を高くひるがえし、法輪転ずるところ食輪転ず、只管打坐し、仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘るるなり、心身脱落して衆生を済度する修証一等の仏道に精進するのが、曹洞宗の本来本法性である。
宗務所長会奮起せられよ。自ら立って両大本山を一体化されよ。
この自らの仏道を、現宗議会が拒むことは許せない。曹洞宗正伝の仏道を護持し永遠に伝える信念に打坐し、「花のあしたのかたほえみ、雪の夕べに肘を断ち、代々に伝うる道はしも、よそにたぐいは荒磯の波もえよせぬ高厳に、かきもつくべき法ならばこそ」曹洞宗宗務所長各位、曹洞宗の法灯を消してはならない。
宗務所長会は団結して、正伝の仏法を守る参議院になられよ。曹洞宗の大将来のために愚禿法子幸邦謹んで老婆心ながら、ここに檄するものである。願わくは江湖の諸大徳、老骨野衲の提言を恕したまへ、敬って曰す。
合掌九拝