新しい曹洞宗への模索

秋田県 満勝寺住職 佐々木正悦


  戦後の日本、戦後の曹洞宗のことは良くは解らない。しかし、現在置かれている宗門の状況は分かる。全く憂慮すべき、末期症状であることを。このまま推移せば宗門は早晩自らが壊滅状態に陥るであろう。末期症状はすでに衆目に晒されている。旧多々良学園(これからは旧をつけないと)の何十億円もの訴訟問題、どう診ても宗門が責任を取らざるをえない状況であろう。一地方の小さな金融機関が宗門のために泣かされている現状だ。本来であれば手を差し伸べるべきこそあれ、争い勝って宗門人の意地が立つというのか。遠く東北は農家の檀家さんから頂いた大切な宗費、その宗費を借金の肩代わりに納めたつもりは毛頭ないし、これからもそんな金はない。自らが問題の解明も出来ず、責任も取れない、いや取らない、こんな宗門から「ご理解いただきたい」とお願いされるけど、誰が理解を示し、協力するというのか。
 日本は、いや世界は高速情報化時代。まさしくグローバリゼーションだ。この十数年目覚ましい変革、変身を遂げ、社会、経済、文化、思考はグローバルに様変わりした。それは私達自身が肌身に感じていることである。宗門も少しは変わった。しかし、何一つ時代に適応し、将来を見据えた施策を行ってきたであろうか。あった、人権、平和、環境だ。スローガンを掲げて何年になる。余人が賞賛するほどの成果を遂げたであろうか。絵に描いた餅のようなことを言っている前に自分たちの足元はどうなのか。寺族(まだまだ曖昧、ここでは住職の家族としておこう)には人権があるのか。宗門の選挙権は無い。住職が亡くなれば、なんの保障も無く、長年暮らした寺院から出なければならない悲惨な状況は稀なのではない。相当数あるのです。どこの平和の話をしているんだろう。寺族の環境は劣悪なのである。今や寺族の協力無くして寺院の運営が成り立たないことは論を待たない。その宗門を支えている寺族に公の場で何の発言権もないということは時代遅れも甚だしい。世間の人に聞かれたら「遅れてるう」と失笑を買うだけだ。
 出家主義を標榜しながらも現実は在家教団より失態と矛盾を孕んだ生き方を私達はしてはいないだろうか。あくまでも出家教団というのなら、両祖の道に帰ろう。平成の復古運動でも起こしましょう。はたまた現実の寺院形態を見据えた在家教団に方向を変えるのか。それなら、寺族、檀信徒も加えた枠組みの曹洞宗を造りましょう。それとも第三の道はあるのか。加えて人口の減少、信仰の多様化、寺檀関係の欠落、もはや宗門自爆の時間は迫っている。このままではいけない。宗門防衛隊はいないのか。宗門を救う戦略はないのか。再生曹洞宗を二十一世紀の時代に叶った新しい曹洞宗を創造してくれる賢人はいないのか。
 あの軟らかい豆腐が四角にきれいに出来るのは木枠がしっかりしているからにほかならない。新しい時代に叶った新しい曹洞宗を創造するためには、まず、宗門の諸悪の根源である朽腐(制度疲労)した現選挙法(系別、連記、同数)を徹底的に見直し、新たな選挙法を確立することである。その託せる人(代表人)を誰がどのようにして選ぶか、選挙の枠組みである。選挙の仕方、選出方法である。現在の選挙区割りでいいのか、現在の議員数でいいのか、被有権者が住職だけでいいのか。寺族の存在はどうするのか。選挙権を与えるのか与えないのか。
 檀信徒(責任役員)の存在は。などなどさまざまな意見がでてくるであろう。大いに出し合おう。そして何よりも政策(マニフェスト)をしっかり持った政策集団が宗門の信望に答え、責任を取る集団が新しい宗門を牽引していかねばならない。 もはや、總持寺系だ永平寺系だの本山を楯にして、總和会、有道会など言い争っている場合ではない。言い争っていると思えば同数、連立内局、上では手を結んでいる。どうなってるんだ? この矛盾と曖昧とをない交ぜにし、身動き取れない状態が今の宗門の末期症状だろう。さあ、みんなどうする。そろそろ動こうじゃないか。動かないと新しい風は起きない。明治維新を成し遂げたのは名もない若い下級武士であった。宗門の平成維新だってやれば出来る。難しいことはない。新しい曹洞宗を再生するという純な情熱さえあればいいのだ。「一人ではなにも出来ない。しかし誰か一人がやらなかったら何も出来ない」
 さあ、みんな声をだしてくれ。新しいものを造る勇気を下さい。