【曹洞宗改革フォーラム】 わたしの提言

 平成十九年二月二十六日、東京グランドホテルの一室に、曹洞宗改革の熱意に燃え る面々六人が集った。(有)仏教企画が主催する意見交換の場「曹洞宗改革フォーラ ム」の記念すべき第一回の集会でもあった。
 全国各地から集った出席者は、曹洞宗改革の具体的な方法論を、それぞれ「わたし の提言」として発表、その後、二日間にわたって討議が行われた。今回は出席者全員 の提言を集約するまでには至らなかったが、お互いの問題意識を深め合うことができ た。
 ここでは、出席者六名の提言を要約して紹介する。 (六人の発言をそのまま収録したDVDもあるので、研修会などで役立てていただき たい)


宗務庁をスリム化し宗務所に分権する
宮城県 洞源院 小野崎秀通

 宗門改革の提言をということで、東北地域のご寺院さんから出されているご意見をまとめる形で出てまいりました。一つには選挙制度の改革ということで、今までの選挙制度のあり方では野党のない政治、政策批判のない政治、なれ合いの政治そのもので、改革がまったく生まれてこなかった。系列を廃止し、定数を今の七十二から半分近くにしてもやれるのではないかと思う。議員は両大本山のご護持者であり、宗門の奉仕者として、菩薩行に徹するのだということを自覚して宗政に取り組むのが、宗門の議員ではないかと考えている。
 私の持論としては、宗務所の管内から一人議員を選び、月一度代議員会を開催する。そして宗門の専門のことを詰めていく際には、専門委員会とか審議委員会、あるいは特別委員会などのさまざまな会を持ち合わせて、専門の方々、知識者にその依頼をしていくという形がいいのではないかと思う。
 それから、もう少し宗務所への分権があってはいいのではないか。事務取り扱いの中で、何も本庁まで事務処理をお願いしなくても、宗務所への届け出で済むものが大変多くあるように思う。今は、パソコンネットというようなものがあるから、お互いにネットによって確認をし、事務のやりとりをしていくようなことも、専門職の人を入れてやっていただきたい。
 また、現場に合った布教・教化活動ができ、宗務所管内の檀信徒に信仰確立ができる体制を取っていくべきではないか。今までの管区集会というのは、本来であれば信仰集会でなければならないわけだが、見る限りはそうなっていない。宗務所に布教費を厚くするような方向に持っていくべきではないか。
 そう考えていくと、宗務庁の機構そのものをスリム化していくことになる。今、本庁では役職、職員、百名という枠の中で働いているそうだが、それに加えて全国に、五十八宗務所あって、各宗務所に約十人前後という人たちがいる。その宗務所にできるだけ分権をしていくという施策をするべきではないか。宗務所への予算を今まで以上に増やす。本庁の五十数億という予算をスリム化して地方に厚くしていく。宗務所単位の活動であれば、曹洞宗がこれから現場中心に生き生きとした活動をしていける。今、宗門の徒弟が働く場所がないという問題についても、宗務所というようなところを中心に雇用していく施策も取っていけるのではないか。
 事務の処理については、コンピューターの専門技術者を入れて合理化をしていくという点だが、布教・教化ということについては、時代に即応した布教がなされていないのが現実だ。現代社会は激変している。社会に対応する布教・教化ができなければ時代錯誤の布教になる。今は対象者相手の布教になっていないという現実がある。インターネットによる布教ができる人材を確保するとか、そういう施策もぜひ進めてほしい。全国の寺院情報などもインターネットを開いてみれば、情報を得ることができてお互いに勉強ができる、さらにお互いに情報発信ができる、そういうようなことを、ぜひ、これからしていくべきではなかろうか。今の新宗教はメディア布教によって、大変に目覚ましい大衆教化をしている。われわれはそうした点も反省しながら、新しいメディアによる布教を考えていかなければならないと思う。

有道会、總和会のほかに第三会派をつくってはどうか
青森県 雲祥寺 一戸彰晃

 曹洞宗の選挙制度改革ということで提言を申し上げたい。さまざまな問題があるが、現在の曹洞宗が持っている機能を本来の機能に戻すこと。それによって曹洞宗はより活発な宗教団体となっていけると思う。それにはまず、宗議会を本来の機能である議論ができる場に戻すということが急務だ。今の二大会派制度では、それが難しい状態になっているので、大なたを振るって選挙制度改革を行っていかなければならないのではないか。
 それで私の提言だが、有道会、總和会に次ぐ第三会派というものを提言したい。現在、各会派枠が三十六名あるわけだが、それを三十一名とし、そして五掛ける二で、十名の議員枠を新たに捻出して、それを第三会派の枠に当てる。それを各管区一名、合計九名に配分する。そして残りの一つを、例えば、両大本山推薦枠とか、あるいは護持会枠とか、尼僧枠とか、寺族枠とかでもよろしいかと思いますね。そういうふうなところに配分をする。そういうふうに既存の会派とは一線を画した形で第三会派をつくると議会が活性化するのではないか。さまざまな意見がその議会の中で取り交わされて、その中でいいものが生まれてくるのではないか。昔から三人寄れば文殊の知恵と言って、要素が三つになると議論は活発になる。そういうふうな形の曹洞宗の選挙制度改革、機構改革が行われたらいいと思う。
 しかし、考えてみると、私どもがこういうふうな提言をいくらしても、曹洞宗の機構を改革するのはじつは宗議会議員であり宗議会だ。私どもが行う提言を実現するためには、宗議会の中で現在の議員の方々が、どれだけ現場の声を拾い、そしてそれを議会に反映させていくことができるかにかかっていると言っても過言ではない。
 それについて、私の次の提言だが、これは全国的に行われているところもあれば、行われていないところもあるかと思うんですが、宗政報告会というふうな会がある。これはそれぞれの地区の宗会議員さんが、地区の方々に宗政の現状を報告する会です。私の所属しております地区では、現在、宗政報告は行われておりません。そうなると、現場の寺院の声が宗政に反映されないわけで、議員さんと現場の寺院さんが見ている目線が異なっていく。果ては文法が違ってしまう。そういうふうな齟齬が起きると、やはりよろしくない。よって現在ある宗政報告会のようなものを、さらにもっと充実したものにしていく必要がある。
 宗議会が行われる前には、議員は多くの寺院さん方から意見を頂くということでしょうね。そして宗議会が閉会した後に行われる報告会では、そのことについて宗議会、宗議員の方が現場のご寺院さんに説明をしていく。そういうことが綿密に行われていく必要がある。現在の機能を最大限に利用した形で改革を考えるなら、宗議会をつくっているのは議員さんたちであり、その議員さんがたが現場の寺院と密接につながっていく必要がある。そういうことで、例えば、名称として宗政検討会のようなものが行われるといい。そうなれば、全国の寺院と曹洞宗というものの距離がぐっと近づくのではないかと、そう感じております。

まず第一段階は選挙制度の改革から   
島根県 松源寺 佐瀬道淳

 長い宗門の歴史の中では、何度か大きな危機的な状況もあった。私は明治以降の宗制の歴史をざっと調べてみたんですが、明治四年に両山盟約ができた。ところが六十四世の森田悟由禅師のころにそれが破棄されて両山分離の危機に瀕した。そのとき森田悟由禅師は敢然として両山盟約を守られ宗門の体制を維持されたという歴史もある。そのごとく、曹洞宗は両山というものを持っているために、終始、宗門和平ということに試行錯誤してきたという歴史がある。
 近くはグランドホテル問題もあるし、今は多々良問題に端を発して、宗政の混乱が露呈されている。なぜこんなことが起こったんだろうかということを糾明していくと、やはり宗門の議会がまったく機能していなかったという結論に至る。従って、ここに選挙法の改正ということが大きな問題として出てきた。一方では、私ども一般寺院のそれを許して来た無関心、無気力は大いに反省しなくてはならない。もちろんほかにも改めなくてはいけない問題は山積しているが、まず選挙法の改正をして、次の選挙には新しい選挙法で議員を選出しなければ、曹洞宗の明日はないと思っている。とにかく宗門にはオンブズマンもいないし、会計検査院のようなものもないし、検察というか、司法の立場であるものがない。一応、審議院なんかありますけど、まったくそういった力は付与されていない。
 ですから、宗議会がせめて一般の社会の議会のように機能していればよいが、今の選挙法による両会派同数、連立内局制では、最近は四年の首班になったが、五、六年前までは二年の交替ということだった。だから本当になあなあのオール与党の、野党としての批判勢力のない宗政が二十五年間続いてしまった。その澱のようなものが今出てきて、その最たるものが多々良問題だと思う。
 今、多々良問題を契機にして、多くの宗門人がそのことに気付き、今の選挙法では駄目ではないかと言い始めているが、それでも上のほうは動こうとしない。去年の秋の選挙でも、私はせめて有道会、總和会という立派な名前があるんだから、總持寺系、永平寺系なんていう両本山の名前を冠することだけでもやめてください、本山名を外して新しい選挙をしてくださいと言ったんだが、それすらしないで、全く同じ選挙法で選挙がなされた。
 そして七十二名の新しい議員が生まれたわけだが、次の四年なんてすぐ目の前、あっという間に来ますから、とにかく選挙法の改正をして、被選挙者をどういう範囲にするかとか、議会そのものの運営をどうするかとか議論して、一般社会で当然行われている、現在の民主主義の世の中に合った宗門議会をつくらないといけないと思う。そのためには、今、置かれている宗門の本当の姿とか、宗門体質とか、あるいは多々良問題の因って来たった原因究明とか、そういうものの掘り下げがまだ不十分だと思う。
 どれほど一般社会と懸け離れた宗議会をやってきたか、それを反省せず恬として動かないでこんにちまで来たことが問題だ。私は口癖のように言うのですが、宗門が長年掲げてきた人権、平和、環境に対する取り組みなんかだって、私に言わせると唱え事じゃないのか。宗門に民主主義的な議会制度がどこにありますか。宗門体質の中には、差別的な要素もいっぱい含まれておる。そういうわが宗門の足元に、まず人権とか、平和とか、環境の問題を問うことが、私は大事ではないかと思っておる。
 改革をしなければならない宗門の問題は山ほどあるが、あまり一遍にそれを持ち出しても解決は難しいので、まず第一段階としては徹頭徹尾、曹洞宗の選挙制度の改正から始めなくてはいけない。これは皆さん、そう思っておられるけれども、みんなそれぞれに温度差があり、ニュアンスが違い、方向性も少しずつ違う。それは違って当然なんで、やはりそれを一生懸命にすり合わせをし集約して、いい解決法を見出していただきたいと思っている。
 私は一挙に議員数を半数にするというのは難しいから、一宗務所一議員ということを以前から考えている。一宗務所から一議員というと登録上、六十四人ぐらいになりますかね。だけども、山形やら愛知県や静岡なんか、第三宗務所、第四宗務所まであるようなところは、四人も出さなくてもいいと思う。その場合は二人にするとかして、なるべく議員は絞ったほうがいいと思うが、少なくとも一宗務所から一名ずつ出す。今の選挙法では議員が出せない、何年来、議員を出したことのない県が幾つもある。私の近くでは鳥取と岡山、その他幾つかありますが、そんなことではいけないと思う。
 そのためには永平寺系、總持寺系なんていうことをやめて、とにかくマニフェストを掲げて立候補する。そのマニフェストによって、会派も自然に生まれてくる、だから第一、第二、第三、第四、第五ぐらいまで、いろんなグループで会派をつくればいいと思う。そうすると人数は五人ぐらいでも、宗門を動かす力になる。
 本当にいろんなことがあるが、まず政治方法に絞って、次の選挙までには新しい選挙法で選挙していただきたい。そして本当に言いたいことが自由に発言できる宗議会になってもらいたい。曹洞宗の今の選挙は、一般の民主主義の世の中からは百年も遅れたような選挙をやっているわけですから、恥ずかしいことだと思います。
 とにかく一歩を踏み出す。そして歩きながら動きながら修正すべきは果敢に修正して行く、そうした柔軟な宗門になって欲しいものだと思います。

和合僧の精神を持って知恵を出し合おう
兵庫県 弘誓寺 能勢隆之

 私が思っている宗門の一番の問題は、住職がそれぞれに現場の寺院で務めていることと、宗務庁あるいは宗議会との間がつながっていない、断絶しているということだ。私たち全国の住職というものは、いろいろな問題を抱えながら、それなりにがんばってやっている。その現場の意見なり実情が上につながらないし、取り上げていただきようがない。そのことを端的に物語っているのが、このたびの多々良問題ではないかと思う。あれだけ大きな問題を起こし、そして地元の山口県では融資した人々、企業、銀行などに大きな迷惑をかけている。そしてその人たちは曹洞宗にだまされたというようなことを言っているというふうに聞いている。
 どうしてそのようなことになったのか、私たちはいろいろ意見を持つわけだが、それを持っていく場所もなければ、上につなげる方法もない。事実としてそういう事態になってしまったということは、宗議会や宗務庁が機能をまったく果たしていないという現実がある。そのことを現場の私たちは感じ取っている。しかしそれに対して、私たちは何もすることができないでいる。私たちはこの事態を放っておいていいのか。今こそ宗門を見直していくという責任を、一人一人の住職が果たすときではないか。 そこで、私たちと上層部とはどこで切れているのかと考えてみると、各住職あるいは各寺院と教区というものは、教区総会などがあって意見を出すこともできるし、つながっている。それから各教区から宗務所まではつながっている。ところが宗務所と宗議会というものはまったく断絶している。多々良問題のような大きな事件が起きても、前に議員だった人などが出てきて、意見も何もないのに信任投票のような形になっていく。ここに宗門の持っている大きな問題がある。
 宗議会に代表として出られる方々が責任を持って宗門の本当の在り方を見定めて対処してくれるのであれば、それでいい。しかし実際は多々良問題のようなものを引き起こしておきながら、その真相解明も宗政改革もできない状態に陥っている。それを考えると、宗議会の機能は完全に失われていると言わざるを得ない。それなのに現場の寺院はそれに対して何もすることができない。今はそういう状態だと思う。これはやはり、宗門の住職一人一人が、このことに責任を持って大きな改革をしなければならない。まず一番の問題は何かというと、宗議会の議員を選出する在り方、そしてそれが現場の住職につながっていく在り方です。これを何とか考えないといけない。
 そうでなければ、今の時代、檀家制度、葬式・法事と昔のままでやっている宗門はどんどん地盤沈下をして、最後には崩壊してしまう。そういう状態にありながら、何らそれに対する意見も出なければ、提言もされない。提言されてもそれが有効に働かない。これではどうしようもない。そういうところを住職一人一人がやはり責任を持たないといけない。私は宗門というのは一つの僧団、仏法僧の三宝のひとつである釈尊の僧伽であるということを強調したい。南無帰依僧ですから、和合僧であって、一人一人が集まり合うというところに僧伽が実現をする。そしてその中に民主主義に通じるものがなければならない。
 日本の民主主義というのは昔、比叡山でお互いに意見を出し合って、それをくみ上げてやっていたところから始まった。そういう基盤があったから、近代になって容易に民主主義を取り入れることができたと言われている。私たちはそうした伝統を持っていたのに、それがいつの間にか、今や一番遅れたところに立っている。現在のような宗務庁、あるいは宗議会であれば、現場の住職としては要らない。宗費は払っているが普通に住職している限り、何にも困らない。それだけでなく、多々良問題のような問題が出てくると、われわれ全体が恥をかかされて恥ずかしい思いをする。そんな宗門はごめんこうむりたいとも思う。しかし、だからといって私たちはこんな宗門は嫌だ、単立になるというようなことは許されない。私たち一人一人は、宗祖からこの宗門を担っていかなければいけないという責任を負わされている。役目を与えられている。そのことを一人一人が自覚して何とかしていかないといけない。私たちは僧伽の和合僧の精神を持って、誰が悪いとあげつらうのではなく、構造的な問題として宗門を改革していかなけばならない。宗会議員の方々もそれぞれ最初は何とかしないといけないという気持ちで出発されていると思う。それがいつの間にか、機能をしない宗務庁、宗議会になってしまっている。私は宗政については何も分からないが、僧伽の精神が集まって知恵を出し合い、それが集約されていくという伝統を宗門は持っている。今回のような集まりが小さいながらも各地に起こってきて、それが宗門にくみ上げられ、つながって行くようになってほしいと思っています。

系列、列記、同数という三原則が諸悪の根源
秋田県 満勝寺 佐々木正悦

 私は十年前から現選挙法の改正ということを訴えてきて、地方ではたびたび発言させていただいています。また「仏教企画通信」にも文章を載せていただき、少しずつですが、全国から声援を頂くようになってきた。その点、私の言ってることはそう間違いではないのではないのかなと思っております。
 当初のころは、今の選挙法がベストであって、これを変える必要はないという返答ばかりで、なかなか取り上げていただくことができなかったが、今回の多々良問題を契機として、本当にわれわれの宗門はこれでいいのかということを全国の有権者、ご寺院さま方が考え始めた。そういう機運を私は感じております。
 その中において、われわれの集団機構を根底から位置付けていくものは、やはり選挙法であろうと思うし、選挙法の不備が現在の多々良問題、先においてはグランドホテル問題等を惹起してきた。ですから、私は現選挙法改正ありきという大前提の下で、ここに参加させていただいた。私もまだまだ勉強不足で、例えばどうして今のような選挙法ができたのか、当時の宗門の背景というものも勉強したいし、それ以前の旧選挙法はどうであったのかというようなところまでは、まだ頭の中に入っていない。
 皆さんの意見、お話を聞いて、勉強して行きたいと思っているが、いずれにしろ、系列、列記、同数というこの三原則こそが、私は今の選挙法の諸悪の根源だろうと思っている。一宗和合とよく言うが、一宗和合というのはイコールなれ合いの政治であり、談合の政治であり、野党のない、オール与党の政治ということで、そこには決して健全な政治は生まれない。だからこそ、責任のある、責任の取れる政治を実現するためには、正しい選挙法を構築してほしいということを、ずっと訴えてきた。さて、では、これからどうするか。どのようにこうした提言を議会のほうに持っていくかということまでは、まったく私も分からない。そういうところを皆さんに聞いて、皆さんと共に、こうした集まりを続けながら、宗門の改革を進めたいと思っています。

今、曹洞宗に必要なのは未来を見据えたグランドデザイン
仏教企画 藤木隆宣

 私が「仏教企画通信」を発行するようになったのには、幾つかの要因があります。一つは曹洞宗を含め既成仏教教団に対する一般社会からの信頼性が薄れてきているということを、十二、三年くらい前から、いろんなマスコミの報道を見ながら感じて来たということがある。これに逸早く気が付いて、それに対処していかなくてはいけないというのが、私の思いでした。そして、とくに曹洞宗においては宗政というものが弄ばれて来たなという感が、私にはある。それを私たちが見過ごしてきた結果、多々良問題のような事件が起こり、曹洞宗は今、危機的な状況に陥っている。これから曹洞宗に何が必要かということになると、曹洞宗のグランドデザインですね。曹洞宗はどうあるべきなのか、日本人にとって曹洞宗というのは一体、存在価値があるのかどうか、私はその辺まで尋ねていかなければいけないなと思う。そうでないと、包括法人としての曹洞宗の一員であるということの意義がなくなってしまう。そういう大きなスケールの展望が、ここ三十年くらい抜け落ちていたのではないか。これからはグランドデザインを描ける人が宗議会議員になって、曹洞宗を導いて行ってもらいたい。そして、ではどういう選挙改革が必要なのかというようなことになると、一気には難しいかもしれないが、理想的に言うと、私は管区で三人ぐらいで三×九=二十七、それに寺族枠とか檀信徒枠とか、いろいろな枠組みを付けたらどうかなと思う。
 そして曹洞宗には三つの本山があると言われて久しいが、御専使といった名誉的なものは宗務所あるいはご本山にお任せして、今われわれが考えなければいけないことは、曹洞宗が団体として、あるいは一寺一寺が、十一世紀に生き残っていけるかどうか、そういう瀬戸際にまで来ているということだ。
 私たちは宗会議員を選ぶ際、将来のグランドデザインを描いて、遅れた曹洞宗、待ったなしの曹洞宗をしっかり立て直していただける方を選ぶべきだと思う。そしてそういう事に専念してくださる方については、十分なお手当を差し上げるべきだと思う。それから私は仕事柄、いろいろな地方に出掛けることが多いので感じるのだが、地域によっていろいろ温度差があるにしても、とにかく宗務所等の動きが鈍い。それには予算がないとか、あるいは慣れていないということもある。さまざまな社会問題について考えるにしても、曹洞宗ではこれにどう対処しようとしているのか、すばやい反応が必要とされるのに、あまりに動きが鈍い。私も含めてそうしたことに慣れていない。社会に対してもっと敏感にならなければいけない。そういう訓練そのものが、曹洞宗では大変遅れていると私は思う。そういう点からしても、選挙制度を含めた曹洞宗の大改革を今やらないと、必ず曹洞宗は消滅の方向に向かうことになる。それは間違いありませんね。