座談会 『日本再生』
新しいお寺作りは住職と一緒に何かをやりたいと願っている方々と

◆出席◆
山谷えり子
/参議院議員
花崎みさを
/児童養護施設「野の花の家」理事長・施設長
増田 友厚
/長野県佐久市大林寺住職


【正富】まさに今、仏教離れが進んでいます。信仰する宗教は何ですか? と言われても返答できない人が多いのが今の日本です。人の痛みが分かったり、感謝の気持ちや手を合わせるといった基本的なことは、やはり日本人の心に根付いた仏教があってこそだと思います。しかし、それが今、日常生活とかけ離れてしまっている気がしてなりません。
 実際、お寺はお葬式のときにお世話になるだけの存在。残念ながら、一般家庭とすごく距離感を感じてしまうところがあると思います。だからこそ、日本人にとってお寺という存在を真摯に受け止め、考えていく時期であるのです。このかけ離れてしまった寺と私達との関係をどうしたら近づけることができるのか? 今の仏教に対する問題点は一体何でしょうか?

【山谷】私は小さい頃、ラジオ体操などでお寺さんに随分出入りしていました。子ども会の会場もお寺さんが提供して下さっていましたし、ご法話の時は両親、祖父母と一緒に行ったりと、開かれたお寺が近くにあったことをとても幸福に思っております。
 私の子供も永平寺で坐禅を組みに行きました。坐禅をしてひとつひとつ感謝して、丁寧に食事を頂くということを、日常生活ではない空間でさせて頂いたことが、子供の記憶に鮮明に残っているようです。ですから、親は意識的にそういう場所を探して子供を送り込む。それから、お寺さんはお寺さんでそういう場所を作って下さることが大事なんだろうと思います。昔の小学校の教科書を見てましたら、こんな話が載っていました。まず、大正十二年の小学六年生の教科書に載っていたのが「青洞門」。
 「大分県羅漢寺のそば近くに、大勢の人が亡くなってしまう絶壁がある。昔殺人犯だった禅海という男が僧侶になって絶壁へ行き、本願を立てて念仏を唱えながら二十一年間かけ、人々が安全に渡れるように洞穴をくり貫いた。禅海に親を殺された息子が彼を見つけ、親の敵を討とうとするものの、もう少しで洞穴が開通するからと、自分も手伝ったほうが早く敵討ちが出来ると、一緒に洞穴を掘って行く。そして、いざ開通した時には、恩讐のかなたで親の敵と許しあう。」というお話でした。また、昭和二十二年の小学校二年生の教科書には、たしか「半託迦」という話が載っています。
 「お釈迦様の弟子である半託迦はあまり利口ではなかったが、とにかく綺麗な丁寧な言葉を使うよう、また身の回りを綺麗にするように、お釈迦様に言われ、それだけを守っていた。もっと有能な弟子達がいて、半託迦を馬鹿にするのだが、半託迦はただ一生懸命お釈迦様に言われたことだけを守り、そして最後はとても徳の高いお坊様になれた」というお話。こういう話が昔は教科書に載っていたんですよ。それで、うちの子供にこのお話を読んであげたんです。ポロポロと涙を流して泣いていました。感動した心は一生涯、どこかに必ず残って繋がっていくんだと思います。宗教ってそれだけものすごい奇跡というか、力があり、魂を揺さぶって起こすことができる存在です。
 まずアクセスをしてもらえるように、子供会、夏祭り、七夕とか、何かいろいろな企画立案をして呼び込んで頂きたいなと思っています。私がPTAの会長をしていた時、地域の子供達にお寺さんと親しくなってほしかったのです。そこで、ご住職に頼んで、わざわざ落ち葉掃きをさせてもらって、サツマイモの焼き芋大会を開催しました。お寺さんからできるだけ具体的なプログラムをご提供頂けたらいいなって思います。日曜学校とか土曜学校をお寺で開催しても良いと思いますね。

【正富】そのプログラム。実際にどちらサイドが作ったらうまくいくと思いますか?

【山谷】地域の方々との交流を精力的に行ってらっしゃる増田住職のところは、お寺さんご自身で作ってらっしゃるのだろうと思います。

【正富】はじめに交流を始めようとしたきっかけといいますか、その原点はどこにあったのでしょうか。

【増田】そうですね。一つめは、まだ若い頃、近くの大きな病院のケースワーカーのお方のお話をうかがった時のことです。問題を抱えた家庭の諸事情を解きほぐしながらのきびしい対応を語った後で、「ところで、住職さん方はいつ涙を流すのですか」と問われたのです。それぞれの家庭や地域はどろどろとした苦しみやつらさをたくさん抱えている。それが見えないのですか、なぜ見えないのですか、それらにじっくり関わることが住職の本来の役割ではなかったのですか。大切なご指摘をいただきました。その時、思いました。人々の苦しみやつらさを見ようとしているだろうか。耳を傾けたいとは思うものの、相手が語りたくなるような我が器だろうか。また、踏み込めるだけの親しさと信頼があるだろうか。そして、なにより、人々の苦しみやつらさに深いところで共感できる人間であるだろうか。
 二つめは、私たち曹洞宗の教えの原点は、これらの課題にこたえることなのだと気付いたことです。この何年かにわたり管長さまのお言葉(管長告論)に示されている四摂法のなかの「同事」の行いがこのことです。
 たとえば「正法眼蔵随聞記」にこんな一節があります。道元さまが中国でご修行中のことでした。先人の語録を開き学んでいた時、ひとすじに仏道修行を重ねる一人の僧が尋ねた。「なんの用ぞ」(なんのためか)。道元さまは即座に答えておられます。「郷里に帰って人を化すため、利生(利益衆生)のためなり」……。人々の苦しみやつらさを共に分かち合いながら、それを乗りこえていく力になりたい。これが道元さまの中国修行中の原点だったのです。
 また、こんな話も記録されています。ある時、建仁寺の栄西禅師のもとを一人の貧しい人が尋ね、「食べる物がなく家族は餓死寸前、慈悲をもって救い給え」と。その時、寺には何もなかったので、禅師は仏像を作ろうとして取っておいた銅をくだいてあげてしまわれた。しかし、山内ではきびしい異論をとなえる者たちがいた。その時、栄西禅師はきっぱりと「そうではない。分け与えることこそ仏意にかなうのだ」と。
 このように伝えられる祖師方の生き方や願いにふれるたびに、法孫として自らの日常を多少なりとも整えたいと思ったものです。ですから、ある面では、私たち僧侶はどうあるのか、お寺はどうあったらよいのかの問いは、釈尊や祖師方の教えをどう学び、生き方としてどう受け止めているかに関わってあるのでしょう。

【正富】お坊さんご自身が問われている。

【増田】そうです。私ども僧侶側の問題としてきわめて大切で、互いに深めなければならないところです。しかし、僧侶だけでは深めきれない時代を迎えています。山谷先生が言われたように、「これはどう考えたら良いのか」とか、「私たちは今こういうものを求めているんだ」という具体的な提案を、いろいろな角度から各住職さん方にしていただきたい。きっとその求めに応じて何か形が生まれてくるはずです。人様から喜んでいただける菩薩行に生きたいと願いながらも、その一歩の踏み出し方が見えないため、具体的に何を、だれと組んで、どのように進めたらいいか躊躇している住職も多いからです。

【正富】増田住職さんはどのような企画をし、どのように発信しているのですか。

【増田】まず、自分たちを取り巻く地域の特性をよく見たいと思います。増田は増田の生きる地域を見るということです。たとえば、子どもの問題、不登校、市内に小中二十六校もあって、昨年は約百七十人、一人一人はどう過ごしているのでしょう。檀家さんの家庭にもいるでしょう。近くの学校にもいるでしょう。またいわゆる問題行動の子も勉強のわからない子もいるでしょう。更に老人問題。制度が整ってきたとはいえ、家庭にはお年寄りを囲む温かさがあでしょうか……。
 現代の地域社会の特色は、「皆、バラバラでさびしい。けれども、ここから抜け出してみんなと和やかに生きたいと望んでいる」と集約されると思っています。ですから、私たちの役割のひとつは、バラバラな人間の関係を修復してゆくさまざまな触れ合いの場を設定すること。しかも、その設定作業の過程そのものが関係性を作るのです。二つめは、教えに生きる充実した生き方をともに歩むこと。もう一つは、日常の色々な問題や苦難に耳を傾け、方向を探ること。
 私の場合、具体的には三つの分野があります。
 イ、自坊で地域の人々と共に作り出す行持、三仏忌の法要の他に繭玉作りとドンド焼き、入学児童祈願祭、公開講座、寺子屋教室、夏の学習と坐禅の会、地域子どもお泊まり会、保育園坐禅会、観音大祭、婦人会活動……など。法類の皆さんの力を借りてすすめます。
 ロ、二つめの柱は、近隣の寺院と共に進める共同実践。市の総合老人ホームで居室訪問、行事参加、法話を軸にした訪問活動。
 ハ、三つめの柱は、自分の特性を生かしたライフワーク。だれにでも得意の分野があります。それを生かした教化活動はとりわけ地域での結びつきを深めます。私の範囲は子どもたちとの関わり、おもに、不登校及びいわゆる「問題行動」の子どもたちとの濃密な関係をつくり、家庭訪問や先生方との協議も重ねます。
 ところで、どう発信するのかが質問の二つめでしたが、基本的には「地域との関わりの行為」を積極的に重ねることが最大の発信であると思っています。住職の具体的に動く姿を見てはじめて信頼をし、期待をし、頼りにし、参加し、力をくださるのです。この前提の上で、インターネットやちらしも有効になるのです。しかし、自分の身は寺の中に置いて「誰も来ない」と構えながらの発信であるなら、賛同者が少ないのは当たり前だし、広く皆さんの心には届かないのでしょう。やはり、一歩は、門前の方々や近所の方々とのあたたかい連携からですね。

【花崎】そういう素地を持ったお寺さんが各所にあって、そして地域の中心であったわけですよね。いろいろな意味で、心の中心であったり、生活の中心であったりしたと思うのです。しかし今、お葬式だけのお寺さんというような認識になって、長くそういう認識が続いてしまい、私達が一般に考えたときにこういうものがあったらいいなという思いはあるけれど、それをお寺に持っていこうかという思いに繋がらないのでは、と思うのです。
 ですから、できればお寺さんのほうから、うちでもよく坐禅会をやりますよとか、お寺さんで今こういうことをやっていますよ、といった発信をして欲しいです。地域のみなさんに対して、お寺さんをもうちょっと活用するためにこういうことができますよ、こういうことを今やっていますからお寺に来てくださいといった発信。また、盆踊りなどの行事以外に、もっと心の中の相談に応じますといった発信など。企画を立てて活動なさっているお寺はたくさんあることはあるんですけれど、何か一般の人達の中にもっと意識させていく、そういう努力がもっと必要な時期なのかもしれないと思います。

【増田】そうですね。また、住職の役割の果たし方も変わってきています。昔の寺子屋の時代は、寺がそれぞれの課題解決のリーダーとして前面に立ちました。しかし、これだけ高度化し、専門化した文明の世では無理な場合も多いでしょう。しかし、人々が集まり、学びあい、検討しあう中で関係を深め、苦悩を分かち合うという結節点を用意することはできます。当然のことながら、よく通じている範囲は中心的にまとめ上げるといいでしょう。

【花崎】そうですね。家庭が指針を失って、親が子供を愛せなかったり子供を見れなかった親自身が「誰か助けて、私の話を聞いて」という、そんな家庭が増えている中で、その親御さんを「じゃあちょっとここへおいでよ」という、そういう声掛けができる場所になってほしいですね。

【正富】そうなったら素晴らしく、理想的ですが、なかなか難しそうですねぇ。

【増田】要望を出して欲しいって申し上げたのは、答えたいけどどう答えたらよいのかわからないという住職さんもたくさんおいでになるのです。今のマニュアル化社会で、何か方法はないですかって尋ねる方々もいるのです。だからむしろ、こういう場を作って欲しいということを積極的にお願いしていくと、「あ、そういう場所をそのように用意すれば良いのだな」と得心する住職さん方もたくさんおいでになる。そう、私は思っています。

【正富】まず、双方の歩み寄りが必要ということですね。

【花崎】住民のほうもそう思っていて、お寺さんもそう思っているとなると、これはどこかでお互い発信しあわないといけませんね。

【正富】お互いのキャッチボールが重要ですね。根本的なところで何ができるのか。どうしてもらいたいのか。それが分からないからアピールができないのが現状です。山谷先生のように、様々なアイディアがポンポンと浮かぶのは素晴らしいことです。しかし、なかなか一般の方はそれが出来ないんですよね。

【花崎】それは山谷先生は宗教と係わり合いを持ってらしたからですよね。

【増田】私自身は駆け出しのころ、どれもうまくかみ合っていなかったです。ただ、あれこれと試みながら一定の年数がたつうちに、「あの方は寺に対してとても力を下さる方だ、この方も協力して下さる」ということが見えてくるのです。実はお寺に対してお寺の住職と一緒に何かをやっていこうと願っている方々はたくさんいるのです。それが住職の側からも見えないから、一人ぼっちであるというふうに錯覚していることが多いのです。共に歩めるメンバーがたくさんいるという確信は、だんだん出てくるのです。
 私の場合例えば観音大祭。これは寺主催のその日限りのお祭りではなく、二カ月ぐらい準備をしますが、色々な行持の流れと人々をまとめ重ねる、集約の時と位置づけられます。中心は実行委員会で、若者、大人、「長老組」と呼ばれるお年寄り、婦人会、総代など百名ほどで構成され、檀家の方は、ほぼ半数。行持の流れとしては坐禅に来る保育園児は灯篭の絵を、坐禅と勉強の会参加の子どもたちは俳句を、写経会員は心を込めた一枚をというふうですが、すべては、行持を支え、運営することに熱情を傾ける異世代の人々の集まりがあって、初めて可能になり、続けられています。
 その一番最初のところで大事なのが、繰り返しになりますが、みなさんからの要望。要望を出して下さった方々を中軸にしながら何か企画ができるかもしれない。みんなと共に歩める、意味ある場ができるかもしれないという方向を、住職自身が持っていける。こう思うのです。

【山谷】茶道をやると、掛け軸が禅の言葉ですよね。娘は毎週、今日はこの言葉だったって私に解説をしてくれるのですが、その禅語、掛け軸、お習字を放課後の子供プランの中でやって、「これはこういう内容、喫茶法とはこういう意味ですよ」なんてお寺さんがお話して下さったら、もっと深く物を考えられるようになります。さっきの半託迦の話も、紙芝居を作って出前紙芝居をしてくだされば嬉しい。とにかく信仰を持つことも大事だけど、その教養すらないでしょう私達は(笑)。日本人なのに仏教すらよく分かっていない。お寺というのは大きさにもよりますが、やはり地元の郷土史と一緒になって歩んできたのです。私は引越してすぐにPTA会長になったので、呆然としてしまいました。どこから手をつけたらよいのやら……。
 まず図書館へ行って、その土地の大きな神社とお寺の歴史を調べたのです。すると、何さんと何さんは昔仲が良くて、こうやって村を守ってくれた、なんて話が書かれているのです。そんなことを話していくと、お父さんお母さんは物凄く興味を持っていくれるのです。だから、そういうこともご住職様が積極的にPTAの役員さんたちに郷土の歴史を語ってくださるとか。いろいろなことをプログラム提供できると思いますので、本当に無理のない形で、でも必ず何かひとつ提供して欲しいですね。