柳緑花紅
愛別離苦
作家・俳人 車谷長吉
この世は苦の世界である。過去現在未来、永劫に四苦八苦に責められている。とお釈迦さまは説かれた。四苦八苦とは「生(しょう)」「老」「病」「死」「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」である。
愛別離苦とは、愛する人と別れる悲しみである。今日では交通事故で倅を失った、という風なことはよくある。私が二十歳代半ばの頃、みかお祖母さんが老衰で死んだ。享年九十。大往生だった。それでもみかお祖母さんの長男である父の悲しみは、凄いものだった。四十九日が過ぎた時分から、みかお祖母さんが普段着ていたネルの寝巻を、絶えず身につけているようになった。夜寝る時だけではなく、昼間もその恰好で坐っていた。村の寄り合いにも、その恰好で出掛けて行くのである。私がお袋に「あれ、なりが悪いやないかえ。」と言うと、「お父さんはお祖母さんが恋しいんやがな。淋しいんや。あのネルの寝巻なしには、もういられへんのや。男はそななもんや。」と言うた。母恋い、マザー・コンプレックスである。
私はいま六十一歳、母は八十二歳である。お袋は「うちはぼけや。」「うちは阿呆や。」とよく呟く女である。併し決してぼけてはいず、阿呆なことも口にしない。そういうことを言うて、人を油断させ、その上で人をじっくり観察しておいて、辛辣な批評を述べる。つまり油断のならない女である。この母もいずれは亡くなるが、その時、私は父のように見苦しい母恋いをするだろうか。分からない。けれども愛別離苦という悲しみは身に沁るだろう。
先年、文藝評論家の江藤淳氏が自殺された。享年六十六。私が三田の塾生だった頃の恩師である。妻・慶子さんを癌で失ったあとの、後追い心中だった。愛別離苦の殉愛だった。江藤さんは妻の死後、鎌倉の家にじっとしていられず、慶子さんが亡くなられた神奈川済生会病院へ訪ねて行き、慶子さんが入院しておられた当時のベッドで寝かせて下さいと頼み、実際、そのようにしておられたと言う。「こうして妻の寝ていたベッドに横になっていると、妻の温もりが感じられ、安らかな気持になれるんです。」仕事で訪ねて来た編輯者によくそう言われ、しみじみと泪(なみだ)を流しておられたとか。子供のいない夫婦の悲劇である。生前は柳橋の藝者と浮名を流し、妻の慶子さんが目を血走らせて、某出版社のえらい人に、諫めて下さいと泣きつく場面もあった人だが。最後は嫁はんが命だったのである。私のところも、子供のない夫婦である。江藤夫妻のことは決して他人事ではない。嫁はんが私より先に死ぬことを、私は何よりも恐れている。だから私は毎日、自分が早く死ぬことを祈っている。極楽に往生したいとも思わない。私のような極道者はどのみち地獄へ行くのである。そう覚悟した上で、作家という極道者になった。
(挿絵・長谷川葉月)