名物和尚の誌上説法
福井県西方寺住職 宮崎慈空

宮崎慈空
1943年高知県生まれ。
神戸商科大学卒業。
高校教師、出版社勤務を経て1978年出家得度。
諸方行脚の後、1993年より現職に。



自分で考え自分で証明する
自帰依・法帰依の道理

 お釈迦様は齢八十になり入滅も間近に迫ったある日、お伴の阿難に対し次のように諭されました。
 「いまも、そして私の死後も、修行僧は自分を島とし頼りとし、法を島とし拠り所としなさい。他の人やものを頼りとし拠り所としてはならない」
 これは「自帰依、法帰依」としてよく知られている教えです(「島」を「灯明」と訳している経典もあります)。
 人生苦からの解脱(げだつ)を、その苦の因って来る根源を解き明かすことによって成し遂げるわけですから、苦の本体である自分自身の中に答えも潜んでいるのです。自分以外の他のものに依っては、自分自身の解脱は決して得られないのです。仏教は、「自分で考え、自分で修し、自分で証明する」ことを重んじる個人主体の教えであるということが、この言葉にも表れています。特に洗脳やマインドコントロール、情報操作等の横行するこの時代には、「自分の頭で考え、自分で証明する」仏教の立場は大切です。
 さて、お釈迦様が「自帰依、法帰依」と言われて諭された場合の自分とは、一体どのような自分を指すのでしょう。貪欲愛憎にまみれ、生死海に漂う日常の自分をそのまま指しているとは思えません。実はその愚痴蒙昧の自分には、頼りになる島ともいうべき本性が備わっているのです。私の場合、そこに私を導いてくれたのは、坐禅という船と般若心経という羅針盤でした。
 道元禅師の『弁道話』に「仏祖憐みの余り広大の慈門を開きおけり、これ一切衆生を証入せしめんがためなり」とあります。これは出家在家等しく坐禅によって仏道を得ることができるというお示しです。
 私は人生半ばで、坐禅の入門書を頼りに毎朝坐禅をするようになりました。悟りを開こうとか解脱しようとかの、はっきりした目的意識があったわけではありません。死という大疑団の丸がかえとなり、「我」をもってする所業に何の意味も見出せなくなり、坐禅のなかに「へたり込んだ」という感じでした。しかし、古来祖師方が勧められたように、無常を観じ吾我を忘れて坐禅に徹する、これが正しい修行のあり方だったのです。
 そうして数カ月、坐禅によって自己を忘じてみると、元より迷悟もなく一切のものが生死を超えたそのもの自体の、円融無礙(えんゆうむげ)の三昧の中に遊化(ゆげ)していることがはっきりしたのです。恰(あたか)も線香の煙が燻(くゆ)って立ち昇りながら、どこをとってもそのもの自体で、しかもどこにも住まっていない――
 「我」の認識で形として捕えることのできない――この三昧のうちに諸仏は息づいており、故人に対する供養といえども、この三昧に過ぐるほどのものはないということです。坐禅というものの様子も、実はこの三昧とぴったり一枚のものなのです。
 造られたものは必ず壊れます。しかし、ものがそれ自体を受用している消息、無為(為すことなし)の消息ほどに堅固な有り様が他にあるでしょうか。金剛石(ダイヤモンド)をもってしても、これを打ち壊すことは不可能です。
 お釈迦様は、だれもが例外なくこの三昧の法性で成り立っていることを悟られて、阿難に対して、「法性そのものである自分を頼りとし拠り所としなさい」と諭されたのです。

  耳に聞き心に思い身に修せば
     いつか菩提に入りあいの鐘


 「広大の慈門」は、坐禅の行として常にあなたの前に開かれてあります。