特集座談会
教育再生のキーワードは 愛・言葉・命
家庭教育の在り方とは?
いじめ、自殺、親子間の残虐な殺人。命を軽んじるような悲惨な事件が後を絶たない。その根底には、家庭教育に問題があるのではないか。今、子どもたちに「僕は大切にされている」「必要とされている」という実感があるのだろうか。子供を一人前に育て上げるには、一体どうしたらよいのか? 家庭教育の在り方を、内閣総理大臣補佐官で参議院議員・山谷えり子氏、児童養護施設「野の花の家」理事長・花崎みさを氏、曹洞宗特派布教師大林寺住職で長野県佐久市教育委員の増田友厚氏にお話を伺った。
山谷えり子
参議院議員、元『サンケイリビング新聞』編集長(発行部数約900万部の情報紙)、TVキャスター、エッセイスト
1950年生まれ。聖心女子大学文学部卒業。
1男2女の母。2000年6月、衆議院議員初当選。2004年7月、参議院議員初当選。2005年11月、内閣府大臣政務官就任、内閣委員会。2006年9月、内閣総理大臣補佐官就任。主な所属議員連盟に、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」副会長、「日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟」幹事長、「青少年と家庭のあり方を考える議員、有識者懇談会」など。
花崎みさを
社会福祉法人一粒会理事長、季刊『児童養護』編集長。
千葉県に生まれる。駒澤大学文学部英米文学科卒業。東京教育大学教育学部特殊教育学科聴講(2年)。
1969年、スイスの国際児童養護施設「ペスタロッチ子どもの村」に勤務。1985年、社会福祉法人一粒会児童養護施設「野の花の家」を開設、1991年、「フレンドシップアジアハウスこすもす」を開設、両施設長。著
書『ねえ、おかあさんさがして――すてきな「野の花の家」の子どもたち』(草の
根出版会)
増田友厚
曹洞宗尾瀧山大林寺住職。長野県佐久市教育委員
1947年長野県佐久市生まれ。千葉大学卒業後、大本山總持寺安居。
現在、曹洞宗特派布教師、布教師養成所講師。教育活動実践家として県教委不登校生触れ合い体験リーダー、市教育委員、保護司など歴任。いわゆる非行の子どもたちと深く交わり寺での勉強会など企画。市老人福祉施設での僧侶の関わりを模索し部屋訪問など実施。FM佐久平「親子の本音」担当。
命は伝えていくもの
家族は一期一会
【正富】昨今、自殺や親子間の殺人といった残虐な事件が報道されているとおり、日本の社会は荒み、家族のあり方が崩壊しています。家庭崩壊の原因は何だと思われますか?
【山谷】私は祖母からこう教えられて育ちました。「命は伝えていくもの。二十代前にさかのぼると百万人のご先祖様がいて、お前のことを応援してくれているよ」と。
家族は永遠に続くようですが、実は一期一会。家族がひとつ屋根の下で食事できる回数は本当に少ないのです。この、一期一会である感覚が弱まってきているのだと思います。私の夫は3年前に交通事後で亡くなりました。その時、3人の子供達はこう言ったのです。長女は「体が死んだってなにさ。魂はつながっているよ」。長男は「父さんの真似をして家庭人、社会人をやっていけばいいんだ。人生は螺旋階段のようなもの。僕がたくさん友達を連れてきた時、父さんはあじの開きを30匹焼いてくれた。今度は僕が父さんになって、父さんの気持ちを味わうことができる。だから愛は深まるばかりだよ」。末娘は「17で別れるのはひどすぎるけど、何十年分も愛してもらった気がするから、幸せにならなくっちゃね」。その話を聞いた姑は「感謝ね。これからもいい父親として息子は永遠に生き続けることがはっきり分かったから」と言ったのです。家族の中で人は愛を学び、生きる意味を学び、だからこそ周囲の人々の幸せを願う気持ちが育つのだと思います。欠けている部分があればきっと御仏様が、神様がたくさんの恵み、慈しみを下さるので豊かになるのです。私は夫、父親を亡くすことによって家族の素晴らしさを深く分かったのです。
しかし、平成15年に発行された家庭科の教科書は、祖母は孫を家族と考えていても孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう、家庭の範囲は全員が一致しているとは限らないのである。犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もいるって書いてあるのです。これ、家庭科だか家庭崩壊科だか分からないじゃないですか! 今の子供は自分しか見えないし、テレビゲームやインターネットばかりで人と人の触れ合いがありません。もっと意図的に肉声での愛情を伝え、子供達に感じさせてあげる必要があると思います。夏休みには田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの所に2週間くらい泊めてもらうとか。
【正富】今、大人がそういったことを仕掛けなくなりましたね。
【山谷】迷惑掛けちゃいけないと思い過ぎるのだけど、愚痴を言ったり迷惑を掛け合ってこそ命を生きる意味が分かるのです。
愛されてこそ成長する
それが人間の"心"
【花崎】みんなに可愛がってもらっている、愛されているという実感を持って育つこと。そのことが子供が成長していくためには一番大事なことだと思います。今、私たちが預かっている子供達は、ほとんど愛された経験がない子供達です。家庭というものの中で育ったことがない子供達はさまざまな問題を抱えています。ただ寂しかったというだけでは済まず、心に受けた問題は物凄く大きい。
国は、子供の問題というと子育てや少子化対策に重きをおいていますが、本当に必要なのは、家族の愛情を知らずに育った子供への対応です。家庭の機能を果たさず、愛されていないという実感のまま育って問題行動を起こし、そして親に放り出されてしまう子供達が増えている現状に対する対応が薄いですね。
私たちは子供達を見るだけではなく、その親も見ないといけない。なぜかというと、その親自身もやはり愛情に飢えて家族を作れないという問題を抱えている。子供を作ったけれど育てられないという家族が今、ものすごく増えています。核家族化によって祖母から母親、そして孫へ伝わるべき子育ての文化が切れてしまった。それがすごく大きいと思います。家族の、そして子育ての文化を代々伝えていくことをまた始めなければなりません。それが家庭教育、しいては日本再生のひとつの鍵だと思います。
もう自分の家庭だけでは対処できない時代がきています。ですから、地域の皆さんが力をあわせて、家族がなくて困っている子供がいた時には、施設に来るという選択以外に、地域の中で見ていくというシステムを作っていく必要があると思います。
【正富】子供に対する愛情、愛し方が実際に分からないという親が多いとは……。その根本的な原因は一体何ですか?
【花崎】「自分も愛されてこなかった。だからこの子を愛せない」といって施設に子供を連れて来たお母さんが何人もいます。「先生にあげるから育てて下さい」って、ポロポロ涙を流しながら言うのです。そのお母さんが言うには、「私の母は私を愛していたと言うけれど、本当は母が一番愛していたのは世間体で、私ではないと思って育ってきた」って。そういう方が結構いるのです。それから、若いお母さんの中には自分の都合で、自分の思うように子供が育たないと愛せないという方も結構います。自分の理想の子供でないと私の子供じゃないって。だから、ご飯もちゃんと作らないとか、気に入らなかったら拒否反応を起こすというお母さんがいるのです。
【正富】現実問題、母親の子殺しという殺人事件も頻発していますね。
【花崎】お母さんの、そのお母さんがどうやって育ってきたのか。そこが問題かなと思います。
子供が一番欲しいもの
それは親からの言葉
【増田】私の場合、この二十年ほど、さまざまな子どもたちと濃密な関係を創りながらきました。いわゆる「茶髪、ピアス、暴走族」でくくれる以前「グレ」ていた我が愛すべき少年たちは、今はそれぞれたくましく成長し、寺を訪ねたときポツリと語ります。
「おっしゃん、俺、本当は寂しかったんだ。両親は共稼ぎで、家に帰っても一人だし。我が家の経済状況からみたら仕方ないからじっと耐えていたよ。でも、両親は俺の寂しさをわかっていなかったね。だって、『留守番ありがとう』とか、『助かるよ』なんて一度としてなかった。」それどころか、親の対応は、「寂しくて当然」「食事が遅れても当然」といった開き直りばかり。思いやりある言葉もないギスギスした親元で育ったというのです。
「父親はずるい」とも言います。どの子もその時々に、友達のこと、勉強のこ
と、進路のこと等をめぐってどう生きたらいいか精一杯に考え、どう選択したら
いいか真剣に迷います。でもその重要ポイントに父親が登場していないのです。苦しさもつらさも含めて懸命に生きている父の姿が見えないのです。むしろ、良いかっこうして体裁だけ整えている父のあり方に物足りなさを感じて「父さん、ずるい。僕から逃げないで」と迫るのです。
つまり、「僕は、温かくつつまれ、大切にされて大きくなった」という実感
を充分持たないまま子どもの時代を送っているということです。
では、昔の親たちはそれをおおむね満たしていたかというと、そうではない。いい加減な親もいたはずです。しかし、ご指摘のとおり、地域社会の共同体がその受け皿として機能していた時代です。たとえば、家にご飯がなくても隣で食べさせてもらったり、黙って、よその家の柿の実を失敬して、近くのおじいさんにひどく叱られたりしたものです。要するに、養育する力が不十分な家庭、親の子どもであっても周りの誰かから支えられ、温かさが充足され、大きくなりました。地域としての思いや願いがおのずから、子どもたちを育んだのです。
それでも、私は、温もりある家庭や地域の復活が不可能だとは思っていません。
【花崎】私たちの施設に遊びに来るツッパっていた子供が、いつの間にか普通の格好になったのでその理由を聞くと、近所のおばさんが、いつも声を掛けてくれたそうなのです。最初は「うるさいババアだなぁ」という反応だったのですが、だんだん「俺に気があるのかよ」と思い始めて。ある時、「このおばさんのために変わってやるか」と、自分で直したのだそうです。
お母さんが働きに出て家には誰もいない。親なんて俺のことなんとも思ってないとツッパリが始まったのですが、近所のおばさんが声を掛け続けてくれたことによって、その子は自分を取り戻していったのです。そういう近所の力も大きな力として残っていると思います。どの子にも、そういう言葉掛けが出来ていれば、もう少し地域の子供も変わってくるかもしれません。
【正富】今は間違いなく言葉が少ないということですね。
【増田】「大人は、いつも気分屋だ」また、「大人は、いつも高いところから偉そうにものを言い、俺たちのことをわかろうとしない」「どこか馬鹿にしている」とも子供達は言います。
大人たちは、いつのまにか、自分が、なにか完成された人間だと思い込んでいる。しかし、大人もいわば発展途上の未成熟な人間であり、子供もまたそうである。ですから、大人も子供も一生懸命に生きているという共感的見方をどう育てるかが問われているのだと思います。
【花崎】リードしてくれる人が地域の中にいないのです。そういう思いをどこかで取り上げて、実行に移そうという人がいません。今まで、地域社会の中にはお寺や教会、公民館などみんなが集まる場所があり、地域の中で何か迷ったときに自分のために助言をしてくれるような人がいる場所がありました。そういう場所が今あまりないと思うのです。
【増田】あまりないですね。でも、地域社会でリードしようと燃えている人達はたくさんいると思う。それがいい具合に連携して動ける世の中の仕組みがないのだと思います。
【花崎】今、ネットワークというものが地域の中に盛んに言われていますが、市町村でそれを運営することがなかなか難しい。ネットはできているけれど、活用ができない現状ですね。
【正富】そういったものを上手に機能させる司令塔のような存在はないのですか?
【増田】はい。その存在を確かにする世の中の価値観がゆれているという現実も見ておかねばならないでしょう。日本の社会においては特に戦後の大量生産大量消費の時代の流れの中で個々の存在やそのあり方の意味が問われなくなり、自分一人が取り残されていくような不安、また、それらの社会の仕組みへの不信はつのり、益々、「個」の中に入り自己を護ろうとする面もあります。このことは同時に、「引きこもり」「不登校」に関わる大切な視点の一つだと思います。
ですから、今の時代、一層、「つらさや切なさを分かり合おうとする関係」「支え合う生き方」「生かしあう生き方」が求められています。具体的な実践の積み重ねを持って家庭、地域、職場で一歩を勧めたいと思います。
【正富】こうあるべき理想像と現実のギャップ。それをいかに埋めるか。それが今後の課題ではないでしょうか?
【山谷】国の政策として、2007年4月から全国すべての公立小学校で夕方6時まで近所の人も一緒に来て遊べる「放課後子どもプラン」が始まります。一校あたり五百万円ほどの予算を国と地方で考えています。ひとつの学校に数十人から百人のサポーターさんが登録して、読み聞かせ、紙芝居、郷土の偉人伝を教えに来て下さってもいい。何でも出来るように致しますので、思いのある方はぜひ地域の子供は全部自分の子供だ、孫だと思って参加して頂けたらと思うのです。
人生の目的というのは、出世やお金という価値観で表面が動いているようですが、実際心の深くではやっぱり愛し合うことが一番の価値だと分かっている人って結構いると思います。そういう人達の手によって、地域社会を再結成してもらえたらと考えております。
【正富】やる気がある人はたくさんいるけれど、どのように機能させたらよいか分からないという問題は改善しそうですね。
【山谷】「随所に主となれ」ですから、他人事とは思わないで欲しいのです。文科省は、予算をもらえたから退職教師のOB達に再就職してもらい宿題でも教えてもらおうとか、厚生労働省は保育所がわりに福祉の発想で両親が働いている家のお子さんを夜8時9時まで預かりましょうかとか、役所はそういうふうに説明しちゃうところがあるわけです。でも、本来の理念は地域社会の再生、どの子もわが子、地域がビックファミリーとして愛し合う場所を作るいうことですから、本来の思いが実るようになってほしいと思っています。
【花崎】それはいいですね。学校そのものを一つの場所として考えてくださるのはいいと思います。となると、学校そのものをうまく生かしてくださる先生の資質の問題もありますね。
【山谷】この政策は放課後のことなので、運営は地域がするのであって学校は関係ないのです。もちろんリーダー格は必要でしょうが、あとは地域の人たちで。そういう意味では、本当に自主性が問われますね。
【正富】それはどこの主導ですか?
【山谷】実施主体は市町村です。国は文部科学省と厚生労働省で三百億円出します。あと交付税措置で都道府県が三百億円、市町村が三百億円で、合計一千億円ほどのプログラムになるのです。だけど、都道府県によってはそのお金をプログラムに使わない所があるかもしれない。そうしたら住民が文句を言うべきです。何でうちは本来の子供のために使わないのかって。
というのも、今、本を買うように国は地方へお金を渡しています。ところが、そのお金を本の購入に使っている地方は三分の一程度といわれている。残りは何か訳が分からないところに使われているのです。これはいかに日本の社会が子供を愛していないか、子供の育成に対して冷淡かということでしょう。
【正富】なかなかそういった意見が私達のところに伝わってこないのは残念です。まさに本質的な部分がきちんと報道されないのでしょうね。
学校の放課後に子供達が集まるためには、やはり学校が魅力的なものでなければ子供達は行こうとしないのではと思うのですが。
【花崎】子供にとっては家庭と学校は両輪です。家庭の大事さは無意識ですが、学校の大事さは意識しながら子供達は生活しています。それが両方大事なのですが、学校に行って自分の思いが遂げられない子供達、自分を受け止めてもらえない子供達が多いということへの意識が、学校の先生にあまりない場合が多い。子供一人ひとりが家庭でどういう生活をしているのか、学校の先生は受け止めて欲しいと思いますが、それが出来ない。先生が一つ高みにいますので……。
家で何かあっても、学校で先生に対して何かを求めることが出来ないし、学校で問題を起こしてもその問題を学校の先生はきちんと受け止められない。もちろん、受け止めてくださる方もいなくはないのですが。どこへ行っても子供は居場所がない。そういう状況が今、生まれているのかなと思います。
【増田】そうですね。小中学校の問題に加えて、緊急な要請は、義務教育を終えた16歳〜18歳ぐらいの子どもたちの受け皿づくり、高校へ行ってそれなりの居場所のある子はいいのですが、中卒後仕事を失ったり、高校を中退した後に頼る場所がないのです。私の所でも、少し手助けをさせていただいておりますが社会の仕組みとして、今、広く求められています。
【花崎】私ども養護施設で少ないながらも力を入れて子供達を育てても、結局15歳あるいは18歳で施設を出て行きます。親は当てに出来ませんので、自分の力で生きていかなくてはいけません。
厚生労働省の管轄で、自立援助ホームを各所に作ってそこでご飯を食べられて、ちょっと話を聞いてもらえる。そしてそこから仕事へ行く、そういう自立援助ホームをたくさん作るという計画を聞いています。
それは一般のNPOでも出来ますので、地域の中にたくさん作ってほしい。施設を出た子供や里親から来た子だけでなく、地域にいる子供達で家に帰りたくない、けれども自立していくために誰かが何か援助しなければならないという時のための、援助ホームが出来たらいいですね。そこでは社会性も色々な人間性も身につけていくことができる、そんなハウスがあると良いなぁと思います。
また、中学を卒業した子のための職業訓練みたいなものを、地域の中で出来ないかと思っています。地域の会社とか、大工さんとか、何かそういう人達の同業組合みたいな形で、技術を少し教えて、そこの人達がその子達を雇ってくれるというような。
【正富】中学を卒業してすぐに就職したい子、あるいは高校を中退した子の就職先は、本当に厳しい現状ですものね。
【山谷】さきほど、大人が大人風をふかすとおっしゃいましたが、それはやっぱり宗教心がなくなったからだと思います。映画の寅さんを見ていると、必ず茶の間の後ろにお仏壇の扉が開いています。宗教との交わり、大人との交わり、地域社会との交わりが感じられます。本来ずっとつながってきたこの姿が、ここ20、30年で途切れてしまった感じがします。大人も寂しいのです、切ないのです。誰も抱きしめてくれない(笑)。私なんかは特に未亡人になってから、孤独の深さを感じます。だけど、その時必ず抱きしめてくれるのは神様と仏様なのです。その存在を知っているかいないかで踏ん張れるし、壊れないで済むのではないでしょうか。
日本文化というのは本当に古神道と仏教が長く織りなす、美しい錦織のような中で心が、文化が育っていったのです。私達の素晴らしい財産である祈りの心、といっても別に特定の宗派を子供達に押し付けろという意味ではなく、祈りの心をどう伝えていくのか。これが実は大切だということを、もう少し発信してもいいのではと思います。
【花崎】私もそう思っています。子供達に何を私達として与えることができるのかといった時、本当に少ししかない。やっぱり、子供達が自分で自分の心を律し、自分で生きていくためには、何を目標にして生きていくかが重要です。
【増田】宗教によって私たちは、本当に色々な力によって生かされているということが分かりますよね。食べることも飲むことも暮らすことも動くことも。そのことを、子供は子供なりに、大人は大人なりに感じることが可能だと思うのです。
触れ合うこと
それが愛情・生きる糧
【正富】その感じる力をどうやって養えばよいのでしょうか?
【増田】私のところは近くの公立保育園の子供達が月に3回ほど坐禅においでになります。朝起きてから寺に来るまでの一つひとつを振り返り、みんなのお力のお陰であることをお話する。そして、坐禅をする時は、一人ひとり触れ合いをしながら声を掛けます。事前に保育園の先生から、この子はこういう事情があって落ち着かないということを聞くと、その子供に対していつも以上に「あなたはすごいね、この前より随分よくなっているね」などと特に声を掛けます。
色々な力によって生かされて今の自分がいることを、子供がそうだねって実感として受け止められるよう、大人たちが触れ合っていくことが大切です。生かされたことに対して、僕も応えたいよと思う気持ちが生きる力になるのでしょう。
【花崎】つまり、自分はみんなに愛されているという実感を持つことが大切だと思うのです。その作業こそ、とても大変なのです。時間がかかりますし。だけど、一つひとつ丁寧に毎日やっていかねばならないことです。それが各家庭で出来てれば、本当に世の中が変わるだろうと思います。
『日本の子守唄100選』
子守唄をたくさん聞かせられるような環境整備も大切です。童謡・唱歌・民話・神話・郷土の偉人伝をよみがえらせる「日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟」の幹事長をしています。リンカーンは「国民は記憶の糸でつながれている」と言いました。子守唄などをよみがえらせ、広めることによって、親子の絆のみならず日本人としての記憶の糸をつなげていきたいと思っております。(山谷えり子 談)
問い合わせ先
NPO法人 日本子守唄協会
電話 03(3861)9417