朗読から心の力を養う



新訳 星の王子さま

  アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

 黙って何時間か歩いたころ、日が暮れて星が輝きはじめた。喉が渇いたために少し熱っぽくて、その星を夢の中で見ている気分だった。王子さまのいったことが私の記憶の中で踊っていた。
 「喉が渇いたのか、きみも?」と私は王子さまに訊いた。王子さまはこういっただけだった。「水は心にもいいかもしれないな……」
 王子さまのいったことは理解できなかったが、私は何もいわなかった……王子さまには何を訊いても無駄だとわかっていたからだ。
 王子さまは疲れて腰を下ろした。私も並んで腰を下ろした。王子さまはしばらく黙っていたが、またこういった。
 「星が美しいのは、目に見えない花が一つあるからなんだ……」
「それはそうだ」と私は答えた。それから何もいわずに、月光を浴びた砂の稜線(りょうせん)を眺めていた。
 「砂漠は美しいね……」と王子さまはいった。
 まったくそのとおりだった。私はいつでも砂漠が好きだった。砂丘の上に腰を下ろす。何も見えない。何も聞こえない。しかし何かが輝き、何かが沈黙の中で歌っている。
 「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しもっているからだよ」と王子さまがいった。
 突然、私は砂が神秘的に輝くわけを知って驚いた。まだ子供だったころ、私は古い家に住んでいた。その家には宝物が埋められているという言い伝えがあった。もちろん誰もその宝物を発見したものはなかった。探そうという人もいなかったのだろう。でも家中が魔法にかかっているようだった。私の家はその奥深いところに秘密を隠しもっていたのだ……。
 「そうだよ。家でも星でも砂漠でも、その美しいところは目には見えないものさ」と私は王子さまにいった。
 「嬉しいな。きみがぼくの狐に賛成してくれて」と王子さまがいった。

出典「新訳 星の王子さま」宝島社刊
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作 倉橋由美子訳


解説  小倉 玄照(成興寺住職) 加茂保育園園長・岡山県津山市

 作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、一九〇〇年六月、リオンに生まれ、一九四四年七月フランス軍の飛行中隊長としてコルシカ島沖合で偵察飛行中に行方不明となりました。世界中の空を飛び、はてしない空の果てから地球を見おろしつつ人生を思索した作家と言われています。
 『星の王子さま』は、長年、内藤濯の名訳(岩波書店刊)で親しまれて来ました。著作権の切れた近年になって新訳が二〜三刊行され始めました。大人が読む小説として翻訳された倉橋由美子訳をここでは紹介します。
 星の王子さまは、飲料水八日間分の水を残してたった一人でサハラ砂漠に飛行機が不時着して途方にくれている私のところへ、突然に出現します。小さな星から地上にやって来たというのです。純粋無垢の星の王子さまは、「大人の世界とは対立する本物の自分である子供」が姿をかえて表れたものと考えたらよいのでしょう。
 この部分は、不時着して八日目、蓄えておいた水の最後の一滴を飲み終わった後のこと。狐は、星の王子さまが、この地上で唯一心が通じたという友だち。
 ここを朗読していて道元禅師が「水のいたるところ仏祖現成するなり(水はいのち)」と仰せになっていることを思い浮かべたりするのは、私が、星の王子さまからダメを出される大人の一人に過ぎないことを示しているのでしょう。

新訳 星の王子さま
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ・作 倉橋由美子・訳
宝島社 刊
定価:本体1500円(税別)