平成二十年 迎春


語り尽くす山雲海月の情


曹洞宗管長
大本山總持寺貫首

大道晃仙

 謹んで平成二十(二〇〇八)年の新春を言祝ぎ、皆さまのご多祥を心よりお祈りいたします。
 長年修行道場に身をおいて来たこともあり、老衲の何よりの楽しみは、修行僧とともに毎日を過ごすことであります。様々な個性を持った者たちが和合して一つの所に住み、各々切磋琢磨して修行する姿に、常日頃大きな頼もしさを覚えます。
 禅の世界では、現実を離れた遠くに夢のような真実が存在するとは考えません。苦しみ、悩み、喜び、楽しさの中で揺れ動く現実の人生にこそ、仏の真実の世界が広がっているという教えです。
 修行とは「仏行を修する」の略であり、仏さまの行いを実践するということです。修行僧たちは、世間の人々と同じく迷い、悩みを抱えながらも、古えより伝えられた、仏行としての行・住・坐・臥の四威儀を、日々きちんと行じてゆきます。そしてそれによって身心が知らない間に自然と仏さまのかたちに調えられてゆきます。
 禅は頭にばかり頼るものではなく、また現実の外にまなざしを故意にそらせて追いかけてゆくものでもありません。自らを見据え、足もとに気をつけて、焦らずしっかりと歩んでゆくことです。
 同時に、自らをしっかりと見据えることは、他のもろもろの存在を見つめる姿勢にもつながります。
 「話尽山雲海月情」は『碧巌録』の中に見られる言葉です。ありとあらゆるものとの関係の中でわれわれは生かされているのです。
 皆さまにとって、本年がすばらしい年であることを重ねて祈念申し上げます。



衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)


大本山永平寺貫首
壱百八翁

宮崎奕保

 世界中に存在する宗教のほとんどの教えの根幹は「悪いことはするな。良いことをせよ」ということに尽きると思います。しかし現実はなかなか思うようには行きません。昔から「三才の童子知れりと言えども八十の老翁も行うこと難し」と言って、理屈でわかっていても実行することは難しい。世間では近頃は凶悪な事件や犯罪が増えています。人命を軽視した犯罪にやり切れない思いがします。自分が大切な分、人もまた大切です。同一仏性といって自他平等、同じ仏の命の一分です。「例え石橋は腐っても誓願は腐らない」という言葉があります。遠いご先祖から一代一代伝えられた命が、今、私にもあなたにも宿っています。「衆善奉行」は「諸悪莫作」と共に、私たちの誓願に他なりません。みんなの気持ちが一つになる、それが同一仏性です。自分の命も人のいのちも同じ重さ、同じ尊さです。