追悼
宮崎禅師さま さようなら


 平成二十年一月五日、大本山永平寺七十八世・宮崎奕保禅師さまが御歳一〇八歳でご遷化になられました。
 『曹洞禅グラフ』には、毎年お正月号の巻頭言をはじめとして、対談などにご登場いただきました。
 副貫首時代の平成二年夏号(通巻三十三号)に、現参議院議員の山谷えり子さんが聞き手になって、「ご先祖さまに会える日」の特集を組んだときが最初でした。その後、平成八年の冬号(通巻五十五号)から四回の連載で「宮崎奕保禅師さま物語」を、同年に禅師さまのご発願で、大本山永平寺内に納経塔が建立され、その時にビデオ「禅の心――永平寺と写経」を発刊させていただきました。
 今回、故宮崎禅師と『曹洞禅グラフ』やNHKテレビなどで親しくお会いする機会があった、作家の立松和平さんに追悼文をお願いしました。

宮崎奕保禅師との御縁
立松 和平

 はじめて宮崎奕保禅師とお目にかかったのは、永平寺の機関誌「傘松」に私の小説「道元禅師」の連載が決まった直後であった。当時の「傘松」編集長・熊谷忠興老師には、道元禅師を描いた文芸作品がなくて、それをつくるのが宗門の悲願なのだといわれた。そのほぼ五年後に、「道元禅師七五〇回大遠忌」がひかえていて、できればその時までに完成し出版してほしいということだった。文芸作品として誰も書き通していない道元禅師に本気で取り組めば、小説家の勘でいうのだが、満足する完成まで十年かかる。そのことを私は忠興老師に申し上げた。
 「そんなもの、やればいいじゃないか」
 これが忠興老師の答えである。それから私は十年後の小説の完成をめざして、毎日二十枚とぼとぼと書きつづけていくことになった。道元禅師という人物のことがわかっているわけではなくて、勉強しながら書いていこうというのが私の腹づもりであった。
 そのような時に、宮崎奕保禅師と対談しないかという話が湧き上がってきた。テーマは道元禅師である。私はこれからこつこつ勉強しながら書いていこうとしているのに、いきなり曹洞宗の貫首と言葉を交わすには、私はあまりに未熟ではないのか。
 まわりからの話はだんだん大きくなり、対談が鼎談になって、中村元先生が加わることとなったのだ。今から約十年以上前のことであるから、宮崎禅師は九十何歳、中村先生は八十何歳、私にいたってはまだ四十歳代であった。その対談は「傘松」と「曹洞禅グラフ」にのせ、なおかつビデオに撮影してパッケージにするということになった。私にはあまりに荷が重い。なにしろ私は道元禅師のことをやっと本気で考えはじめたばかりだったのだ。
 対談場所は東京目白の椿山荘ということになり、私は覚悟を決めていってみると、曹洞宗のお坊さんたちの姿がたくさんあった。まず私は宮崎奕保禅師に挨拶をし、つづいて中村先生に挨拶をする。その時は宮崎禅師はあまりに遠い人であったが、中村元先生には著作をたくさん読んで親しみというより尊敬の念を持っていた。なにしろ私は中村先生が翻訳された「ブッダのことば――スッタニパータ」の文庫本一冊を持ってインド放浪をしたのである。この日、私は中村先生にお会いできることがわかっていたので、サインをいただこうと放浪中読みつづけた「ブッダのことば」その本を持っていったのだった。インド旅行の旅費を稼ぐために働いていた病院のレントゲンフィルムを入れる黒いビニール袋を、本のカバーにしていた。
 鼎談の前に宮崎禅師と中村先生と私がコーヒーショップの座席についた。宮崎禅師は前に坐ると峻厳なる山のような存在感のある人だ。私は勇気を振り絞ってサインを求めると、中村先生は微笑とともにこう書いてくださった。
 「拝眉の栄に     中村元」
 黒いレントゲンフィルムの袋をカバーにした「ブッダのことば」は、私にはなおいっそうの宝物になったのである。
 宮崎禅師はこんな時にもまわりの人に気遣ってくださる人で、中村先生と私のために肋膜炎を手術もせず坐禅で直したという話をされた。医者にはじっと寝ていろと指示されていたが、看護士の見回りがすむとすぐに坐禅をしたといって笑わせた。峻厳な修行者の宮崎禅師は、まわりへの気配りを忘れない優しい人なのである。
 鼎談は、私には冷汗とともに終わった。宮崎禅師も中村先生も限りなくやさしい人たちで、おかげで私は最後までその場に坐っていることができたのだ。
 その後、宮崎禅師とは何度もお会いする機会があり、何度もこうおっしゃられた。
 「立松っつぁん、道元禅師の小説をよろしくお願いしますよ」
 執筆九年で、どうやら「道元禅師」は完成した。途中、宮崎禅師の何度にもわたる励ましの言葉により、書き継いでいくことができたのだ。私の立場からすれば、宮崎禅師との約束をなんとか果たすことができたということなのである。


*宮崎禅師さまが写経のこころを懇切丁寧にお教え下さっているビデオ『禅の心──永平寺と写経』および宮崎禅師、立松氏、中村氏の鼎談をまとめた『今よみがえる道元禅師の教え』をご希望の方は裏表紙住所、仏教企画まで。共に3,000円

*立松和平著『道元禅師』(東京書籍刊)上下巻は第35回泉鏡花文学賞に輝き、現在全国の書店で発売中。
*故 宮崎禅師のご本葬は4月5日に大本山永平寺で営まれます。