朗読から心の力を養う


『幼ものがたり』 ―明り―  石井桃子著

 祖父は、あとまでランプに固執しているひとたちに、電気というものは「いいもの」だから、ぜひつけるようにとすすめたそうである。
 そのランプも、近所では、祖父が一ばん早く使いはじめたのだという伝説が、私の家にはあった。いったい、ランプのまえは、夜、何で家のなかを明るくしていたのか、私は知らない。おそらく、ろうそくか、皿に入れた菜種油に灯芯をひたして燃やすかしていたのだろう。私が物心ついたころ、私の家では、石油のランプ、行灯、お灯明(あとの二つは、菜種油)、それに手燭(ろうそく)の三つを、必要に応じて併用していた。ランプは、最初、祖父が横浜にゆき、その明るいのに感心して買ってきたのだそうだ。近所のひとが見物にきて、名前を聞かれたのだが、祖父は、そのカタカナ名前を忘れてしまい、頭をしぼって、そのようすから「プラン」というものだと教えたのだと、私たちは聞かされていた。けれども、これは、祖父得意のこっけい話の一つだったかもしれない。


解説  岸田衿子
詩人・童話作家。群馬県在住。
著作に、詩集『たいせつな一日』(理論社)、絵本『かばくん』(福音館)、『森のはるなつあきふゆ』(ポプラ社)、エッセイ集『ふたりの山小屋だより』(文芸春秋社・妹今日子と共著)などがある。



 この四月はじめ、桜の満開を待たれたかのように、百一歳で亡くなられた石井桃子さん(児童文学者・作家・翻訳家)が、浦和の街外れの中仙道に面した生家と、家族や、街の周辺の思い出を綴られた一冊です。七十歳を過ぎた頃から、幼い日々のことが魔法のように次から次へと甦り、幼児の目と心にくっきり残ったままを書きとめまたとない自伝です。今の人々にとっても興味のつきない話題ばかり。
 石井桃子さんの本といえば、おとなも子どもも愛読した「ノンちゃん雲にのる」、翻訳「くまのプーさん」、「ピーターラビット」シリーズのほか、幼い子のための「うさこちゃん」シリーズなど、誰でも一度は手に取ったことでしょう。
 桃子さんは大家族の末っ子でしたが、勤め人のお父さんよりも、商家の主であるお祖父さんのほうが、いつも身近にいる存在として、またどこか剽軽な人物として描かれます。例えば、お祖父さんが「背中をかいてくれ」と頼む。幼い桃子さんがやっとの思いでお祖父さんの背中に手をつっこんでごしごしかこうとすると、そこにゆで卵が入っていた。耳がかゆいというのでのぞくと五厘銭がはまっていた、というふうに。
 現在は関越道ができたとはいえ、中仙道(18号線)は、やはりいつも車がひっきりなしに走っています。百年前の街道には荷車や荷馬車が往き来しても、子どもに危険な場所ではなく、「よかよか飴屋」とか「炒り豆や」、「いわしこうい、いわしこい!」という呼び声で売りにくる魚やなど、子どもたちにとって魅力的な物売りが行き交っていました。まして車は一年に数回だけ。ものすごい音をたて、埃をあげ、その乗り物にはいつも西洋人が乗っていて、日光へゆくのだと噂されていました。そしてなんとたった一人ですが、ちょんまげを結った人も歩いていたそうです。


 幼ものがたり

石井桃子/作
吉井爽子/画

福音館書店 刊