柳緑花紅
春の忘れ物
作家 太田治子
今年のお正月、徳島へいった。徳島の朗読グループの発表会に、ゲストとしてお話をさせていただくことになったのである。グループの朗読の先生は、NHK教育テレビ『日曜美術館』でパートナーを組ませていただいた河路勝さんだった。河路アナウンサーが司会進行役、私は司会アシスタントとして三年間ご一緒したのである。あれからもう三十年になる。七十代の河路先生も徳島の発表会に出演された。変わらぬ美声が嬉しかった。
さて私は発表前日の夕刻に、徳島へ着いた。川崎市新百合ヶ丘の自宅から新横浜にでて新幹線のぞみに乗り、新神戸で降りた。そこから高速バスで明石海峡を渡って、徳島へ向かった。バスの窓からの瀬戸内海の長めがすばらしいことを、河路さんが教えてくださっていた。
しかしその日は既に窓の外の海は暮れなずんでいた。予定していたバスに乗り遅れたのである。昼頃、小田急線の新百合ヶ丘駅前の家をでるとき、はたちになる娘の万里子が、私を玄関先で見送った。いつもなら学校にいっている時間だった。珍しく風邪を引いて学校を休んでいたのである。
「ママ、いってらっしゃい」
「今生の別れになったら、どうしよう」
わざと二人して、マンションのドアの前でふざけたのがよくなかった。私は玄関の棚の前に、ポシェットと財布を置き忘れてでかけた。小田急とJRとの乗り替え駅の町田までは、コートのポケットに入っていたパスモを使った。大切な切符を忘れたことに気づいたのは、小田急の町田駅のホームである。あわてて向かいのホームの上り電車にとび乗り、家へと舞い戻った。
JRの横浜線の車内で、もはや高速バスは徳島駅十八時二十八分着の最終バスに乗るしかないことがわかった。グループの代表の森君代さんに新幹線の公衆電話から連絡をした後、洗面所に向かった。そこで初めて、ポシェットを家に忘れてきたままだったことに気づいた。口紅も、その中にあった。この十年間、同じ濃いピンクの口紅を愛用していたのである。
徳島駅前に、森さんをはじめ三人の奥さまがお迎えにいらしてくださっていた。
「実は、口紅を忘れました」
素敵なマダムの森さんに、そっと打ち明けた。目の前に、そごうデパートがあった。化粧品のコーナーがずらりと並んでいた。三人をお待たせして、とにかくピンクならいいわとあわてて一本の口紅を買った。ホテルの洗面所の鏡の前で、そっとその口紅をつけてみた。いつもより薄いピンクである。自然の口許に近い。悪くなかった。このように薄い色は、私には似合わないと思いこんでいたのだった。もしも忘れ物をしなかったら、決してこの色を使うことがないまま日が流れていったのに違いない。翌日の発表会は、新しいピンクの口紅をつけて出演した。『日曜美術館』の二十代の頃に戻ったように楽しくお話をすることができた。忘れ物をして、明るい春がやってきたように思う。
(挿絵・長谷川葉月)
太田治子(おおた・はるこ)
1947年神奈川県生まれ。父は太宰治、母は太田静子。
明治学院大学文学部卒業。
高校生の時、瀬戸内寂聴に勧められ「手記」を書き、執筆への感触を得る。
1986年、「心映えの記」で第一回坪田謙治文学賞を受賞。
NHK「日曜美術館」初代アシスタントを三年間務める。現在、NHK「ラジオ深夜便」の「私のおすすめ美術館」に出演中。2007年にはNHKカルチャーアワー文学の世界「明治・大正・昭和のベストセラー」を担当。
主な著書に『絵の中の人生』(新潮社)、『恋する手』(講談社)、『小さな神様』(朝日新聞社)、『石の花 林芙美子の真実』(筑摩書房)などがある。